第二話:ご褒美のあとに

 事が済み、桃子は横たわる熊の死骸に腰掛け、フウと一息つく。布切れ一枚きり肩にかけ、赤みを帯びた生じろい肌を惜しげもなく晒し、滴る汗が木漏れ日に瞬く。


「お前たちを呼んだのは他でもない」


 桃子はバンッと扇子を開き、胸元を打ち扇ぎつつ、足元に控える三人の従者に告げる。「鬼ヶ島に住まう鬼畜外道を、私に代わって根絶やしにして欲しいのだ」と。


「はいっ!」と、桃子から見て左端の娘、丸い瞳のくノ一が、跪いたまま元気よく挙手する。主人ほどではないにしても、しもべである彼女らもまた、髪に装束に乱れ果てていた。「質問よろしいでしょうか! ご主人様!」


「許可しよう。申すがいい」


「鬼退治ってすっごい大変だと思うんですけど、達成できたらどんなスゴイことしてくださるんですか!?」犬のようにハッハッと舌を出し、前のめりになる。


「ハッ、ワンちゃんはこれだからだよ」


 と、 隣で跪く細身の淑女が、流し目しつつ乾いた声色で毒づく。犬は頬を膨らませ、「何がいけないのさ」と隣人を睨む。


「がめついのがいけないんだよワンちゃん。そもそも、主様から直々に命を下さるだけでも望外の極みだってのに、褒美だのなんだの一言目に尋ねることかね」ヤレヤレとかぶりを振る。


「じゃあさあ、雉ねえはご褒美いらないってこと? ボクと猿姉で分けっこしてもいいわけ?」


「そうは言ってないだろ」雉は唇を尖らせる。「アタシだって褒美は欲しいに決まってるけど、そういう態度を表に出すのか出さないのかって話で————」


「鬼退治を果たした暁には、我が正妻となる権利をくれてやろう」


 埒が明かぬと悟ったか、桃子は強引に横入りしつつ、褒美の中身を答えた。


 途端、犬と雉とは水を打ったように押し黙る。先程から何ら口にしていなかった猿ですらも、より一層の沈黙を深めているように思われた。


「ただし」


 静まり返った森の中、ただひとり桃子のみが、淡々と言葉を紡ぐ。人差し指を立て、「正妻として迎えるのは一人だけだ」と付け加える。「此度の遠征にて、最も手柄を立てた者をこそ選ぶとしよう」


「……残りの二人は?」


 先ほどまでの威勢はどこへやら、真ん中の雉がオズオズと尋ねる。


 桃子は片膝を立てつつ、「側室とするのだ」と答える。


「どのような顛末になろうと、三人とも我が愛しき従僕には相違ない。切り捨ても遠ざけもせぬよ――ただ我が正妻に決めた女については、他に比類なきほどに猛烈な愛情を向けてやるのだという、ただだけのことよ」


「委細承知いたしました!」


 いの一番に立ち上がるのは犬である。「必ずやこのボクが大手柄を立て、ご主人様の寵愛を欲しいままにしてみせましょう! そう決まればモタモタしていられませぬ、さっそく鬼ヶ島へ」と捲し立てつつ踵を返し、そそくさと去ろうとする。


 しかし、雉がそれを看過せぬ。犬の手首を掴んで引き寄せる。「何?」と虫けらでも見るような目つきを向けられる。


「何? じゃないよ全く…………や、引き止めておいてなんだけど、アタシが物申したいのは主様に対してなんだよな」


 雉は依然、犬の手首を掴んで捕らえたまま、正面に向き直る。左隣の猿からは「くだらん問いかけを一つするごとに五感を一つずつ奪う」と脅迫され、両隣から睨みを利かされてしまう。話しにくいことこの上ないなと参りつつ、そうこうしているあいだに桃子から「申せ」と命じられ、もはや沈黙を貫けぬ。雉は言葉を選びつつ主人に問うた。


「……私共の中から正妻ないし側室を娶るとのこと、それだけで既に私は、身に余る光栄に打ちひしがれております。……しかし、我々に鬼退治を命じ、その功績の多寡で正妻をお決めになるという判断には、率直に申し上げて承服しかねます。……もっとこう、器量の良さであったり、体の相性でお決めになられるべきでは? 主様が正妻に対して何をお求めになられているのか、不肖私には分かりかねまする」


「結論から言うと、とにかくお前たちに苦労させることが目的なのだ」


 桃子は至って涼しげな表情で答える。


「野を越え山を越え、海を渡り鬼を退治し帰路につく――お前たちとて完遂するのは容易ではあるまい。途中で疲れはするだろうし、面倒にもなるだろう。そこで私の顔を思い出し、『あの御方に選んでいただくためには』ともうひと踏ん張りできるかが鍵なのだ。鬼ヶ島から帰還したお前たち一人一人の功績を検めれば、自ずとこの私への恋着の強さが見て取れるだろうという算段だよ――あと、もう犬は出発したようだぞ」


 雉はポカンと呆けてから、空を掴む自らの手を見、無人の右隣を振り向き、勢いよく立ち上がりつつ森の中を四方八方見回し、しかし犬の姿はどこにも見当たらなかった。


「あンのクソ犬…………!」と歯を食いしばる隣で、猿もやおら立ち上がり、「自分も行ってまいります」「よろしく頼む」の応酬を交わしてから、テクテクと徒歩でその場から去ってしまった。


 残すは雉のみ。ハアと長い溜息をついてから桃子に向き直り、半ば投げやりに「失礼します」と一礼すると、


「【張糸ちょうし】」


 と唱え、見えない階段でもそこにあるかのごとく地面から空中に駆け出した。間もなく猿の頭上を追い越していき、みるみる加速していく。言わずもがな三人とも、連れ立って鬼ヶ島を攻略する気などさらさら無いらしかった。


「正妻の座を殺し合いで奪い合ったりしないかが唯一の心配だが、よしんばそうなったとして、猿がどうにか治めるするだろう」


 桃子は一人合点しつつ立ち上がり、大きく伸びしながらあくびする。熊の死骸から飛び降り、地面に散乱した着物を拾いながら、三衆が去ったのとは異なる方に歩き出す。


「鬼ヶ島に向かっていることになっている手前、屋敷にも城にも戻れぬ。どこか宿を探さねば――ひとまず、きび団子でも頂戴しに参ろうか」

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