第15話 逃げられない過去

◆ 不穏な朝


 夜中、スマホの画面に浮かんだ文字が、まぶたの裏から離れなかった。

 ――「逃げても無駄だよ」

 短い一文なのに、胸の奥を冷たい手で締めつけられるような感覚が走る。


 午前五時を過ぎても眠れず、薄明かりの差し込む部屋でシーツにくるまっていた。

 キッチンからは、コーヒーの香りとマグカップが食器棚に当たる音がする。


「おはよう、早いね」

 彼が振り向く。無造作に結んだ髪、薄い笑み――昨日までと同じ、何も変わらない顔。


「うん、ちょっと……眠れなくて」

「引っ越し疲れだろ。今日はゆっくりでいいよ」

 そう言って微笑む彼に、メッセージのことは言えなかった。

 この静かな朝を壊す勇気が、私にはなかったから。



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◆ 元カノからの追撃


 午前十時。窓際で段ボールを開けていると、スマホが震えた。

 ――「近いうちに会いに行くから」

 送信者の名前は表示されない。けれど、番号も、文面の癖も覚えている。

 彼の元カノ。数ヶ月前まで彼と同じ街に住んでいた、あの人だ。


 呼吸が浅くなる。

 「近いうちに」――それは、ただの宣言じゃない。

 私の新しい生活を壊すための予告状のように響いた。



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◆ 小さなすれ違い


「ちょっと、仕事の打ち合わせ行ってくる」

 午後三時、彼がそう言って外出の準備を始めた。


「今日?まだ荷ほどきも終わってないのに」

「早めに顔を出しておきたいんだ」


 彼は笑っている。でも、その笑顔はどこかぎこちない。

 ドアが閉まったあと、部屋は一気に静まり返る。

 私は片付けを続けながらも、彼の言葉が耳の奥で何度も反響していた。



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◆ 不意の再会


 夕方、スーパーで買い物を済ませ、駅前を歩いていると、聞き覚えのある声がした。


「やっぱり、ここにいたのね」


 振り向くと、そこに立っていたのは――彼の元カノ。

 長い黒髪、薄い口紅。以前よりも痩せて、冷たさが際立っている。


「……どうしてここに」

「偶然よ。でも、偶然って運命の一部だと思わない?」

 彼女は微笑み、私の耳元で囁いた。

 「彼は、私のもの。あなたがどこへ逃げても」


 その一言で、背筋が凍った。



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◆ 決断の夜


 夜、彼が帰ってきた。

「どうだった?」と尋ねられ、迷った末に告げた。


「今日……駅前で、あの人に会った」

 彼の表情が一瞬だけ固まる。

「……そうか。全部話すよ」そう言いかけて、彼は黙り込んだ。


 何を言おうとして、やめたのか。

 私たちの間に、見えない壁がひとつ立った気がした。



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◆ 深夜の影


 日付が変わる頃、廊下から物音がした。

 ドアを開けると、足元に白い封筒が置かれている。

 震える手で開くと、中には一枚の写真。


 ――笑顔で寄り添う彼と、あの人。

 背景は見覚えのない場所。でも、二人の距離は近すぎた。


 胸が痛み、息が詰まる。

 逃げても、過去は必ず追いついてくる――そう思い知らされる夜だった。

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