髑髏王と枇杷の姫 ㈣稀代の奇術師

@beniiro-tamago

一章 宵闇に上がる花火

 宵闇の城は、常に静寂に包まれていた。城を覆う闇の魔力は、外界の音を遮断し、そこに住まうスカーレットの心を映すかのように、ただひっそりと存在していた。しかし、この日ばかりは違った。

 夜空に、突如として色とりどりの光が弾ける。それは、炎の魔力でも、光の魔法でもない、見たこともない奇妙な光だった。赤、青、緑、黄色……鮮やかな色彩が漆黒の空を彩り、城の尖塔がその光に照らされて浮かび上がる。まるで、誰かが魔法で花火を打ち上げたようだった。


 城の広間で本を読んでいたジェイドは、窓の外で起こった異変に目を丸くした。


「スカーレット様、今の、なんですか……?」


 ジェイドはスカーレットに問いかける。

 彼は無言で窓辺に立ち、その血色の瞳は夜空を見上げていた。彼の表情はいつもと変わらず、感情の読めない無表情だ。ただ、ジェイドにはわかっていた。彼が、この奇妙な光景に微かに動揺していることを。


「レイブン、あれは…?」


 ジェイドの膝の上で丸くなっていた愛猫のミィが、スカーレットの肩に止まっている烏のレイブンに問いかける。その言葉に、レイブンが、鋭い視線を窓の外に向けた。


「あの気配……まさか、あの変人か……?」


 レイブンの言葉に、ジェイドは首を傾げる。


「変人、ですか? 誰のことです、レイブン」

「ああ、ジェイドは知らないか。スカルの旧知の仲の……」


 レイブンが言葉を続けようとしたその時、広間の扉がけたたましい音を立てて開いた。


「スカール! こんなところにいたんだね、探したよ!」


 扉の向こうに立っていたのは、深い群青色の髪に、アメジストを閉じ込めたような淡い紫の瞳を持つ青年だった。軽やかな身のこなしで広間に入ってくると、彼はスカーレットに向かって笑顔で手を振った。


「あの、どちら様ですか?」


 ジェイドは相手の勢いに圧倒されつつ、探るように彼に尋ねた。この城に、自分以外の人間が足を踏み入れたのは初めてだったからだ。青年はにこやかにジェイドに視線を向け、優雅にお辞儀をした。


「おや、あなたは噂の枇杷の姫君ですね? 初めまして、俺はブラッドリィ・ブルー。この宵闇の城に住まう王の友人ですよ。昔は天才魔術師とも呼ばれていましたね」


 ブラッドリィはそう言うと、右手を胸に当てて深く頭を下げた。彼の言葉に、ジェイドは呆然とする。彼の呼び方は、ロウクワット一族がジェイドを揶揄するときに使う「枇杷の姫」だったからだ。


「どうして、その呼び方を……?」


 ジェイドが尋ねると、ブラッドリィは眉を下げて困ったように笑った。


「ああ、すまない。昔、あなたの故郷の者がそう呼んでいたのを耳にしたもので。不快だったなら謝る。君は、ジェイド・ロウクワット、でいいかな?」


 ブラッドリィの口から、ロウクワット一族のことが語られたことに、ジェイドは驚きを隠せない。


「……ロウクワット一族を知っているのですか?」

「ええ、まあ、色々とね。昔から、噂好きなもので」


 ブラッドリィはそう言って、再びジェイドに微笑んだ。その笑顔は、どこか掴みどころがなく、しかし底知れない優しさを秘めているようにジェイドには感じられた。


「ブラッド、いい加減にしろ」


 これまで黙っていたスカーレットが、低く、冷たい声でブラッドリィを嗜めた。ジェイドは、スカーレットにも驚く。彼女がこの城にきてから、スカーレットが相手に普通の反応を普通に示すのを初めて目にしたからだ。


「やあ、スカル。相変わらず愛想のないことで。でも、君の言葉を聞くのは久しぶりだな。嬉しいよ」


 ブラッドリィはスカーレットに近づいて、彼の肩に手を置いた。スカーレットはそれを軽く払いながら、冷ややかな視線を向けた。


「用件は何だ。お前がここに来るたび、厄介事が増える」

「ひどいな、スカル。俺は君に会いたかっただけさ。それに、噂の『光の花』が本当に咲いているのか、確かめたかったんだ」


 ブラッドリィはそう言うと、ジェイドに再び視線を移した。


「本当に、美しく咲いている。こんなに可愛らしい花だとは、聞いていなかったよ」


 彼の言葉に、ジェイドは顔を赤らめる。スカーレットは不快そうに眉をひそめた。


「ブラッド、彼女に余計なことを言うな」

「わかった、わかったよ。君がそんなに怒るなんて、本当に珍しいな。まあ、彼女が君を変えたということだろうね」


 ブラッドリィは楽しそうに笑い、ジェイドに話しかけた。


「ジェイド、どうか気にしないで。俺の親友は、見た目はこんなだけど、本当は優しい心の持ち主なんだ。ただ、ちょっと不器用なだけだから」


 ブラッドリィの言葉に、スカーレットは黙って彼を睨みつけた。その様子を、ジェイドはどこか微笑ましく見つめていた。


「あの、ブラッドリィさん。先ほどの花火は、あなたが?」


 ジェイドが尋ねると、ブラッドリィは胸を張って答えた。


「そうさ。俺が君たちのために打ち上げたんだ。俺の奇術で作った、特別な花火だよ。気に入ってくれたかな?」


 ブラッドリィの言葉に、ジェイドは感動した。


「はい!とても綺麗でした。まるで、夢を見ているようでした」


 ジェイドの純粋な言葉に、ブラッドリィは嬉しそうに微笑んだ。


「そう言ってもらえて嬉しいな。ああ、そういえば、俺は君のために、お土産も持ってきたんだ。はい、これ」


 そう言って、ブラッドリィは掌をジェイドに向ける。すると、彼の掌から、淡い光がこぼれ落ちた。それは、手のひらサイズの可愛らしい花だった。翡翠色をしたその花は、まるでジェイドの瞳の色を映したかのように輝いている。


「これは……」


 ジェイドが驚いてそれを見つめると、ブラッドリィはにこやかに言った。


「翡翠の花だよ。君の瞳の色をイメージして作ってみたんだ。よかったら、受け取って」


 ジェイドは恐る恐る手を伸ばし、その光の花を受け取った。光の花は、ジェイドの掌の上で、優しく煌めいている。その温かさに、ジェイドは安らぎを感じた。


「ありがとうございます、ブラッドリィさん。とても素敵です」


 ジェイドが嬉しそうに微笑むと、スカーレットは微かに表情を緩めた。ジェイドが喜んでいる姿を見て、彼もまた嬉しく感じているようだった。


「俺のことは気軽にブラッドと呼んでくれ。スカルは、いつもジェイドのことを考えているよ。君の幸せそうな顔を見ると、俺も嬉しい」


 ブラッドリィはそう言って、スカーレットに視線を送る。スカーレットは、彼の言葉には何も答えず、ただ静かにジェイドを見つめていた。


「さて、俺はそろそろ失礼しようかな。明日の朝、また改めて来るよ。ジェイド、今日はゆっくり休んでおくれ」


 ブラッドリィはそう言うと、再び優雅にお辞儀をして、広間から出て行こうとした。


「あの、ブラッドリィさん…じゃなくて、ブラッドさん。あなたは、どこに泊まるのですか?」


 ジェイドが尋ねると、ブラッドリィは振り返って笑った。


「ああ、心配いらないよ。俺は、君たちとは違うから。それじゃあ、また明日ね」


 ブラッドリィはそう言うと、姿を消した。ジェイドは、彼が消えた場所を呆然と眺めた。


「スカーレット様、あの人は……」

「ただの変人だ。気にしなくていい」


 スカーレットはそう言って、ジェイドの頭を優しく撫でた。


「でも、とても面白い方でしたね」


 ジェイドはそう言って、掌の中の翡翠の花を見つめる。スカーレットは、その花をじっと見つめていた。


「…お前が気に入ったなら、それでいい」


 スカーレットはそう言うと、ジェイドを緩く抱き寄せた。彼の冷たいぬくもりに、ジェイドは安堵する。


「スカーレット様……」

「……」


 二人は静かに、ジェイドの掌の中の翡翠の花を見つめた。その花は、二人の想いを吸い込んで、より一層、強く輝いているように見えた。

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