第6話

 舗道のタイルの上に、靴底が滑る音が響く。

 足場を奪うように踏み込み、私は左のフェイントから右のフックを振り抜いた。

 しかし美緒は、顎をほんのわずかに引き、拳を耳元で受け流す。

 その反動で、鋭いジャブが私の頬をかすめた。

 衝撃で視界の端が白く瞬き、呼吸が一瞬止まる。


(……まだだ)


 体勢を立て直し、肘を締めて距離を詰める。

 近距離戦に持ち込み、彼女の腕を払って脇腹へのボディを叩き込む。

 肉を打つ鈍い感触。

 だが、美緒はそのまま私の肩を掴み、膝蹴りを腹に突き上げた。

 肺から空気が一気に押し出され、息が詰まる。


「……くっ……」

 呻き声が漏れるが、踏みとどまる。

 右足を大きく踏み出し、低い姿勢からローキックを狙う。

 スネ同士がぶつかり、骨に響く痛みが走る。



---


 警官が二人、距離を詰めながら「やめなさい!」と声を張る。

 しかし、その声は海の向こうから聞こえるように遠い。

 私たちの世界は、互いの目と目、呼吸、動きだけで満たされていた。


 美緒が一歩下がり、呼吸を整える。

 その動きに合わせて、私も半歩踏み込む。

 互いに腕を探り合い、先に仕掛けたほうが勝負を握る――そんな間合い。


 美緒が踏み込んだ。

 左のパンチをフェイントにして、右ストレートを一直線に繰り出す。

 私は左腕でそれを弾き、反対の拳で顎を狙う。

 同時に、美緒の膝が私の腰に突き刺さる。

 互いの攻撃が交錯し、痛みと衝撃で呼吸が荒くなる。



---


 額から汗が滴り、口の中は鉄の味が広がる。

 周囲からは野次馬のざわめきが途切れない。

 スマホを構えている人間もいるが、もうどうでもよかった。


(ここまで来たら、引く意味がない)


 最後の一撃を意識した瞬間、二人同時に踏み込む。

 拳と拳が正面からぶつかり、骨と骨がぶつかる硬質な音が響く。

 衝撃で互いに後ろへ弾かれ、膝をつく。


 息は荒く、視界は揺れ、腕はもう上がらない。

 それでも視線だけは外さない。



---


「……強いじゃない」

 美緒の唇から血が伝う。

「そっちこそ……化け物」

 笑いながら吐き出した声は、痛みと誇りの入り混じった音だった。


「……あの人に惹かれる理由、少しわかったかも」

「私も……同じ」


 敵意が消えたわけじゃない。

 ただ、この瞬間だけは、互いの強さを認めざるを得なかった。

 それは、戦いを通じてしか得られない感覚だった。



---


 遠くでパトカーの増援のサイレンが近づく。

 立ち上がり、肩で息をしながら美緒が微かに笑った。


「……次は、殴り合いじゃなくて飲み比べで決着つけましょう」

「そのときは、絶対負けない」


 肩を並べて立つわけではない。

 けれど、互いの存在を否定できない奇妙な感情だけが、そこに残った。

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