山上の研究所1
「アヤちゃん、怖くない? 不安だったら、もう少しぎゅっとしてあげてもいいけど」
「まったくもって問題ございません!」
「あはは、ちょっと自信を失うくらいに、元気な返事だ!」
後ろから響く笑い声に、わたしは苦笑する。ロランさんの駆る竜――――非常に手懐けるのが難しい、黒い飛竜だ――――は、放たれた矢のようにまっすぐに、アストラホルンを目指していた。
(な、なるほど、こんな黒竜が相棒なら、『すぐ』と感じるのも仕方ないかも……)
飛竜は速いが持久力に欠ける、というのが通説だが、この竜は例外的なまでにスタミナがある。さすがは国の誇る竜騎兵隊のエリート、といったところか。
かくいうわたしは、ロランさんに後ろから抱えられるようなかたちで、彼の竜背に、二人でまたがっていた。竜車に乗るものだとばかり思っていたわたしは戸惑ったが、このほうが速いと言われると、拒否もできず。空を高速で飛ぶ竜と、後ろから抱きかかえてくる竜騎士という、なかなか緊張する状態で移動することになったのだ。とはいえ、手練れの竜騎士の空行にはおよそ危なげというものがなく、ありがたいことに風除けと防寒の護符を分けてもらったため、互いに密着せざるをえないことを除けば、快適な旅路だった。
そんなことで空を往くこと、一時間と少し、といったところだろうか。飛び始めから見えていた鋭い稜線が、いよいよ間近に迫っている。
アストラホルン。
角(ホルン)の呼び名にふさわしい、切り立ったかたちの山だ。天へと穿たれた鉾のようなその山には、多くの魔獣、多くの精霊が棲んでいるといわれている。多くの昔話の舞台にもなっていて、この地方の人々にとっては、一種の信仰の対象ともいえる。
(ワイナリーの商品にも、『ホルンの音色』というものがあった。ちょうどそう、この山のスケッチが、パッケージになっていて)
山葡萄を混ぜた特別なワインで、とっても美味しくて――――と、思い出したところで、胸がずくりと痛む。思わず唇を噛むと、後ろでロランさんが言った。
「緊張してきた? 大丈夫、そんな、圧迫面接とかしないからさ。ていうか俺が『アリ』って思った時点で、ほぼパスしたようなもん」
「な、なるほど……。ですが、ロランさんが雇い主、というわけではないんですよね?」
「まあね。俺は完璧に部外者。でも、当事者が当事者だからさ」
「……、……なるほど」
「ごめんごめん、こんな言いかたじゃ不安にさせちゃうよな」
ロランさんは苦笑ののち、口にする。
「少なくとも、悪いやつじゃないよ。むしろ、すっごく優しいやつなんだ。ちょっと……いや、かなり分かりづらいけどね」
びゅうびゅうと吹きすさぶ風のなか、告げるロランさんの声はけっして大きなものではなかったけれど、そこに込められた静かな厚意は、わたしの耳にくっきりとした響きを残した。
きっと、こちらの返事は求めていなかったのだろう。
わたしが言葉を返すよりもさきに、「降下するから、舌を噛まないように気を付けて」と、言われる。こくこく頷くと、ロランさんは竜の手綱を引いた。飛竜は吹きすさぶ風をかき分けて、斜面にむかって舞い降りる。山肌が近づいてくると、目的地のすがたがよく見えてきた。
(……あれは)
まるで、砂漠にできた小さなオアシスのように、その庭はあった。
アストラホルンの頂上手前から伸びる、広く、なだらかな斜面。高山特有の不毛の岩肌のなかに、忽然と、緑の野が顔を出す。果樹や農地、そして石造りの建物から成る牧歌的な一画は、文字ばかりの本に差し込まれた挿絵のように、鮮やかだ。草を食む白い馬、空駆ける天馬のすがた見える。
(そうだ、天馬が好むのは、まさにこんな、こんな山の上だった)
ロランさんの飛竜は、その緑地のなかに、そっと着地した。ロランさんはひょいと飛び降りると、私を抱えて降ろしてくれる。
「ふう、飛んだ飛んだ。いやー、助かったよ。アヤちゃんが空に慣れてるおかげで、手加減せずに済んだ」
「やっぱり、怖がるかたが多いのでしょうか?」
「まあね、ふつうに暮らしてると、空を飛ぶことって、あんまりないから。……乗客の怯えは、竜にも伝わっちゃうんだよね。そうすると、こいつもやりづらそうなんだけど、今日は絶好調だったな」
ロランさんは、よしよし、と飛竜の首元を撫でた。飛竜は低く鳴いて、目を細める。心地よさそうだ。ロランさんが「おまえはここで待っててくれ」と言うと、「がう」と鳴いて、うなずいてみせる。
「いい子ですね」
「うん。顔はおっかないけど、頭がいい、いい子だ。……それじゃあ、さっき見えた研究棟に行こう」
「研究……?」
慣れない響きの言葉に首を傾げると、ロランさんはパチパチまばたきをする。
「あれっ? ……あ、そうか、求人票には書かないようにしてたんだっけ。そうか、あの仕事内容じゃ分からないか」
「てっきり、宿泊施設か、詰所なのかなと思っていました」
「詰所といえば詰所なんだが……ここ、国立魔法学府の農学部に所属する、れっきとした研究所なんだよ。こんな見てくれだが、やってる研究は最先端だ」
「えっ⁉ そんなに重要な施設なんですか⁉ こんなところにあるなんて、知りませんでした」
「まあ、かなり新しい施設だし、公にしてないからな」
「……秘密の研究所なんですね」
「一応はな。でも、そんなに畏まらなくていい。キミにやってほしい仕事の内容に、変わりはないから」
そうは言われても、緊張する気持ちは押し殺せない。
(魔法学府の、農学部……高い山の上だというのに農園があるのも、魔法のおかげなのかな)
空気が温かく、おだやかなのも、ロランさんから貰った護符だけの力ではなさそうだ。綺麗に手入れされた菜園の道を、案内されるがままに歩いていく。
そうして辿り着いた研究棟のドアを、ロランさんはどんどんと叩いた。
「おーい、シル! 来たぞ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます