セレンディピティ・ファンファーレ〜魔法学府農学部附属アストラホルン研究所〜
別海ベコ
風変わりな求人1
「すまないね、アヤ。退職金もろくに出せなくて」
「お気になさらないでください。むしろ、大変な時期にお気にかけてくださりありがとうございます。……これまで、お世話になりました」
私が心からの思いを口にすると、旦那様は眉をきゅっと寄せて、「ほんとうにすまない」とくり返した。その目元には深いくまが刻まれている。隣にいる奥様も同様で、もともと細かったお身体が、病的なまで痩せてしまっている。二人とも、三年の不幸で、相当参っているのだ。
私はぺこりと頭を下げて、玄関の戸を開けた。
外に出ると、まず目に飛び込んでくるのは、無惨に枯れ果てた葡萄畑だ。
(旦那様自慢の葡萄たちが、こんなすがたに)
集落一番のワイナリー、ドルジャワイナリー。ワインの醸造の傍ら、小さなレストランも営んでいて、住民みんなに愛される、素敵な場所だ。
私はワイナリーの経営者であるドルジャ夫妻に雇われて、住み込みの
十五歳で山奥の故郷を出た私にとって、このワイナリーは、もうひとつの家のようなもの。青々とした葡萄畑も、樽から香るかぐわしい匂いも大好きだった。苗植えや収穫の時期は大変だったけれどやりがいがあったし、二十歳の成人ではじめてワインを飲ませてもらったときは、とても嬉しかった。ずっとここで働いていくのだと、漠然と思っていた。
三年前、突然葡萄が実らなくなるまでは。
「……っ」
枯れた葡萄を見ていると、三年前から今日に至るまでの出来事が、頭をぐるぐるとかけ巡る。最初は「今年は実るのが遅いね」と呑気に首をかしげていた。数日後には事態の深刻さに気づいて、あれこれ調べたり、詳しい筋をあたって、原因を探ろうとした。国から植物病理学の専門家にきてもらったりもした。それでもなにも分からず、気付けばすべての葡萄が枯れ果てた。明くる年も、明くる年も、同じことをくり返して――――旦那様は、ワイナリーを一時休業することにした。仕事を失った私は、鞄ひとつに収まる荷物とともに、出ていくことになったのだ。
町にむかってとぼとぼ歩きながら、考える。
(まずは宿をとって、それから家……仕事……少しは貯金もあるし、まずは家かな)
人の良いお二人は、「給金は出せないけど住んでいていい」などと言ってくれたけれど、ただでさえ大変なときに、そこまで頼れない。ドルジャワイナリーは大きなワイナリーで、従業員も多く、取引先もたくさんある。あれこれ気を回すことも多いだろうに、これ以上の負担はかけたくない。
私は後ろを振り返った。
十五歳から二十四歳まで、ずっとお世話になったワイナリーを、目に焼き付けたかったのだ。そうして振り仰いださきで、屋敷の前に立つ旦那様と奥様が、まだこちらを見ていることに気付いた。
(――――お二人とも)
駄目だ、こんな調子じゃ、彼らに心配をかけてしまう。
私は奥歯をぐっと噛みしめると、ぺこりとお辞儀をした。そして前を振り返り、さっきまでよりもたしかな足取りで、町へと続く道を歩き始めた。
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