第38話 世界の穴への偵察
明け方、まだ薄暗い中で偵察隊の準備が整った。
45名の精鋭たち。これから向かうのは、世界の穴――虚無が噴き出す、この世界の傷口だ。
「本当に大丈夫か?」
俺はエリーゼの顔を覗き込んだ。昨夜よりは顔色が良くなっているが、時折腹部を押さえる仕草は変わらない。朝の冷たい空気が、彼女の吐く息を白く染めている。
「大丈夫よ」彼女は微笑んだ。「一緒に行くわ。あなたと離れたくない」
その言葉に、俺は複雑な思いを抱いた。彼女の体調が心配だが、同時に、彼女なしでは不安でもある。腹部の紋様のことも気になる。昨夜、一瞬光ったあの光景が、脳裏から離れない。
ヴァルガスが近づいてきた。銀色の甲冑が、朝日を受けて鈍く光る。
「魔導兵器の準備は完了した」彼の声は落ち着いている。「対虚無結界発生装置、浄化増幅クリスタル、緊急脱出用転移石。すべて積み込んだ」
俺は機器を確認した。対虚無結界発生装置は、魔力を大量に消費するが、30分間だけ虚無から身を守れる。浄化増幅クリスタルは使い捨てだが、浄化の威力を3倍に増幅する。そして緊急脱出用転移石は、一度だけ全員を王都に転送できる最後の切り札だ。
「ありがとう」俺は頷いた。「命綱になるかもしれない」
偵察隊の編成を最終確認する。俺たち精鋭15名、ヴァルガス率いる騎士20名、そして偵察専門部隊10名。どの顔も緊張で強張っているが、同時に決意の光も宿っている。
国王フリードリヒ3世が、見送りに現れた。朝露に濡れた髭が、老王の威厳をさらに際立たせている。
「必ず生きて戻れ」老王の声には、深い憂慮が込められていた。「お前たちは、世界の希望なのだから」
民衆も集まってきた。まだ暗い中、松明を持って見送りに来てくれている。
「浄化王様、どうか無事で!」
「世界をお救いください!」
「私たちは祈っています!」
声援と祈りの言葉が、朝靄の中に響く。子供たちが手を振り、母親たちが涙をこらえている。昨日パンを売っていた親父も、深々と頭を下げていた。
「出発!」
ヴァルガスの号令で、偵察隊が動き出した。馬の蹄の音が、石畳に響き渡る。北へ、世界の穴へ向かって。
◆
風景の変化は、予想以上に早く現れた。
王都を出て2時間ほどで、草木の様子が明らかに変わり始めた。緑の葉が黒く変色し、幹が内側から腐ったように崩れている。生き物の気配も次第に薄れていく。鳥の声が聞こえなくなり、虫の羽音も消えた。
「ここからが、本当の虚無地帯だ」
ヴァルガスが手を上げて隊を止めた。目の前に広がるのは、完全に死んだ大地。草木は枯れ果て、土は黒く変色している。空気も重く、淀んでいる。吸い込むと、喉の奥が痛くなるような感覚だ。
馬たちが怯え始めた。耳を伏せ、震えている。いくら手綱を引いても、前に進もうとしない。
「ここから先は徒歩だ」ヴァルガスの判断は的確だった。「馬を無理に連れて行けば、狂ってしまう」
全員が馬から降り、装備を背負い直した。魔導兵器も手分けして運ぶ。重い装置だが、これなしでは生き残れない。
「あれを見て」
ソフィアが指差した先に、装備品が散乱していた。ノーザリア王国の紋章が入った剣と盾。失踪した斥候たちのものだ。
「でも...死体がない」カールが周囲を見回した。「血痕もない」
「まるで存在ごと消されたような...」ソフィアの分析が、皆を震え上がらせた。
その時、霧が立ち込め始めた。虚無の霧だ。黒く濁った霧が、地面から湧き上がってくる。視界が急速に狭まり、10メートル先も見えなくなった。
「まずい」ミーナが杖を握りしめた。「方向感覚が狂い始めてる」
確かに、どちらが北か分からなくなってきた。コンパスも狂ったように回転している。まるで、空間そのものが歪んでいるようだ。
レオが震えている。見習い浄化士の少年は、恐怖で顔を青ざめさせていた。
「怖い...」彼の声は震えていた。「でも、進む。皆と一緒なら」
その勇気に、俺は胸を打たれた。
「対虚無結界、発動!」
ヴァルガスの号令で、魔導兵器が起動した。淡い光の膜が、俺たち全員を包み込む。霧の侵入が止まり、視界が少しだけ回復した。
「30分のタイムリミットだ」俺は時計を確認した。「急ぐぞ」
足早に北へ向かう。地面は所々陥没し、黒い泥が噴き出している。その泥に触れないよう、慎重に進む。空気中には、腐敗臭と金属臭が混じった不快な臭いが漂っている。
◆
15分ほど進んだところで、それは突然現れた。
世界の穴。
直径1キロメートルを超える、巨大な漆黒の穴。底が見えない深さで、穴の縁から虚無のエネルギーが黒い煙のように噴出している。まるで、世界に開いた傷口から、血の代わりに闇が溢れ出しているようだ。
「これが...世界の外側への穴」
エリーゼの呟きが、風に消えた。
穴の周囲には、消えかけた村の残骸があった。家屋が半分だけ残っている。まるで、存在の半分だけが消去されたかのように。壁の向こう側が、虚無に飲み込まれて消失している。
「住民はどこへ...」エリーゼの声が震えた。
その答えは、すぐに来た。
突然、地面から黒い影が立ち上がった。虚無の化物だ。人型をしているが、顔がない。体は黒い霧でできており、触れるものすべてを虚無に還そうとする。
10体。レベル60クラスの強敵が、俺たちを取り囲んだ。
「散開!戦闘隊形!」
ヴァルガスの指揮が飛ぶ。騎士たちが瞬時に陣形を組み、化物たちと対峙する。
最初に動いたのはリクだった。金色のオーラを纏い、真勇者の力を解放する。
「勇者剣・破邪!」
黄金の光が剣身を包み込み、空気を切り裂く音と共に振り下ろされた。刃が虚無の体を通過する瞬間、まるでガラスが砕けるような高い音が響き、黒い霧が四散した。しかし、散った霧はすぐに渦を巻きながら集まり、再び形を成し始める。
「くそっ、キリがない!」
ヴァルガスも剣を振るう。レベル85の実力は圧倒的だ。一振りで3体の化物を吹き飛ばす。しかし、それでも数が多い。
「時空固定!」
ミーナの杖から青白い光の波紋が広がった。空間が水飴のようにヒビ割れ、化物たちの動きが糖蜜の中を進むように遅くなる。一瞬の沈黙の後、完全に停止した。その隙に、カールが盾を地面に叩きつけ、仲間を守る壁を作り出した。
「聖騎士の守護!」
カールの盾から白熱の光が立ち上り、瞬時に半透明の壁を形成した。虚無の触手が障壁に衝突すると、火花のような閃光が散り、空気中に電気の匂いが漂った。障壁は衝撃を吸収し、波紋を描きながら虚無の力を拡散させていく。
俺も浄化の力を解放した。レベル100、真なる浄化王の力。愛の浄化王の称号が、温かい光を生み出す。
「浄化・聖なる光!」
俺の掌から白金の光が溢れ出した。それは水のように流れ、風のように舞い、虚無の化物たちを包み込んでいく。化物たちの黒い体が泡立ち、蒸気のように立ち上る。ジュウジュウという異様な音を立てながら、彼らの輪郭が溶け始め、次第に形を失っていく。
数分間の激戦の末、ようやく化物たちを撃退した。
しかし、代償は大きかった。騎士3名が負傷し、立っているのがやっとの状態だ。虚無に触れた部分が、黒く変色している。
「これは序の口だ」ヴァルガスの警告が重い。「本番はこれからだ」
その言葉を証明するように、穴から不気味な唸り声が響いてきた。地の底から響く、この世のものとは思えない声。
◆
突然、エリーゼが苦しみ出した。
「うっ...!」
彼女は腹部を押さえて膝をついた。服の下で、あの紋様が激しく光っている。今度は俺以外の仲間たちにも見えるほど、強い光だ。
「エリーゼ!」
俺は彼女を支えた。彼女の体が小刻みに震えている。額には汗が浮かび、呼吸が荒い。
「何かが...呼んでいる」
彼女の言葉と同時に、穴から声が響いた。
『来たか...運命の子よ』
低く響く、非人間的な声。空気を震わせ、大地を揺らす。これは、虚無王の意識の一部だ。
全員が身構えた。恐怖で体が震えるが、誰も逃げ出さない。
『お前たちの抵抗は無意味だ』
声は続く。嘲笑うような、それでいて退屈そうな響きを含んでいる。
『一ヶ月後、我は完全に覚醒する。この世界を虚無に還す。すべての存在を、忘却の彼方へ』
「そんなことはさせない!」
俺は叫んだ。声が震えているのが、自分でも分かった。
『だが...面白い』
虚無王の声に、わずかな興味の色が混じった。
『力を示せ、浄化王よ。お前の愛とやらが、どれほどのものか』
穴から巨大な触手が現れた。直径10メートルはある、漆黒の触手。虚無そのものが形を成したかのような、恐ろしい存在感だ。
触手が俺たちに向かって伸びてくる。結界に触れた瞬間、光の膜に亀裂が走った。
「結界が持たない!」
ヴァルガスが叫んだ。
俺は決断した。ここで引くわけにはいかない。
「エリーゼ、一緒に浄化しよう」
彼女は苦しみながらも頷いた。俺たちは手を繋ぎ、パートナースキルを発動させた。
「聖愛浄化・調和!」
二人の力が融合し、巨大な光の柱が立ち上がった。愛の力が、虚無の触手を包み込む。
触手が苦しそうに身をよじる。虚無が光に浄化され、少しずつ消えていく。しかし、完全には消えない。触手は弱まったものの、まだ蠢いている。
数分間の攻防の末、ようやく触手は穴の中に引っ込んだ。
しかし、穴そのものは変わらない。相変わらず、虚無を吐き出し続けている。
「まだ力が足りない...」
俺は膝をついた。全力の浄化で、体力を使い果たしていた。
エリーゼが倒れた。意識はあるが、立ち上がれない。腹部の紋様は、まだ淡く光っている。
◆
「待って!」
ソフィアが穴の周囲を調べていた。彼女の透けた右腕が、何かを指している。
「古代文字がある」
確かに、穴の縁に文字が刻まれていた。1000年以上前の文字だ。
「封印の痕跡よ」ソフィアの声が震えた。「1000年前、大賢者がここに封印を施した形跡がある」
皆が集まってきた。文字は風化しているが、まだ読み取れる部分がある。
「でも、封印は劣化している」ソフィアは続けた。「時間の経過で、効力を失いつつある」
さらに奥に、古代の石碑があった。苔むして、ひび割れているが、警告文がはっきりと刻まれている。
『虚無の王を封じし者、ここに眠る』
『愛と犠牲のみが、真の封印となる』
『忘れるなかれ、希望は愛にあり』
「愛と犠牲...」エリーゼが呟いた。
その言葉の意味を考える間もなく、ヴァルガスが叫んだ。
「これ以上は危険だ!」
確かに、結界の残り時間は5分を切っていた。それに、穴から新たな虚無の群れが湧き出し始めている。
「情報は十分得た」ヴァルガスは決断した。「撤退する!」
俺はエリーゼを抱き上げた。彼女は俺の胸に顔を埋め、小さく呟いた。
「翔太...私、怖い」
「大丈夫だ」俺は彼女を強く抱きしめた。「絶対に守る」
撤退が始まった。追ってくる虚無の群れから逃げながら、必死に走る。負傷した騎士たちを支えながら、結界が切れる寸前で虚無地帯を脱出した。
振り返ると、黒い霧の向こうで、無数の虚無の化物たちが蠢いているのが見えた。まるで、俺たちを嘲笑っているかのように。
帰路、皆は無言だった。それぞれが、見てきたものの重さを噛みしめている。
「封印を強化する方法があるはずだ」
ソフィアが口を開いた。彼女の透けた右腕を見つめながら、考え込んでいる。
「でも、犠牲って...」ミーナの声には不安が滲んでいた。「誰かが死ななければならないの?」
エリーゼは俺の腕の中で、意識が朦朧としていた。時折、うわ言のように何かを呟いている。
「必ず別の方法を見つける」
俺は決意を込めて言った。誰も犠牲にしたくない。全員で生き残って、世界を救う方法があるはずだ。
◆
ノーザリア王都への帰還は、重苦しいものとなった。
民衆は不安そうな視線で俺たちを見つめていた。負傷者を抱え、疲れ果てた姿を見て、勝利ではないことを察したのだろう。
「大丈夫です」俺は民衆に向かって声を上げた。「必ず世界を救います」
その言葉に、わずかに希望の光が灯った。
王宮では、すぐに負傷者の手当てが始まった。医師団が駆けつけ、騎士たちの治療にあたる。虚無に侵された部分は、通常の治療では治らない。俺の浄化で、少しずつ清めていく必要がある。
謁見の間で、国王への報告が行われた。
「世界の穴は、想像以上に危険です」俺は正直に話した。「虚無王の意識も、すでに目覚めつつある」
フリードリヒ3世の表情が険しくなった。
「そして、古代の封印の存在も確認しました」ソフィアが補足した。「封印を強化できれば、あるいは...」
「一ヶ月で対策を立てねばならぬか」
国王は深いため息をついた。老王の肩に、世界の重みがのしかかっているようだった。
エリーゼは医務室に運ばれた。王宮の医師団が総出で診察する。
「原因不明の症状です」医師長が困惑していた。「腹部に何か特殊なエネルギーが宿っているようですが...」
腹部の紋様は、まだ消えていない。淡く光り続けている。
俺は彼女の手を握り続けた。冷たい手を、俺の体温で温める。
「エリーゼ、頑張れ」
大規模作戦の立案が始まった。今度は偵察ではない。全軍2100名での総攻撃だ。
「封印強化の方法を研究する必要がある」ソフィアが提案した。「古代の文献を調べれば、何か手がかりが」
「各国への援軍要請も必要だ」ヴァルガスが付け加えた。「これは、一国だけの問題ではない」
「時間との戦いだ」
俺は窓の外を見た。第二の太陽が、不安定に瞬いている。まるで、虚無と戦っているかのように。
夜、エリーゼの病室を訪れた。
彼女は目を覚ましていた。顔色は少し良くなっているが、まだ本調子ではない。
「翔太...」
彼女の声は弱々しかった。
「私、何か大切なことを忘れている気がする」
彼女の瞳には、不安と混乱が浮かんでいた。
「何か、私の中で起きている。でも、それが何なのか分からない」
「大丈夫」俺は彼女の頬を優しく撫でた。「一緒にいるから。何があっても、俺が守る」
彼女は微笑んだ。しかし、その笑顔は儚く、今にも消えてしまいそうだった。
窓の外を見ると、北の空が不気味に染まっていた。虚無王の影が、さらに大きくなっている。まるで、巨大な手が世界を掴もうとしているかのように。
第二の太陽の光が、一瞬激しく輝いた。そして、また弱まる。戦いは続いているのだ。目に見えない場所で、光と闇の戦いが。
「一ヶ月...」
俺は拳を握りしめた。
時間はない。でも、諦めるわけにはいかない。世界を、仲間を、そしてエリーゼを守るために。
「いや、もっと早いかもしれない」ソフィアが不安そうに呟いた。「虚無の活動が予想以上に活発化している。一ヶ月も持たない可能性があります」
その不吉な予感は、すぐに現実となることを、この時の俺たちはまだ知らない。
必ず、方法を見つける。
愛の力で、世界を救ってみせる。
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【翔太】
職業:真なる浄化王/愛の浄化王
レベル:100
HP:3,000 / 15,000(全力浄化で消耗)
MP:500 / 8,000(聖愛浄化使用)
スキル:
・聖浄化 Lv.MAX
・愛の結晶化 Lv.9
・調和浄化 Lv.8
・聖愛浄化・調和 Lv.3(NEW)
特殊装備:太陽の欠片
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【エリーゼ】
職業:王女/古代封印術師の血統
レベル:42
HP:2,000 / 4,200(重度疲労)
MP:2,000 / 5,500(消耗)
状態:意識朦朧・腹部の紋様が激しく光る
スキル:
・王族の威光 Lv.5
・封印術基礎 Lv.3
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【パーティーメンバー】
リク(真勇者)Lv.52
HP:7,500 / 8,500(軽傷)
MP:2,800 / 3,500
ミーナ(大魔導師)Lv.56
HP:4,300 / 4,500
MP:6,000 / 9,000(時空固定使用)
カール(聖騎士)Lv.46
HP:6,000 / 7,000(軽傷)
MP:2,000 / 2,800
新スキル:聖騎士の守護 Lv.2
ソフィア(情報屋)Lv.26
HP:1,800 / 1,800
MP:2,200 / 2,200
状態:右腕半透明
レオ(見習い浄化士)Lv.23
HP:1,500 / 1,500
MP:800 / 800
新スキル:勇気の心 Lv.2
ヴァルガス(ノーザリア最強騎士)Lv.85
HP:11,000 / 12,000(軽傷)
MP:3,500 / 4,000
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【偵察結果】
敵撃破:虚無の化物(Lv.60)×10体
巨大触手(虚無王の一部)撤退
被害:騎士3名負傷(虚無侵食)
発見:古代封印の痕跡
「愛と犠牲のみが真の封印」
虚無王の意識一部覚醒確認
【状況】
虚無王覚醒まで:30日未満
第二の太陽:戦闘状態継続
封印強化研究:開始
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