第9話 「……惚れた?」
「おーい、ユキ、クラスのみんなが花火大会行こうって言ってる。ユキも行くか?」
すっかり風邪も治った頃、リビングに降りてきた昴がそう言った。
『花火大会』というものに行ったことがない私は戸惑っていると、そばにいたお母さんが声をかけてくれた。
「あら、いいじゃない。じゃあ、せっかくだからユキちゃん浴衣着ていく? 私の若い頃のだけど、着付けてあげるわよー」
「え、ほんとですか!? じゃあ、行きます! お願いします!!」
私は興奮気味に返事をした。
花火がどんなものかは知らなかったけれど、浴衣というものに憧れがすごくあった。雪女の里での着物は白一色だけど、浴衣はいろんな色や可愛い柄があるってことは知っていたから。
(一度着てみたかったんだよねー。楽しみ過ぎる♡)
そして待ちに待った花火大会当日がやってきた。
窓の外は夕暮れのオレンジと紫が混ざった空が広がって、お祭りに浮き足立ってキャッキャと走り回る子供たちの声が聞こえてくる。
ドーンドーンと遠くで響く爆発音にびっくりして『戦争!?』って昴を見上げると、『花火の試し打ちの音だろ』って笑われた。
(雪女の里では、いつも夜空は静かで白いだけだったのに。こんなキラキラした夏の夜は初めてだ!)
私は高揚感でいっぱいになっていた。
「おいで、ユキちゃん、浴衣着せてあげるから!」
昴のお母さんが和室の姿見の前に私を連れて行ってくれて、楽しそうにタンスから浴衣を取り出した。
淡い水色にピンクの朝顔が咲いた柄の浴衣を見た瞬間、その可愛さに胸がきゅんとしてしまった。
「きゃー、ユキちゃん、可愛いわあ♡ こんなに可愛く着こなしてくれるなんて。娘が出来たみたいで嬉しいわ」
「えへへ。そう言ってもらえて私も嬉しいです♡」
お母さんに着せてもらった浴衣の裾からは、ふわりと木の香りが漂ってきて、大切に保管されていた気配に私まで嬉しい気持ちになってしまう。
「髪も、いじらせてもらっていいかしら」
「お願いしますっ!」
お母さんの声に思わず声が弾んだ。髪の毛なんていつもおろしてたから、アップにしてもらうのもすごく新鮮。
お母さんは丁寧に髪をとかしながらまとめると、最後に花の髪飾りを付けてくれた。
姿見に映る自分の姿があまりにもいつもと違って、思わずにんまりとしてしまう。
「ね、昴!! 見てみて、可愛い?」
私はリビングで浴衣に着替えて待ってくれている昴の前に行くと、浴衣の裾を持ってくるっと一周してみせた。斜めになった帯のりぼんも、アップにしてもらった髪型に刺した花の髪飾りも、全部全部可愛くて、昴に見て欲しくなったんだ。
「えっ!? あ、うん。……可愛い」
なのに昴の表情がどことなくぎこちない。
(あれ? なんか昴、私が風邪引いて以来、なーんかぎこちない?)
そう思うのだけど、原因は分からなくて。ただ、なんとなく私を見る視線がふわふわと泳ぐというか……すぐにそっぽを向いてしまう。
(私、何かしちゃったのかな。風邪ひいた時、頭ぽーっとしてたからあんまり覚えてないんだよね……)
不安になった私は思わず昴に聞いてみた。
「ねぇ、昴。……私、昴に嫌われちゃった?」
「え!? 全然。……そんなことは、ない、ぞ?」
だけど昴は速攻で否定してくれた。よかった。嫌われたわけじゃないみたい。でも……だったらなんでぎこちないんだろう。
気になって頭の中で思考を巡らしていると、恋愛講座で習った言葉を思い出した。
『恋とは不思議なもので、誰かを好きになるとそっけなくしてしまったりぎこちなくしてしまうこともあるのです』
(あれ? もしかして……これって今の昴のことじゃない!?)
そう思った私は、ちょっとドキドキしながら期待を込めて聞いてみた。
「じゃあ……好き?」
すると昴の顔が耳まで一気に真っ赤になった。
「な。何言ってんだよ! ……よ、用意できたなら、行くぞ」
昴はそそくさと出口に向かって歩き始めてしまった。
(むー。あんなに顔真っ赤にして怒らなくてもいいのになー。やっぱり男心って分からない)
その時――
「わー、ユキちゃん可愛いね!! 今から花火大会? 浴衣、良く似合ってる」
帰省中の昴のお兄ちゃん、
「えっホントですか、嬉しいー♡」
私は速攻で駆け寄った。
(昴のお兄ちゃんだもん、仲良くなったら昴のいろんなこと聞けるよね♡)
「うんうん、りぼんになった帯も可愛いし、髪型もバッチリ。もちろんユキちゃんもね♡」
「きゃーん、お兄さんいっぱい褒めてくれるから大好きー♡」
「あははっ。俺もユキちゃん懐いてくれるから好き♡ あ、髪飾りがズレてるよー。直してあげる」
「へへっ。ありがとうございますううう」
お兄さんと他愛のない会話をして髪飾りを直してもらうと、昴のところに戻った。
(髪飾りズレてたなんて、お兄さんが気付いてくれてよかった。昴の前では一番可愛い私でいたいもんね)
……と、思ったのに。やっぱり昴の機嫌が悪い。……私、何かしたっけ?
◇◆
ユキが兄貴に笑顔で駆け寄って行った時、俺はなぜか喉の奥がつっかえるような感覚に襲われていた。
別に、兄貴が悪いわけじゃない。いつも通り、気さくで優しくて、誰にでも好かれる兄貴だ。
でも――なんだろう、この胸の奥の気持ち悪さは。
ユキが笑うたび、兄貴の声に応えるたび、俺の視線は勝手にそっちに向いてしまって。見たくないのに、見てしまう。
気づけば、手がぎゅっと握られていた。力が入っていたことに、自分でも驚く。
……なんで、こんなに気になるんだよ。だけど、ユキもユキだ。
俺だけじゃなく、兄貴にまであっさり懐いて『大好き』なんて言って、おまけに髪まで触らせて。
こんなの子供の頃のあの時と一緒じゃないか。最初は俺に懐いてたのに、ころっと兄貴に懐いたあのスキー場での女の子。
……なんか、イライラする。
「ねー昴? ……なんで怒ってるの?」
無自覚なユキは首を傾げて俺の顔を覗き込んだ。
(ああ、もう、いつもより可愛さ3倍なんだから覗き込まないで欲しい)
俺は自分の感情が迷子になって、そっぽを向いて歩き始めた。
「別に。ほら、さっさと行くぞ」
「あ、待って待って、浴衣だから歩きにくっ……!」
ユキがそっと俺の浴衣の裾を掴んだ時、躓きながらよろめいた。
「おっと!!」
反射的に腕を伸ばして、抱き留めた。
ふわりと俺の腕に収まったユキの身体は、思ったよりも軽くて。
浴衣越しに感じる感触が、妙に柔らかい。
……女の子なんだなって、改めて意識して、胸の奥がざわついた。
「……だ、大丈夫か?」
思わず顔を覗き込んだ俺の視線とユキの瞳がぴたりと重なる。
「う、うん。ありがと……昴」
ユキの頬が、みるみるうちに桜色に染まって、妙に色っぽい。ただでさえ3倍増しなのに、こんなの……反則だろ。
しばらく見つめ合ったまま視線を離せないでいると、胸の奥ではドクドクと脈を打っているのが分かった。
「……ん」
俺はそっとユキの身体を支え直しながら、視線を逸らした。今の俺の気持ちを気付かれたくなくて。
だってユキの好きは軽いノリで。それ以上でもそれ以下でもなくて。
俺だけが変に意識してしまっているなんて、そんなのかっこ悪い。
第一、俺は誰のことも好きにならないって決めているんだ。
なのに。
「ねぇ、昴」
「ん、何」
また、『惚れた?』とか、『惚れて』とか言い出すんだろうか、こいつは。そんなの絶対否定してやる。
そう思ったのに。
「浴衣、似合うね。かっこいい♡」
急に褒めてくるから。頭がぐちゃぐちゃになってきて。どこか仕返ししたくって。
「……惚れた?」
柄にもないことを言ってみれば。
「うん、惚れた♡」
ユキは軽いノリで答えた。けれどその瞳は俺だけをまっすぐにとらえた笑顔で。くっそ可愛い……。
「はいはい、そりゃよかったよ」
俺はいつも通りそっけなく返したつもりだったけど、口元が勝手に緩んでしまう。
まったく、してやられた気分だ。
「へへっ。じゃあ、行こー♡」
ユキはじゃれるように俺の腕に腕を絡めてきて、完全に無自覚なんだろうなぁと思うのだけど。
「もう、転ぶなよ」
「んっ♡」
ユキが俺の腕に絡めた腕にぎゅっと力を込めて俺に笑顔を向けたから、俺は気が緩んでしまって。
正直、こういうのも悪くないと思ってしまう。
「ね、昴。花火大会って出店も出るの?」
「ん、出るよ。焼きそばとかフランクフルトとかりんご飴とか……」
「え! そんなに!? 食べ切れるかなぁ!?」
「……なんで全部食べる気になってるんだよ」
「あははっ」
いつの間にかユキのペースに飲まれてて、俺の機嫌も直っていた。
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