第19話 薄井花恋、落ち込む兄を励ます。

◆ 薄井花恋視点 ◆


 夏休み。

 本当は友達と遊びに行ったり、ショッピングセンターで服を見たり、部活仲間とバスケをやったり――いくらでも予定を詰め込めるはずだった。


 でも、どうにも気分が乗らない。

 理由は単純。元親友に彼氏を取られたからだ。


 最初は信じられなかった。あんなに毎日一緒に笑って、何でも話せると思ってたソラミが、裏で優治とつながってたなんて。

「嘘でしょ……」って頭が真っ白になった。


 けど、人間って慣れるの早いんだね。

 あの時は世界の終わりみたいに感じてたけど、今となっては「まあ、どうでもいいや」くらいに気持ちが落ち着いてきた。だって、そんな裏切り者、友達じゃなかったってだけでしょ。

 むしろ今は、新しく仲良くしてくれる子もできたし、その子たちは同情してくれて「花恋って意外と強いよね」

 なんて言ってくれる。

 だから、別に失うものなんてなかったんだなって思えてきた。


 ……ただ、一つだけ心配事がある。


 それは兄だ。


 餃子祭りから帰ってきて、どうも元気がない。

 まあ、元から本ばっかり読んで、空気みたいに存在感が薄い兄だけど……それでも最近はちょっと変わってきてた。眼鏡を外したらイケメンだって噂されて、髪型も少し整えるようになって。

 だけどその兄が、餃子祭りに友人の家に泊まりに行ってから妙に落ち込んでる。


「これ、絶対あの金髪美人に振られたんじゃない?」


 思わずひとりでつぶやいた。

 前に餃子駅のショッピングセンターで見たあの人。兄と並んで歩いてた時、さすがに私もびっくりしたんだよ。

 だって兄なんて、元はネクラメガネ。外観だけ取り繕っても、そりゃあ限界あるってもんでしょ。

 それでも、必死に自分を変えようとしてるのはわかる。だからこそ、落ち込んでる兄を見ると……ちょっとだけ、放っておけなかった。


「……まあ、妹の私が励ましてあげるしかないか」


 ってわけで、嫌がる兄を強引に連れ出して、ひまわり市のショッピングセンターに行くことにした。



「花恋……ボクは別に、出かけなくても……」

「いいから。たまには外の空気吸わなきゃ、余計に陰気くさくなるでしょ」

 猫背でぶつぶつ文句言う兄を、腕を引っ張ってバスの停留所へ押し込む。完全に嫌がる犬を散歩に連れてく感覚だ。


 バスに揺られて、ショッピングセンターに到着。夏休みだからか、家族連れやカップルが多くて賑やか。

「ほら兄貴、服見に行こう。どうせ同じようなシャツばっかり持ってるんでしょ?」

「ボクは本屋に……」

「却下!」


 そんなやり取りをしながら歩いてた、その時だった。


「あ」


 見覚えのある二人組が目に入った。

 ソラミと、優治。


 ……よりにもよって。なんで今日に限ってバッタリ出会うのよ。しかも二人、デート真っ最中って感じで寄り添って。最悪。


 私が気付いた瞬間、向こうもこっちを見て気付いた。逃げようと思ったけど遅かった。二人はこっちにやってきて――。


「……花恋」

 ソラミが気まずそうに笑いながら、でもどこか誇らしげに立っていた。

 どうやら奪いとった彼氏を自慢したいようだ。

 しかし、その視線が、横にいる兄に移ると、態度が激変した。

 なぜか赤くなって、恥ずかしそうに兄に話しかけてきた。

 正直、兄のイケメンさに比べたら優治など猿である。

 ブラコンではないが、兄の方が断然カッコいい。


「わ、わたし……花恋の親友の氏家ソラミと言います。お、お名前をお伺いしてもいいですか?」


 はあああああ!?

 何こいつ!?

 親友? 裏切っといて今さら? しかも、よりによって私の兄に声かけてんじゃないわよ!


 横で兄は、相変わらず挙動不審で。

「え、あ…いつも……」

 とか言いかけたから、私はすかさず兄の脇腹を肘で突っついた。


「ちょっと、何ほかの女に目向けてんの?」

 そして耳元で小声でささやく。

「ルリさんに告げ口するよ」


 これで兄は一発沈黙。よしよし。


 私はソラミをきっと睨んで言った。

「ごめんね、アタシたちも今デート中なの。私の大切な人だから、今度は手をださないでね」


 ソラミが言葉を失った瞬間、横から優治が口を挟んできた。

「なんだよ花恋、新しい彼氏ができたのかよ」


「は? あんたに関係ないでしょ。どうでもいいじゃん」

 ピシャリと切り捨てて、私は兄の腕を引っ張り、その場を離れた。


 振り返ると、ソラミが悔しそうに唇を噛んでいた。ざまあみろ。


 別に嘘はついてない。兄は兄であって、私にとっては確かに「大切な人」。彼氏だなんて言ってない。相手が勝手に勘違いしただけ。



 その後は普通にショッピングして、服も兄に何着か試着させて。結局いつもの地味なのを選びたがったけど、無理やり明るめのシャツを買わせた。


 帰り道。兄は少しだけ笑ってた。

「……ありがと、花恋」

「別に。兄貴が暗いと、家の空気まで暗くなるから」

 わざとそっけなく答えたけど、正直ちょっと安心した。


 兄は兄なりに元気を取り戻したみたいだし、私もなんかスッキリした。

 最悪の再会もあったけど、結果的にはリフレッシュになったかな。


 ……まあ、妹の役目も、たまには悪くない。



◆ 薄井家の事情。薄井花恋視点 ◆


 家に帰ってきたのは、すっかり夕方だった。

 ショッピングセンターで兄を引きずり回して服を選ばせて、そのあとスーパーの惣菜コーナーでお弁当を買ってきた。

 兄は「ボクはコンビニでいいのに……」と相変わらず不満げだったけど、今日は特別に私が選んだお弁当を一緒に食べることにした。



 食卓に弁当を並べる。父はまだ職場から戻っていない。社員食堂で夕食を済ませるのが日課だから、帰宅は遅い。

 母はもちろん、大阪。研究チームのリーダーをやっているから、もう何年も単身赴任生活だ。


 母が単身赴任を決めたときのことを思い出す。

「大阪でのプロジェクトを任された。どうしても行きたい」

 そう告げた母に、父は最初は反対した。けど母は頑固で、「認めないなら離婚してでも行く」と言い出した。結局、離婚は子供たちに負担が大きすぎるということで、単身赴任という形に落ち着いたのだった。


 その頃、私は小6。転校なんて絶対したくなかったし、母が仕事に集中できるならと、兄と一緒にひまわり市に残ることを選んだ。兄は中2で、もうその頃から本ばかり読んでいて、どんどん現実世界に興味をなくしていった。顔は悪くないのに、お洒落も恋愛も完全スルー。本の虫。

 だから高校を選ぶときも「図書館があるから」という理由で、ななも学院を選んだんだっけ。しかも憧れの作家が文芸部出身だとかで。ほんと、変なやつ。



「ほら兄貴、せっかくだから一緒に食べよ」

 私は唐揚げ弁当を広げ、兄は無難に幕の内弁当。


「……うん」

 相変わらず小さな声で答える兄。


 しばらくモグモグ食べたあと、私は口を開いた。

「ねえ、兄貴さ。料理とか覚えたほうがよくない? 毎日コンビニで済ませてたら体に悪いよ」


「……ボクは、本を読む時間が惜しいんだ。料理なんてしてたら、読めなくなる」


 真顔で言うから笑っちゃいそうになる。けど、私はすぐにニヤッと悪い顔をしてやった。

「ふーん。でもさ……あ、そうか。ルリさんに作ってもらえばいいもんね」


 兄の箸が、ぴたりと止まった。

 次の瞬間――


「うっ……」


 小さくうめいて、顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。


 ああ、やっぱり。図星だったんだ。


「ははっ。わかりやすっ」

 わざと笑ってやる。


「ち、ちが……ボクは別に……」

「はいはい。言い訳はいいよ」


 私は弁当のご飯をつつきながら、じーっと兄の顔を観察した。

 ……でも正直、ちょっと憐れな気持ちになった。


「あー……やっぱりおかしいわ」


「な、何が?」


「だって、あんな金髪美人がさ。よりによって兄貴と付き合うなんて。おかしいでしょ、どう考えても」


 思わず本音が出た。

 いや、ブラコンとかじゃなく、客観的な意見として。兄は確かに顔はいいけど、あまりにも本とばかり向き合いすぎて、普通の人間関係が欠落してる。そんな兄と、あんな大人っぽい美女が付き合うなんて、現実感がなさすぎる。


 私がそんな風に憐れむ目を向けると、兄は余計に居心地悪そうに俯いて、唐揚げをひとつ口に放り込んだ。



 弁当を食べ終えて、後片付けをしながら私は考えた。

 母が大阪に行って、家の中は父と兄と私だけ。母が正月やお盆にしか帰ってこない生活に、もう慣れちゃったけど――だからこそ、兄のことは私がちょっとは見てやらなきゃいけないんだろうな、って。


 まあ、今日くらいは妹としていいことしたんじゃない?

 兄は少し笑ってくれたし。


 ……ただ、ルリさんのことだけは、やっぱり信じられない。

 本気で兄を好きだって言うなら、それはそれで嬉しいけど。


 でも、もしもからかわれてるだけだったら?

 兄が本気で好きになっちゃったら?


 その時は――妹として、絶対に許さない。


 そう胸の中で小さく決意して、私は洗った弁当のパックを水切りかごに並べた。

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