第8話 キスと中間試験に向けて
拓真の“爆イケお披露目”効果は、翌日には早くも結果を見せていた。
これまで「ルリと薄井って怪しくない?」と陰で囁かれていた声が、ぱったりと消えたのだ。
「……だって、昨日の拓真見たらなあ」
「逆に、あれが彼氏って言われたら納得するわ」
「薄井くんイケメン過ぎる……」
廊下を歩けばそんな囁きが耳に入る。拓真は恥ずかしさのあまり耳まで赤くしながら、「ボクは望んでない……」と何度も心の中で呟いた。
けれど、カモフラージュ計画としては大成功。ルリは内心ほっとしつつも、表面上は余裕の笑みを崩さなかった。
そんな騒ぎも一段落した頃、校内に「中間テスト日程表」が張り出された。
昼休み、三人で机を寄せて弁当を広げながら、話題は自然とテストのことに。
「ゆずは何位くらい狙ってるん?」
「うちはいつもギリ十位以内やねん。前回は八位やった」
ゆずはからあげをつまみながら、あっけらかんと言った。
「すご……」
「ルリは?」
「うちは七位。せやけど、正直もうちょい上狙いたいな。ベスト5には入りたい」
ルリは自信ありげに紅茶をすする。
「ふ、二人とも……すごいな……」
拓真は苦笑い。
「ボクは……その……数学が……赤点すれすれで……」
「え?」
「まじで?」
二人の箸がぴたりと止まった。
「英語とか国語はそこそこなんだけど……数学だけは、どうにも……」
「普段なにしてんの?」
「小説読んだり書いたり……」
正直に答えた瞬間、二人の顔に「やっぱりな」という文字が浮かんだ。
「はい、決定。勉強会や」
「うちの家でやろ!」
「え、ちょっ、ちょっと待っ……!」
拓真の抗議は即却下。強制的に放課後の予定が決まった。
駅の東口に出るのは久しぶりだった。
改札を抜けると、ゆずが楽しそうに言う。
「今日はライトレールで行こ!」
「ライトレールって、あの路面電車みたいなやつ?」
「そうそう。うちの家、そこからちょっと歩くんよ」
「へえ……初めてやな」ルリが笑みを浮かべる。
ホームに滑り込んできた車両は、カラフルで窓が大きく、未来感のあるデザイン。
乗り込むと、ふかふかのシートに思わず拓真は感嘆した。
「うわ……座り心地いい」
「でしょ?」ゆずが得意げに胸を張る。
窓の外では街並みがゆっくりと流れていく。地面と同じ高さから見る風景は、不思議な臨場感があった。
「なんか……旅してるみたい」
「ちょっと大げさやけど、わかるわ」ルリが微笑む。
その表情を見て、拓真の胸の鼓動が一瞬だけ跳ねた。
目的の駅に降り立つと、ショッピングセンターが目に入る。
「ちょっと寄ってこー! お菓子と飲み物買わな!」
ゆずが先頭を切って駆け出す。
途中、動物コーナーを見つけて立ち寄ることに。
そこには――白いアルパカ。
「かわいい〜!」
「アルパカってさ、急に唾吐くらしいで」ルリが思い出したように言う。
「マジか!?」
「しかも命中率高いってテレビで見た」ゆずが真顔で頷く。
「遠距離攻撃型……?」拓真が引きつった声を漏らし、三人で吹き出した。
結局アルパカは何もせず、のんびりと柵の奥に戻っていった。
「勝ったな」
「勝負やったんかい!」
買い物を済ませ、閑静な住宅街を抜けると、白い壁と赤い屋根の二階建てが現れた。ゆずの自宅だ。
「ここ、うち。今は両親いないから気楽にね」
玄関には花の鉢植えが並び、甘い香りが漂う。
「おじゃまします……」
リビングはナチュラルカラーの家具とクッションだらけのソファ。柔らかな雰囲気に拓真は思わず呟く。
「お洒落……」
ルリはソファに腰を下ろし、ゆずはキッチンでお菓子と紅茶を準備。
その間、拓真は部屋を眺めて、放送部用らしい機材を見つけた。
「……これ、家でも練習してるんだ?」
「そうだよー。生配信もたまにやってる」
「マジか……」
やがて机の上にはカラフルなお菓子の山と紅茶の香りが並ぶ。
「はい、召し上がれ!」
三人でクッキーをかじりながら笑い合い、アルパカの話でまた盛り上がった。
けれど、ゆずがにやりと笑った瞬間――空気が変わる。
「――じゃ、そろそろ始めよっか」
テーブルにノートと問題集が広げられる。
「数学は……二次関数がボロボロなんだよなあ」
「ここ、グラフ描ける?」ルリがペンを渡す。
拓真は渋々ノートに曲線を描く。……が、軸も頂点もズレズレ。
「……これはアカンな」
「え、そんなに?」
「頂点が富士山くらいずれとる」
「例えが辛辣すぎる!」
ゆずは笑いをこらえながらも、教科書を指差す。
「ほら、公式覚えて。x=−b/2a!」
「ボク、数字より言葉の方が好きなんだ……」
「詩人か!」ルリが即ツッコミ。
それでも二人のサポートは容赦なかった。
「次! 三角比!」
「サインコサインタンジェント!」
「呪文かよ!」
問題を解き間違えるたび、ゆずが「ブッブー!」と効果音をつけ、ルリが「減点!」と冷静に裁定を下す。
拓真は半泣きになりながらノートに向かう。
それでも、二人に囲まれての勉強は楽しかった。たまにゆずの胸が気になったり、ルリが解説してくれる時にぐっと近づいた時の香水の香りが妙に気になるが――。
そして、なによりも二人が横で笑いながらも、真剣に教えてくれる。
美女に囲まれるこんな勉強会なら、悪くない――いや、最高に良い。そう思い始めていた。
「よし、今日はここまで!」
時計を見て、ゆずが声を上げた。
「拓真、思ったより伸びしろあるやん」
「……ほんと?」
「うちが保証する。次は赤点回避や」ルリが微笑む。
その笑みを見た瞬間、拓真の胸がまた熱くなる。
「ありがと……二人とも」
「気にすんなや。彼氏やろ」
ルリがさらりと口にしたその一言に、拓真は心に温かくなるのを感じた。
勉強机の上には、直した赤ペンの山と、お菓子の包み紙が散らばっている。
それを見て、なんだか心がじんわりと温かくなった。
――こうして、拓真の“勉強会生活”が幕を開けた。
中間テスト本番まで、彼の戦いはまだまだ続いていく。
勉強会の片付けがひと段落し、ソファにごろんと倒れ込んだ拓真は、ふと口をついて出た。
「……もしボク、数学でいい点取れたら、ご褒美欲しいな」
「ご褒美?」
ルリが紅茶を口に運びながら問い返すと、ゆずがすかさずにやりと笑った。
「ご褒美なら――キスとかいいんじゃない?」
「っ!?」
ルリの頬が一瞬で真っ赤に染まる。
拓真も、喉の奥が詰まったように声を裏返らせた。
「キ、キスって……!」
慌てふためく二人を見て、ゆずはますます楽しそうに笑う。
「だって恋人でしょ? それくらいのご褒美があった方がやる気出るじゃん」
「そ、そんなこと……」
ルリは言い淀みながらも、ちらりと拓真を見て、目を逸らした。
「……ま、うちでよければ……ええよ」
耳まで赤くしながら、蚊の鳴くような声でそう答える。
ゆずはしてやったりと手を叩いた。
「よっしゃ決定! ……あ、でもルリだけじゃ不平等じゃない?」
「え?」
「だから、私もする」
「えっ!?」
今度は拓真の方が飛び上がる。
けれど、ゆずは照れ隠しのように肩をすくめた。
「ま、ルリがいやなら、私は遠慮するけど。別にいいよね。……ちょっと気になるし」
「気になる……?」
「男子とのキスと女の子とのキスの違いを知るのも勉強になるかなって――あとイケメンだし」
最後の方は小声で、視線を泳がせながら。
ルリは思わず「……何言うてんのよ……」と呟いたが、否定はしなかった。
拓真は顔を真っ赤にして、ただただ呆然とするしかなかった。
こうして拓真は、赤点を避けるための“ご褒美付き猛勉強”を開始することになった。
――そして、中間テストを終え、その結果が授業中に返される。
数学の答案用紙を受け取ると、そこには「72点」の文字。
「っ……!」
思わず机の下で拳を握る。今までの自己最高点。夢じゃないかと思うほどだった。
ご褒美の約束が、本当に拓真を変えてしまったのだ。
返却日から数日。
拓真の頭の中では、ただ一つのことしか回っていなかった。
――いよいよ、ご褒美の“キス”の話をしなくては。
次回、拓真の運命のご褒美タイムが幕を開ける。
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