第3話

「今日は忙しいんだよ、他所を当たれ」

 アイスクリームに視線を戻し、スプーンで一口掬って口にいれる。せっかくのドルチェタイムを邪魔されたくなかったし、ここはマーサの店だ。彼女の迷惑になる事は避けたい。さらにもう一口、とスプーンでアイスを掬ったところで、横から伸ばされた手がアイスクリームが入ったグラスをテーブルの上から薙ぎ払った。ガラスの砕け散る音を聞いて、周りにいた客達が不穏な気配を感じたのか、いそいそと外へと逃げていく。


「そんなツレない事いうなよ、お前の出所祝いの為にわざわざこうやって駆けつけてやったんじゃねぇか。どうせお友達もいないと思ってよ」


顔を上げると、男がにやにやと下卑た笑みを浮かべていた。脱色した髪の毛は伸びきっていて、根本は少し黒くなっている。こいつがどうやらこのグループのトップのようだ。恐らくどこかで会ったか、過去に喧嘩をしたのだろうが、残念ながらジュリアーノは彼の事を全く覚えていなかった。


「あー、ごめん。マジで誰?」

「……なるほどな、刑務所暮らしでボケたらしいな」


 周りにいるチンピラ達がゲラゲラと笑う。

 食べる筈だったアイスクリームは床の上。行き場をなくしたスプーンをくるくると回しながら、ジュリアーノはこの馬鹿なチンピラ共をどうするべきかを考えていた。ミラベッラファミリーの下っ端も下っ端なので、おそらく殴ったところでさほど問題にはならないだろうが、マーサの店で暴力沙汰は避けたい。あとで修理代と迷惑費をどれだけ請求されるかわかったものではないからだ。

 しかし、どうにも話が通じる相手では無さそうだ。小犬と同じで、弱い奴ほどよく吠えるというのは人間も同じである。


「おいおい、どーしたァ?ビビってんのか?今は、お前にくっついてるでかい従兄弟も偉いオジサンもいないからな〜!」


 ギャハハと下品な笑い声をあげながら、チンピラ達は更にジュリアーノを煽り立てた。


「……なぁ、聞きたいんだけどさ。お前は道端に落ちてる犬の糞の事をいちいち覚えてるか?」

「……オイ、何が言いてぇんだ?」

「あれ、わかんねぇ?お前らが犬の糞と同じくらい、俺にとってはどーでもいいって話」

「ふ、ふざけやがって!」


 チンピラのうちの一人が背後からジュリアーノに殴りかかった。ジュリアーノはさっとかわして男の後ろに回り込み、後頭部を鷲掴みにするとそのままテーブルに顔面を叩きつける。手に持っていたスプーンを持ち替え、男の目の前に突きつけた。あと数ミリずれていればスプーンの先が男の眼球をえぐっていただろう。ここまでたった1秒程度の事だった。


「ひいっ」


 男は自分につきつけられているスプーンの先を見て小さく悲鳴をあげた。周りにいたチンピラ達は、このままでは敵わないと気づいたのか、焦った表情でポケットから小さなナイフやらメリケンサックを取り出し始めた。


「ここじゃあダメだ。外なら相手してやる」

「う、うるせえええ!!」


 ナイフを手に、チンピラが一人ジュリアーノに向かって突進してきた。動きが大袈裟なのでかわすのも容易い。

 サッとかわし、右足を上げて抉るようにして蹴りを入れると、チンピラ男の身体はテラス席のテーブルを薙ぎ倒し、見事に外の通りまで吹っ飛ばされた。


「やべっ」


 蹴飛ばした男を追いかけてジュリアーノも店の外へと飛び出す。路地裏に先ほどの男が泡を吹いて転がっている。先ほど男と一緒に吹っ飛んでしまったマーサの店のテーブルは見るも無惨な姿となって転がっていた。


「おいおい、おめーらのせいで店のテーブルがぶっ壊れただろーが!どうしてくれんだよ!」

「テーブル壊したのはテメェだろうが、ジュリアーノ!!人のせいにすんな!ふざけんじゃねぇ!」


 チンピラ達の反論は尤もである。


「やっちまえ!!」


 チンピラのうちの一人が奇声をあげながらナイフを振り上げ、ジュリアーノに飛びかかった。続けとばかりに残りのチンピラ達も各々の武器を片手にジュリアーノへ向かっていく。


「ちっ、めんどくせぇ……なっ!」


右脚の靴底でスタンプを押すようにチンピラの顔に脚を突き出す。メキッと嫌な音がした。おそらく相手の鼻が折れたのだろう。次に素早く脚を入れ替え、後ろへハイキックを繰り出す。相手は大きく吹き飛ばされ、顔から血を流して痛みに呻いていた。


「くそっ、数ではこっちが勝ってんだ!潰しちまえ!」


 喚くチンピラに向かってジュリアーノが笑う。


「バーカ!ゼロには何を掛けたってゼロだろ!雑魚は黙って死んどけよ!」


 繰り出されたナイフを避け、腕を掴んではたき落とす。そのまま膝を腹部に叩きつけると、チンピラは吐瀉物を吐き出しながらその場に倒れ込んだ。


「身の程をわきまえろ……よっ!」


 脚を振り上げ、道路にのびているチンピラ男の脳天めがけて振り下ろす。ジュリアーノの踵が男の頭蓋骨をかち割る――かと思ったが、そうはならなかった。


 ジュリアーノが振り上げた右足を誰かが受け止めていた。チンピラの誰かではない。薄くブルーのストライプのはいったYシャツに、青みを帯びた黒髪。意志の強そうな瞳がジュリアーノを射抜く。見覚えのある顔だった。


「もうやめろ、やりすぎだろ」

「はぁ?コイツらが喧嘩売ってきたんだぜ。俺はヒガイシャなわけ。わかる?オニーサン」

「わかってる。でも、これ以上はお前が悪者になるぞ。流石に過剰防衛だ」


 周りを見渡すと、メインストリートから騒ぎを聞きつけて野次馬達が集まってきていた。皆、何事だと興味津々な様子でスマホを掲げて写真を撮ろうとしている者もいる。よく耳をすませば、遠くからパトカーのサイレンの音も聞こえてきた。流石に出所当日に拘置所に逆戻りは勘弁願いたいところだ。


「チッ」


 舌打ちをして、精一杯の不満を表明してから脚を下ろした。目の前の男に視線を移す。どこかで会ったような気もするが、決して刑務所の中ではない事は明白だった。身なりはきちんとしているし、顔つきから、品行方正に生きてきたということがわかるくらい、真っ直ぐな目をしている。曲がったことは大嫌いという様子だ。


「……お前、ジュリアーノか?」

「は?」


 ジュリアーノが男の様子を観察している間、男の方もジュリアーノの事をじっと観察していたようだ。突如知らないはずの男に名前を呼ばれ、思わず眉間に皺が寄る。


「俺の事、覚えてるか?子供の頃、夏に海沿いの別荘で一緒に遊んだんだが……」


 ――夏、海沿いの別荘。


 その言葉で、ジュリア―ノの頭の中に過去の記憶がまざまざと甦った。


 砂浜に面したテラスから見えるコバルトブルーの美しい海。毎朝カモメの鳴き声で目を覚ませば、少し離れた崖の上のレモン畑から爽やかな香りが漂ってくる。そして、そのレモン畑にはいつも、蒼い目をした友達が待っていた。確か、あいつの名前は――。


「ロミオ!!」


 頭の中でピースがハマった。

 あの夏の別荘で出会った、初めての友達。

 イタズラばかりするジュリアーノに困った顔をしながら、なんだかんだでいつも後をついてきた奴。昼間は海で泳いで、砂浜で遊びつくした後は、近くのレモン畑の木陰で昼寝をした。

 久々の再会だ。あの日からもう十年以上は経っている。身長はおそらく百八十は超えているだろう。ジュリアーノだって小さくはないはずだが、ロミオの事は見上げる形になってしまう。ワイシャツの上からでもわかる鍛え上げられた肉体のせいか、もうすっかり大人の男といった感じだ。それでも、海と同じ色の瞳は子供の頃と同じように真っ直ぐにジュリアーノを見つめてくる。レモンのような爽やかな香りがほのかに薫っているのも、あの頃と変わらなかった。

 あまりに懐かしくて、気づけばジュリアーノは思わず飛び上がってロミオに抱きついていた。ロミオはいきなり抱きつかれたことによりバランスを崩し、その場に尻餅をついた。


「ロミオ!ロミオじゃん!懐かしいなぁ!お前、なんでここにいんの?!」

「いてて……。仕事だよ。この街に異動になったんだ」

「すげー偶然!!てことは何、お前しばらくはこの街にいるってこと?」

「まぁな。……って、こんなところで喋ってる場合じゃない。面倒な事になる前に、ここから一旦離れるぞ」


 そう言って、ロミオはジュリア―ノの手を引いて駆け出した。大通りとは反対側の、更に奥の路地へと入っていく。適当に右、左と曲がり角を曲がり、壁を伝う大きなパイプの陰を見つけて二人で身を隠した。しばらくチンピラ達と警察官達が揉み合っている声が聞こえていたが、しばらく息を潜めていると、それはすぐに聞こえなくなった。


「お、いなくなった」

「……お前、いつもこんな感じなのか?」

「こんな感じって?」

「すぐに誰かと喧嘩したりとか」

「あー……、ここ最近はあんまなかったんだけどさぁ。ほら、俺って目立つし?出る杭は打たれるってよく言うじゃん」


 ここ最近喧嘩をしていなかったのは刑務所に入ってたからなわけだが、その事については黙っておいた。見た目からして真面目そうなロミオに前科ありなんて事を言ったら、ドン引きされるに決まっている。他の奴ならどう思われようと別に気にしないが、ロミオにそう思われるのはなんだか少し嫌だった。


「……確かに。お前は目立つもんな。でも、そのおかげでお前を見つけられた。感謝しないと」


 ロミオは小さく笑うと、ジュリアーノの髪に触れ、そして頭を撫でた。子供の頃と同じように、小さな子供を宥めるといった具合に。


「お、おいっ!」

「真っ赤な髪の毛が見えて、もしかしてって期待したけど……まさか本当にお前だったとはな。十二年前、あの火事があっただろ?いきなり連絡が取れなくなったから本当に心配だったんだ。もちろん、生きているとは思ってたけど……」


 ジュリアーノとロミオが出会った別荘地というのは、両親が火事で亡くなったあの別荘地だ。十二年前、あの日の夜に両親が亡くなった為、叔父であるマテオが急いで迎えに来て、ジュリアーノはそのままマテオに引き取られた。だからロミオに別れを告げる暇もなく、連絡先も知らなかったので、結局今の今までロミオとは音信不通だった。これから先も、会えるなんて思ってもみなかったことだ。


「あぁ……心配させて悪かったよ。実はあの夜、父さんも母さんも亡くなって、身内に引き取られたんだ。だからバタバタしてて……。でも、今はこの通りピンピンしてる」

「あぁ、そうだな。本当に良かった。また会えて嬉しいよ」


 ロミオがジュリアーノを強く抱きしめる。いきなり熱烈なハグをされ、ジュリアーノは困惑していた。ロミオの背中に回すべきか悩んだ両腕が中途半端に宙に浮いている。

 ロミオってこんな奴だったっけ?子供の頃はもっと小さくて、ジュリアーノの後ろを泣きべそをかきながらついてくるような奴だったはずだ。それが、今では随分話し方も落ち着いているし、大人びて、まるで別人のようだ。


「……うん。俺も、お前に会えて嬉しいよ」


 ロミオの背中をポンと軽く叩き、ジュリアーノはロミオから身体を離す。


「お前、この街は来たばっかりなんだっけ?」


 ジュリアーノが尋ねる。


「あぁ。つい先週に着いたばかりだ」

「じゃあさ、少し時間ある?俺の故郷、案内してやるよ!」

「いいのか?」

「もちろん。ただ、案内料としてジェラート奢れよ」


 パチンとウィンクが飛んだ。 

 

 

 

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