第3話


真っ暗に染まるオフィス街。


太陽はとうにビルの向こうへと沈んだはずなのに熱気はなおも街を包み込んでいた。


半日でいったい何社まわっただろうか……


汗でシャツが肌に張り付き、足はすでに悲鳴を上げていた。

それでも胸を満たす高揚感と軽い足取りが、そんな疲労感すら吹き飛ばしてくれているようだった。


こんなふうに気持ちが満ちている理由、それは……



「さ、三社成約………!!」



「おめでとうございます、先輩」



隣で涼しい顔で拍手をする藤沢に、俺は今日半日を振り返り改めてこの後輩が化け物であることを痛感した。

なんせこの入社以来初の快挙——半日で三社成約なんてサッカーでいうところのハットトリックを決められたのは、何を隠そう藤沢の全面サポートの賜物だったためだ。



同行についた藤沢は本当にすごかった。



まず一社目の商談前。

緊張でガチガチになった俺に藤沢は一言だけ囁いた。

——対面して「二秒」、笑顔で相手の目を見てください。

俺は「え?」と戸惑いながらも藤沢の言った通りにしてみると……

商談に入る前から伝わる、先方の和らいだ空気感。

普段なら堅くなりがちな会話も今日はやたら自然に弾んで、終始穏やかな雰囲気のまま進んでいった。

そして懸念してたクロージングも驚くほどすんなりまとまり、見事成約が決まった。

そのあっけなさは思わず拍子抜けしてしまうほどだった。


部屋を出た俺は興奮混じりに先ほどの“二秒”の意味を訊ねた。

藤沢は淡々とこう言った。


「人は出会って二秒で相手の印象を決めます。

そして、笑顔は相手の警戒を解くいちばんの武器です」



——うわ、やっぱこいつデキる……!



あのときの俺の感嘆の吐息はいまでもはっきり覚えてる。

そしてそれ以降も藤沢はさまざまな形で俺をサポートしてくれた。

営業テクニックのアドバイスに始まり、商談中俺が反論に口ごもると決して出しゃばらず、それでいて俺の顔も立てつつ、相手の角も立てない絶妙なバランスでクロージングを決めていったりと。

そのどれもがあの涼しい顔のまま平然とやってのけてしまうのだからすごい。


そして最後の取引先から出た瞬間。

俺はもう心の底から納得していた。



(そりゃ売れるわけだよ…!)



藤沢一也のその非凡な才能に。




「ふ、藤沢!」



まっすぐ前を歩いていた藤沢に駆け足で追いつくと、「なんですか?」と振り返った藤沢の歩くペースが少し落ちた。



「おまえ…やっぱすごいんだな」



「なんすか突然。…まあでも俺がどんだけすごくても、先輩は三浦さん派なんでしょ?」



「っ!…き、気づいてたのか…」



「むしろあの距離で気づかないとでも?」



「う、す…すまない」



そしてまた藤沢は歩くペースを上げてしまう。

長い脚に追いつこうと、俺も自然と足を速めた。


そのときだった。




「……自信持ってください」



「え?」



不意に飛び込んできた声に、俺は思わず藤沢の横顔を見上げた。



「半日見ててわかりました。…顧客一人一人に向き合う誠実さと、嘘ひとつつかずバカ正直に商品説明する真摯さ。


どれも俺にはない、江島さんだけの強みです。

だから自信持ってください」



逆光で、藤沢の顔はよく見えなかった。

でもほんの少しだけ口元が上がったように見えた気がした。


それが妙にあたたかくて。

ぐっと、胸に熱いものが込み上げた。



(そんなの初めて言われた……)



憧れだった教育系の会社に入社できたものの、

営業部に配属された瞬間、俺の社会人ライフは詰んだと思っていた。

案の定、同期の中でいちばん成績悪くて。

後輩ができても気づけばすぐに抜かされていた。

三浦たちとは仲良いけど、営業としては肩を並べてないことを俺もあいつらもわかっていた。

部長からも期待されていない。

新入社員にすら舐められてるのが肌でわかる。

……そんな情けない俺のことを。



「まぁクロージングは弱すぎるんで、ロープレの数をこなしてください」



藤沢はそうなんとなしに言ったあと、「…俺でよければ付き合いますケド」と軽く付け足した。



思わず、俺は藤沢のスーツの裾をきゅっと掴んだ。

ガクン、と前のめりになった藤沢が「ーっなんですか!」と振り返ろうとしたその瞬間。

俺はそっと言葉を落とした。



「……ありがとう、藤沢」



視界に、目を見開く藤沢の表情が映る。



ずっと俺は誰にも期待されてないと思っていた。

誰も俺のことなんか見てないって——

誰の視界にも営業としての俺は映ってないってそう思ってたんだ。


でも違った。



「……ウス」



顔もとを手で隠した藤沢の表情はもう見えなかったけど。

その耳元がほんのり赤くなっていたのを俺は見逃さなかった。


気づかれないようにこっそり笑う。

そして、ふたたび声をかけた。




「よし!このまま飯でも行くか!」



「あ、今夜はサッカーの中継見るんでムリっす」



そう言いながらスマホを開き、呆然とする俺の横で淡々と帰りの電車を調べ始める藤沢に、俺はもう一度心の中でこう叫ぶのだった。



(〜〜〜っやっぱりこいつはイケすかない……!!)

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