お墓で人は死んでいない

月這山中

第一話 ウロ



 墓という場所は。

 墓という場所は、人を弔うために有る。

 骨や遺物をおさめて供養する場所であり、その場所で誰かが死んだわけではない。

 なのに「気配」を感じずにはいられない。墓そのものをかつて生きていた人に見立てて、人は弔う。


 想起。

 情愛。

 悔恨。

 懺悔。


 人は墓を見ると、想わずにいられない。




 時宗瑠佳ときむねるかの転校先は変だった。広い広い墓地の真ん中に建っているのだ。

 烏鷺山うろやま高校はこの町唯一の学校で、生徒数も瑠佳を入れて十一名と少ない。

 こんな場所に建ってるからだ、と瑠佳は根拠のうすいことを思う。坂道で重いペダルを踏み込む。


 墓地は山をおおっていて、その中腹に烏鷺山高校は建っている。じゃあこの山が烏鷺山かというとそうではない。烏鷺は囲碁を意味する言葉なのだそうだ。黒い烏と白い鷺を碁石に見立てた言葉らしい。じゃあ囲碁の強豪校なんだろうか。聴いたことないけど。瑠佳はどうでもいい思考をめぐらせる。


「はあ、はあ、疲れたぁ……」


 自転車置き場に留めて、ようやく一息ついた。早く原付の免許が欲しいな、その前にお母さんの許可を取らなければ、と瑠佳はポニーテールを直しながら思った。

 散っていく桜の花びらをかき分けながら、校舎へ向かう。入り口に一人の女子生徒が立っている。


「ええと、誰?」


 疲れのあまりおざなりな問いかけになってしまった。

 すらりと背が高くて髪は黒いショートカット、スカートを履いていても中性的で、ミステリアスな雰囲気の美人。昨日自己紹介した時に見たはずだ。三年生で瑠佳の一つ上だが、生徒数が少ないために教室は共通だった。

 瑠佳は思い出しながらぼさぼさになった髪を手櫛で整える。花びらが落ちた。

 彼女はなぜか意外そうな顔をして、うつむきがちに微笑んだ。


古蛇ふるだみおり。よろしくね、瑠佳くん」

 手を差し出された。自分は女の子なのに、くん付けなんだ。と、瑠佳は少しむずがゆい気持ちになった。

「よ、よろしくお願いします」

 瑠佳はその手を握る。ふと、疑問が湧きたつ。

「こんなところで何を?」

「んー、あなたを待ってた」


 みおりの言葉に思わず心臓がはねる。


「冗談ですよね」

「うん」

 仲良くなれるだろうか、と瑠佳は不安になった。



 瑠佳とみおりは二階の教室へ入る。

 十一台の机と椅子があり、九人の生徒が談笑している。黒板を見ると大きく『一時間目 自習』と書かれていた。


「このあいだ中屋先生がやめて、教師は久那杜くなと先生だけになってしまった。それでこの人がまあ、すごい遅刻魔」

 みおりが肩を落として言った。

「好きなことができていいけどね。瑠佳くんも過ごし方を早く見つけなよ」

「受験勉強とかしないんですか」

 瑠佳は気になって、みおりにたずねた。


「……うん、そうだね。ここから離れられる気はしないし」

 含みのある言い方をして、みおりは一番後ろの、窓際の席に座った。瑠佳はもう少し彼女と話したかったが、見えない壁のようなものを感じて踏み出せなかった。

 瑠佳は教室に居づらくなって、なんとはなしにトイレへ向かった。

 一時間目のチャイムが鳴る。

 


 トイレから出た時だった。

「おい、お前」

 急に呼び止められた。男子だ。

 黒縁メガネの向こうから半眼が睨んでいる。背は瑠佳と同じくらいだが痩せている。マイペースな割に神経質そうだと直感的に瑠佳は思う。

「古蛇と話していただろ」

「えっ、嫉妬?」

 恋の予感に思わず口を滑らせた。みおりに気があるのだろうか。しかし彼はため息をついた。


「墓を見ている理由を聞き出せたか」


 急に何。と瑠佳は思った。

「そんな約束してないよね。っていうか、君とは一度も話してないし」

「聞き出せたかと聞いている」

「知りませんって」

 むっ、と口をとがらせて彼は中指で眼鏡を上げた。


黒井戸劉くろいどりゅう。一年。両親が三国志マニアだから、劉備の劉だ。だけど、俺は別に好きじゃない」


「は、はあ……」

 突然の自己紹介。瑠佳は気のない返事をするしかなかった。というか、後輩だったのか。敬語を使え。と瑠佳は静かに憤る。

「三歳の頃からこの町の郷土史を研究している。無論、烏鷺山高の歴史も含まれている。協力しろ」

「嫌です」

 瑠佳は言い切って、黒井戸の横を通り過ぎた。

「お前にも関係あることだ」

 黒井戸は追いかけてきた。

「やだ、ストーカー」

「横文字でごまかすのはやめろ。協力してもらうぞ」

 黒井戸は瑠佳の都合を考えるつもりはないらしい。

 どうせ同じ教室だ。しぶしぶ瑠佳は承諾することにした。


「わかりました。聞き出せばいいわけね」

「ああ、そうしてくれ」

 それにしても、みおりは墓を見ていたのか。瑠佳は窓の外を眺める。灰色の墓標が立ち並んでいた。その色は手前の方が鮮やかに見えた。



 二時間目になって、ようやく教師の久那杜が現れた。

「教科書開け。わからんことがあったら聴け。以上」

 そう言うと、無精ひげを掻きながら椅子に身体を預けた。

「あの、いいですか」

 瑠佳は手を上げた。

「なんだ、時宗」

「どうしてこの学校って、墓地の真ん中に建ってるんですか」

 斜め前の席の黒井戸が睨んでくる。

「あー、土地が安かったんだろ。以上」

 言うと、久那杜は大きな欠伸をした。これでは勉強について聴いても碌な答えが返ってこなさそうだ。


 黒井戸が席から立ち上がった。

「烏鷺山高の前身は烏鷺寺という仏閣でした。町の子供たちを集めて学習の場としていましたが、明治に当時の住職が亡くなり廃寺となってしまった。そこで町の者たちが寄付をあつめて学校を建てたのです」

「おう、ありがとう黒井戸」

 久那杜は手を上げて礼を言う。黒井戸が座った。

 くすくす、と笑い声が聴こえた。

「椎名、集中しろー」

「はーい、久那杜先生」

 顎を掻きながら注意しても説得力はない。笑っていた椎名という女子生徒も慣れた様子だ。



 昼休み。

 瑠佳に対して、弁当入れを下げた椎名が話しかけてきた。そばかすの目立つ快活そうな女子だった。

「ありがとう、瑠佳さん」

「お礼言われるようなことしたっけ」

 椎名は弁当を下げたままの手を胸の前で組んで目を輝かせる。

「さっきの久那杜先生かわいかったー! あたしの推しなの!」

「推し」

 瑠佳は面食らっている。

 椎名は気にすることなく話を続ける。

「一緒にお昼食べよ。推しの布教させて! っていうか聴いて!」

「あ、うん。みおりさんも誘っていい?」


 墓を見ている理由をみおりから教えてもらおうと瑠佳は思っていた。

 しかし椎名は、ふっ、と無表情になった。


「あの人の話、やめといたほうが良いよ」


 静寂。談笑していた生徒の声もやんで、時間が止まったようだった。当のみおりは既に教室からいなくなっている。

 瑠佳は息を呑んだ。

「⋯⋯そんなことより、食べよう!」

 椎名は何事もなかったかのように瑠佳の正面に座った。弁当を開ける。瑠佳も弁当を鞄から取り出す。


「じゃあ、みおりさんの話はいいけどさ、この学校って変だよね」

「お墓に囲まれてるから? それならさっき教えて貰ったじゃん」

「そうだけど、墓地自体がなんか変、っていうか」

 椎名は首を傾げる。

「あたし詳しくないんだ。推し追いかけてこの学校来たし」

「そうなの?」

「うん、去年急に地元へ転任するっていうからあたしも親に無茶言って編入しちゃった。推しの地元だよ、推しの地元! あーもう、ここに骨埋める、死んだっていい! あ、下宿代は自分でバイトして貯めたんだ、それからさあ⋯⋯」


 昼休みが終わるまで、終わってもなお、椎名による久那杜先生布教は続いた。

 四時間目の休憩にも、トイレにまでついてくるので、瑠佳は腹を押さえる。


「あ、あたたた、なんか、お腹が⋯⋯」

 無論、芝居だった。


「え、大丈夫? 推しがいた空間吸う?」

「それはやめとこっかな、ちょっと休むね」


 保健室に逃げ込んで椎名を撒いた。年老いた保険医はとくに何も言わずベッドを貸してくれた。

 仕切りのカーテンを閉じてベッドに寝転ぶ。


「おい」

 黒井戸が保健室へ入ってきた。カーテンを乱暴に開く。

「デリカシーってもんがないのかね」

「横文字はやめろ。古蛇から聞き出せたか」

「っていうか、そんなに知りたいなら自分で言いなよ」

「……」

 黒井戸は押し黙る。

「何? 美人相手は緊張するとか?」

 なら私は不美人ってことかい、と瑠佳は自分で言った言葉にツッコむ。

「⋯⋯違う」

「じゃあ、どういう理由」

「古蛇みおりが墓に入るまで、話すことは禁じられている」


 瑠佳は耳を疑った。

 墓に入る。とは、どういう意味か。


「なにそれ、いじめ?」

「掟だ」

「だから、それがいじめだって」

「最初から説明したほうが早いな」

 丸椅子を持ってきて黒井戸はベッドの側に座った。

「まず烏鷺寺の縁起として山にいた化け物を調伏したことに由来する。それがウロと呼ばれていた。烏鷺の漢字は後世の当て字だ。ウロ、つまり木や岩に空いた穴を意味している」

「穴? 穴をチョーブク、ってなに」

「退治した、ということだ」

「退治、できるの?」

 どういうこと、と瑠佳が聴く前に黒井戸は続ける。


「ウロは人に憑き祟り殺す。この噂を聴きつけた高僧はウロに憑かれた人間をことで調伏した」


 黒井戸の話は、易々と瑠佳の理解を超えた。


「待って、ちょっと待って、整理させて。ウロは退治されたんだよね?」

「それがどういうわけか、古蛇に憑いている」


 瑠佳の心臓がはやる。手足の先から腐っていくような感覚がする。気のせいだ。瑠佳は自分の膝をつねった。


「お前は鈍感とはいえ、いつ呪いが蝕むかはわからない。墓を見ている理由を聞き出し、古蛇の未練を解明しろ。それが生き残る唯一の手だ」


 瑠佳は、頭を振って否定した。

「呪いとか化け物とか信じろって言われても、この令和に迷信? オカルト動画の見過ぎ。しかも、いじめの理由にしてるなんて最低だよ。そういうのってさあ⋯⋯」


『――――!』


 甲高い奇声が聴こえた。

「⋯⋯何」

「⋯⋯しまった」

 黒井戸が保健室を飛び出す。それを追って瑠佳も走った。

 椎名が廊下に蹲っていた。


「やっちゃった、やっちゃった、やっちゃった、やっちゃった、やっちゃった⋯⋯」


「椎名さん?」

 瑠佳は彼女の肩に触れようとしたが、黒井戸に止められた。椎名の全身は激しく震えていて、上履きの底が廊下を跳ねる程だった。


「あ、あたしは転校生を待ってたの! 推しの話がしたくて、独り言で、廊下の陰に居たなんて知らなかった! 知らなくて! ごぽっ」

 椎名が咳をした。粘性の黒い液体が廊下を汚した。肉が腐ったような異臭。人間の体液ではない何かだった。


「椎名さん!」

「げほっ、がほっ、なんで返事なんか、するのよ! 死んでるのと同じくせに!」


 椎名が叫ぶ。身体がバネのように跳ね上がって、駆け出した。黒い液体を撒き散らしながら校舎を飛び出す。


「あああああああああああああああああああ!」


 瑠佳は追いかける。とても人間とは思えない速さで椎名は駆けていく。

 トラックの中央で椎名は爆散した。

 黒い染みだけが残り、遺体の痕跡はなかった。



 五時間目。

「あー、知ってる者もいるだろうが、椎名は『転校』することになった」

 教壇の久那杜は冷静に言った。

 古蛇みおりは自分の席に座ったまま窓の外を見ている。灰色の石碑が立ち並ぶ墓地を。その横顔は何を考えているのか、計り知れなかった。

 異常な状況に、しかし誰も異議を唱えたりはしない。瑠佳も何も言えなかった。あのような光景を見てしまったからには。


「ということで、今日はここまで。気を付けて帰れよ」

 生徒たちは席を立ち、頭を下げる。そして鞄を持って、談笑しながら帰宅していく。

 ただ、みおりだけは窓の外を見たまま動こうとしない。彼女の黒いショートカットの髪を瑠佳は見つめる。

 瑠佳は鞄を手にして教室から出ていこうとした。黒井戸はすでにそうしている。瑠佳の本能も、関わってはならないと警告している。

 しかし。

「一緒に帰ろう」

 瑠佳はみおりに話しかけた。

 みおりは意外そうな顔をして、うつむきがちに微笑んだ。

「いいの?」

「私は信じないよ。あなたがウロに憑かれてる、なんて」

 瑠佳は手をさし出す。みおりがその手を取った。



 二人は墓地を抜けたあと、別れることになった。

「じゃあね、瑠佳くん」

「あの、聴いてもいい?」

「んー……何」

 瑠佳はあのことをたずねた。

「なんでお墓なんか見てるの」

 黒井戸に言われたから、自分が生き残るためだから、じゃない。瑠佳自身の興味があったからたずねただけだ。瑠佳は自分に言いきかせる。


「お墓で人は死んでいないんだよ」


 言葉の意味を、瑠佳は理解しきれなかった。

 けれども言葉が続かなかった。みおりの表情が悲し気に見えたから。

「……じゃあね」

 みおりは手を振った。町へは向かわず、来た道を戻っていく。


 やがて夜になる。



 つづく

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