第2話 噂と孤独な片思い
新学期が始まってまだ間もない四月の教室は、どこか浮足立っていた。特に昼休みともなれば、三年生とは思えないほど賑やかだ。そんな賑わいの中心にいるのは、いつも決まって、クラスの女子グループ。今日も高橋菜月や伊藤遥香たちが、楽しそうに話しているのが聞こえてくる。俺は、プリントの仕分け作業を終え、ほっと一息ついていた。隣の席では、咲良が黙々と書記の仕事をしている。
「ねえ、聞いてよ。和樹と咲良って、付き合ってるの?」
伊藤の甲高い声が、俺の耳に届いた。彼女たちの会話は、ほとんど噂話で構成されている。和樹、咲良。その二つの単語が、俺の心臓を不自然に跳ねさせた。
「えー、どうだろうね。でも、いつも二人で一緒にいるじゃん? 今日も見てよ、クラス委員の仕事とはいえ、超仲良しじゃん」
高橋の声が続く。彼女たちの視線が、俺と咲良に向けられているのを、俺は知っていた。咲良は一切顔色を変えることなく、淡々と書類をまとめている。
「だよねー! 和樹くん、バレー部でかっこいいし、咲良ちゃんも美人だし、お似合いだよね」
伊藤の言葉に、俺は頬が熱くなるのを感じた。別に、彼女たちの言葉を真に受けているわけではない。ただ、ほんの少しだけ、期待してしまう自分がいる。もし、本当にそうだったら。咲良と、恋人同士だったら。そんな夢のような妄想が、頭の中に広がっていく。
昼休みが終わり、午後の授業が始まる直前、咲良が俺に声をかけてきた。
「西山くん」
「ん、どうした?」
彼女は、俺の顔をじっと見つめた。その瞳は、いつものように感情が読み取れないほど澄んでいた。
「勘違いしないでね」
「……え?」
突然の言葉に、俺は心臓が凍りついたような感覚を覚えた。
「私たちが一緒にいるのは、ただクラス委員の仕事だから。友達でも、ましてや……そういう関係でもないから」
彼女はそう言うと、俺に背を向け、席に戻っていった。
頭をガツンと殴られたような衝撃だった。噂話を聞いて、ほんの少しだけ期待していた自分が、馬鹿みたいに思えた。そうだ、俺はただの「便利な下僕」だ。それ以上の存在ではない。彼女は、噂が広まることを恐れて、俺に釘を刺したのだろう。
俺は、一人、席に座り、胸の内に広がる孤独感に耐えていた。
「おい、和樹。どうしたんだよ、顔色悪いぞ」
昼休み中、クラスの女子グループの会話に耳を傾けていた俺に気づいたのか、隣の席の健太が心配そうに声をかけてきた。
「なんでもない。ちょっと疲れただけ」
そう言って、俺は無理に笑顔を作った。
「そうか? お前と月島、最近仲良いって噂だぜ。いいじゃん、お前、月島のこと好きだったろ?」
「…………」
俺は何も答えなかった。健太は、俺の態度を見て、何かを察したように黙り込んだ。
咲良は、俺の気持ちを、薄々知っていたのかもしれない。だから、これ以上勘違いさせないように、わざと突き放すような言葉を言ったのだろう。そう思うと、胸が締め付けられるように痛んだ。
俺は、彼女に振り向いてもらえない。それは、分かり切っていたことだ。でも、それでも、彼女の隣にいられるだけで良かった。クラス委員という肩書きが、俺に咲良の隣にいる口実を与えてくれた。
放課後、俺はクラス委員の仕事で、教室に残っていた。今日提出する書類の最終確認をしていると、咲良が、俺の隣にやってきた。
「西山くん、それ、私がやる」
「え、でも……」
「いいから。今日はもう、疲れたでしょ」
彼女はそう言うと、俺の手から書類を奪うように取った。その指先が、一瞬だけ俺の指に触れた。微かに震えていたような気がした。
「じゃあ、俺はもう帰るよ」
俺はそう言って、逃げるように教室を出た。彼女の優しさが、今の俺には辛かった。
校舎を出て、駐輪場に向かう途中、俺は誰にも見られない場所で立ち止まり、空を見上げた。夕焼けに染まる空は、とても綺麗だった。
俺は、ただの「便利な下僕」だ。でも、それでいい。彼女の役に立てるなら、それでいい。そう、自分に言い聞かせた。そうでもしなければ、この片思いは、ただの苦しいだけのものになってしまうから。
そんな俺の心の中に、まだ誰も知らない、もう一つの世界があることを、俺はまだ知らなかった。
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