第4話 光の裁き
男は静かに顔を上げた。
そして、光に向かって語りかけた。
「私は、ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン」
アーシャは息を呑んだ。
現代史の教科書やニュースで、彼女の中では「偉人」であり、「英雄」として映っていた名前だった。
「私が為したことはすべて、国家のためであった。革命を護り、帝国主義の包囲網から祖国を守るためには、血が必要だった。犠牲がなければ未来はない。私は、民に銃を向けたことはない。だが、敵には容赦しなかった」
その声は、鉄を擦るように重かった。
圧倒されたまま固まってしまう。
スターリンは語り続けた。
5カ年計画の達成、ナチス・ドイツの撃退、工業国としての飛躍。
民衆を飢えさせたのは悪天と不忠な部下のせいだと。
大粛清は国家を裏切る者を排除する必要な手段だったと。
その語り口に、次第に引き込まれそうになった。
だが、そのときだった。
「その話、お前が都合よくしゃべっているだけじゃあねえか?」
背後から、別の声が響いた。
振り返ると、そこに立っていたのは、古めかしいスーツ姿の男だった。
頭には傷があり、額に鈍く光るアイスピックの痕が残っている。
だが、毅然とした態度で、光の前に立っていた。
「久しぶりだなヨシフ、俺だよ」
「お前は、トロツキー!?」
「そうだ。トロツキーさ。お前の罪を証言しにきた。……この男は、ソヴィエトの真の革命を裏切り、俺を暗殺するよう命じた独裁者、そして、何の罪もない人民を苦しめた大罪人だ」
「違う、裏切り者はお前だ、レフ!」
スターリンの抗議を意に返さず、彼は静かに、だが激しく語った。
粛清、密告、拷問、死の収容所。
スターリンの「統治」が、いかに無数の命を奪い、言葉を殺し、魂をすり潰していったかを。
言葉を失った。
耳をふさぎたくなる内容だった。
けれど、不思議と逃げ出せない。
続いて、またひとり――太った男が進み出る。
「私もよろしいでしょうか」
「お前はブレジネフ!?」
「そうです、ブレジネフです。あなたの部下として行動しておりましたが、つくづく我慢ならぬものがありました。この場で私の罪も含めて証言いたします。」
「俺が引き上げてやったのに、恩を仇で返しやがって…。出鱈目をしゃべるなブレジネフ!」
またもスターリンが抗議するも、彼は元上司の残忍な性癖、強権による狂気の統制、信仰者の迫害――そのすべてを淡々と証言した。
その告発が終わると、次から次へと男たちが現れ始める。
いずれも粛清された側近や軍人-ジノヴィエフ、カーメネフ、ブハーリン、トゥハチェフスキー-
次々と亡霊たちが現れ、スターリンを糾弾した。
「お前達は反乱分子だった!俺は、間違ってなど…いない…」
側近達の数々の糾弾に反論をしていくと、周りから次第に男女老若の無数の叫び声が聞こえ出す。
親を亡くした赤子の泣き声、凍土に埋められた息子を抱いた母親の嘆き、銃声、飢餓を訴えるうめき、祈り……それらが一斉にスターリンを囲み、責め立てた。
―これほどの苦痛を与えていたなんて―
耐えがたいほどの怨念が肌に刺さり、頭に響き、被害者たちへの同情が高まると同時に、目の前の老人を「国家の英雄」と尊敬する念が薄れていくのを感じる。
やがて、光が、厳かに告げた。
「審判の時だ」
その声が響くと、一際責め立てる声が大きくなる。
光が静かにこう続けた。
「民の声は神の声なり」
「汝、功より、罪が重い。よって、無限地獄に行かせることとする」
「無限地獄は、自身の意識以外何も存在しない空間。汝は、自らの罪と永遠に向き合うこととなろう」
スターリンが震える。
「……最後に、汝が人生を誤らなければ、どのような幸福があったか見せてやろう。それが手向けだ」
光が一層強くなり、アーシャの周囲が再びゆらぐ。
――場面は、サンクトブリヌイブルクのとある教会へと変わっていった。
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