第8話 三度目の邂逅

人通りの絶えた商店街。雑居ビルの前にある、古びた自動販売機の灯りがぽつんと瞬いていた。


環はそのすぐ傍、商店街の四角いマスコットキャラクターのオブジェに腰を下ろし、飲みかけのペットボトルを手にしていた。頭上には月。昨日よりも丸く、白く、煌々とした光を落としている。


ハンターから逃げ出したあと、環はショッピングモールで服を調達した。

しかし、そこで現金がなくなり、途方に暮れていた。持っていた財布にお金があまり入っていなかったため、ネットカフェ代と服代でほぼなくなってしまった。

そういえばネットカフェを出て以降何も食べていない。空腹に鳴るお腹を押さえながらぼんやりと夜空を眺めていた。



「今日、どこで寝よう」


独り言のように呟いた瞬間、背後からふっと気配を感じた。


反射的に振り返ろうとした瞬間、誰かの手が素早く伸びてきて、彼女の口元をふさぐ。


 ――しまった。



「また叫ばれたらたまったもんじゃねぇからな。……大人しくしてろよ」





耳元で低く囁かれたその声に、環の背筋がぞくりと粟立った。

聞き覚えがありすぎる声だった。

背後から抱きすくめられる形になった。

環は驚きと怒りを、もごもごと叫ぼうとするががっちりと口を塞がれており、うまくいかない。噛みついてやろうかと思ったが、ハンターは何かを察したのか、さらに力を強めた。



黒いコートの裾が、夜風に揺れている。


「落ち着いたか?」


環が目を細めて頷くと、玖狼は手を離した。


「はあ……。あんたって夜の挨拶代わりに口塞ぐタイプの人?」

環は頬をさすりながら、不機嫌さを隠しもせず尋ねる。


「いや、お前がまた変な声上げて通報されたら、俺は今度こそお縄だからな」


環はじろりとハンターを睨みつけた。そういえば、前回は胸を揉みしだかれたんだった。不快な感覚が思い出される。


「ていうか、なんで毎回私の居場所分かるの?」


「職業柄いろんなツテがあるからな。まあ今回はGPSだよ。お前に叫ばれたときにコートにお土産を仕込んどいた」


開き直ったように言うハンターに、環は慌ててコートのポケットに手を突っ込んだ。


「なにそれ!本物のストーカーじゃん」


胸ポケットに10円玉ほどの小さな丸いプラスチック片を見つけた。

「これか…」

環はハンターに向かって発信器を投げつけた。

「高いんだからあんま乱暴に扱うなよ~」

ハンターは発信器を無造作にキャッチするとコートのポケットに突っ込んだ。

やれやれと肩をすくめて、胸元から何かを取り出しかけたが、思い直したように手を引っ込めた。


てっきりまた戦闘になるかと思ったが、違うようだ。

「 攻撃してこないんだ。

じゃあ何、誘拐でもする気?」


「いちいちケンカ腰だな、お前。

今回は“お話”だけ。あんな目に合わされちゃ、俺も慎重にならざるを得ない」


ハンターは肩をすくめ、面倒くさそうに頭を掻きながら、ため息をついた。


「まずは自己紹介だな。

俺の名前は鏑木玖狼。職業は大学生兼ハンター。

ハンターって言うと何かを捕まえたり駆除したり仕事するだと思うかもしれないが、それだけじゃなく、俺の所属してる機関は人外の『何か』による事件を全般を扱ってる」

玖狼と名乗った青年は、滔々と話し始めた。


「“連続通り魔事件”、聞いたことあるだろ。首筋に噛み痕のある遺体が複数。夜な夜な人が襲われてる。たぶん人間の仕業じゃない。そこで俺が派遣された」


「で、事件のあった近辺を調査してたところに不審な行動をしてるお前がいた。で、身のこなしが人間業じゃなかった。だったら、捕まえて話を聞くだろ」


環は頷きこそしないものの、黙って話を聞いていた。

今までのことがやっと腑に落ちた。やはり通り魔の犯人だと思われていたのか。

たしかに私の行動は、はたから見ればかなり怪しかったかもしれない。


「でもお前の言動から、事件の犯人は別にいるんじゃないかと思えてきた。

だから話がしたいんだ。判断材料がほしい」

「……」

どう答えるべきか逡巡していた。

玖狼はその様子を鋭い目つきで眺めていた。

が、少しして表情を緩め、肩を竦める。


「で? お前の名前は?」

「……言う必要ある?」

「ったく、俺が名乗ったんだからお前も名乗るのが礼儀だろうよ。

まあ、じゃ、“たま”(仮)でいいや。警戒心強くてすぐ逃げるとこ、野良猫っぽいし。」


環は口を尖らせながらも、否定はしなかった。

絶妙に本名に近かったので少しひやっとした。


「そんなに睨むなよ」


玖狼は口の端をあげて笑った。

野良猫扱いは不満だが、抗議したら玖狼に本名を詮索されそうな気がして口をつぐんだ。


玖狼はポケットに両手を突っ込んで、月を仰いだ。


「ま、今は敵ってわけでもねぇ。

だからすぐに捕まえたり攻撃したりはしない。でもお前は、何かを知ってる気がする。だから“たま”、俺に少し付き合ってもらうぜ」


「はぁ、都合のいい話だね……」


環は口元を引きつらせた笑いでごまかしながら、半歩引く。


「今にも殺しそうな顔して追いかけてきたくせに、今さら“話し合いましょう”とか、信用しろってのが無理」

「信じろなんて、一言も言ってない」


玖狼は、環の皮肉を意にも返さずさらりと返す。


「信じてもらわなくて結構。交渉が無理なら、こっちにもやり方がある。」

「……結局力技ってこと?」


環はため息をつき、肩をすくめた。

「私に選択肢なんかないじゃん……」


小声でそう呟くと、壁にもたれながら腕を組み、目を逸らした。

確かにこのまま逃げ続けていても埒が明かない。そして何よりもう資金不足で途方に暮れていた。

玖狼は何も言わず、ただ環の反応をじっと観察していた。


「──わかった。もう。いいよ、ちょっとだけ話す。

ただし、しばらく私を自由にするって約束して」

環が深く息を吐き、目を閉じたまま言った。

その言葉に、玖狼は皮肉げに片眉を上げる。


「まあ、犯人じゃないならいいぜ」

その言葉に少し警戒を解き、玖狼を見つめる。

玖狼からは緊張感のようなものは伝わってこない。

むしろ、自販機の品揃えをチェックして「あんまいいのないな~」とか、商店街のマスコットキャラクターを見て「椅子にちょうど良さそうだな~」とか言いつつ、スマホで写真を撮ったりして、完全にこちらを舐め腐っていた。

その様子に少しイラッとしながらも、環は話し始めた。


「まず、君とビルの屋上でやりあった日、私は目覚めたら一人だった」

「…」

玖狼は顎をつまみ、何かを考え込んでいる様子だった。環は話を続ける。あえて、どこで目覚めたかは伏せた。


「どうしてそこにいたのかも、どこからどうやってたどり着いたのかも、全部覚えてない。

ただ、他の誰かがいた痕跡はあった。」


玖狼は無言で頷く。

「あと――」

環は一瞬だけ逡巡し、意を決してコートの前を開いた。


「──制服、こうなってた。」


腹部の生地は、血で色濃く染まっていた。乾ききらず、わずかに硬くなっている。


「うわ、えぐ」

環の制服を見た玖狼は顔をしかめた。

「痛みもないし、傷も見当たらない。どうしてこうなったのかも、思い出せない」

「思い出せないことばっかだな」

玖狼はため息をついてから、少し考え、

「ちょっとめくっていい?」

と環の腹部に手を伸ばそうとするが、環はその手をぺしっとはたき落とす。

「いて」

「触んな。自分でめくる」

傷跡のない白い腹部があらわになる。

玖狼は口元に手をあて

「ふむ」とつぶやく。

その瞬間だけ、玖狼の目が鋭く光った。

そして、

「えい」

と環のお腹をつついた。

「すべすべだな」

「殺す」

環は玖狼の腹部を狙って膝蹴りを放った。

油断も隙もない。


玖狼はひらりと後ろに飛び退き、それをかわした。

「おーこわ、それで他には?」


環は少し考え、小さく「思い出せない」とだけ答えた。

夢で見た喫茶店の青年ことは、口に出すつもりはなかった。


(彼のことは……なんとなく、話さないほうがいいって思う)


玖狼は環をじっと見つめたまま、わずかに目を細める。

相変わらず何を考えているのかわからない。

玖狼はぽつりと呟くように言った。


「──何かを隠してそうな気がするな」

「個人情報とかは隠してるけど」

「隠してんじゃねえよ。どうせそのうち特定されるぜ」

環は眉をひそめる。

「それって…」

「まあいいや、とりあえずお前はまだグレーだ。ついでに記憶喪失が本当なら、お前の記憶の中に何か鍵がありそうだ」

「鍵って、私が通り魔って前提で言ってる?」


「いや、今はフラットだ。お前の言葉が全部本当だったらだけどな。

ただひとつ、確信したことがある」


玖狼は環のコートに隠れた腹部を一瞥する。

「その傷跡。それが本物だったとしたら──“お前はすでに、変異した後”だ」


「……変異?」


環が聞き返すと、玖狼はポケットからスマートフォンを取り出し、ウィンドウをいくつか開いた。

吸血鬼に関する情報が記載されていた。


「吸血鬼は、気に入った人間を“変異”させる。その人間の血を吸い、さらに自分の血を与え、肉体の構造を変える。

その結果、変異させられたやつは老いることはなくなり、身体機能や回復力は格段に上がる……変異後すぐは記憶が混濁することがある。数時間から、数日間」


「──記憶の混濁、確かにそんな感じかも……」


玖狼はスマートフォンをしまいながら、ふっと息をついた。


「…で、“親”はどうした?」


「……え?」


環はぽかんとした顔で聞き返す。

「家には帰ってないけど……まあ、両親は元気じゃない?きっと」


「違う。“その親”じゃない。そこは隠してるわけじゃなかったのか…」

玖狼は眉間を押さえて、ため息をついた。


「お前を吸血鬼に変えたやつのことだよ」

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