第10話 大人の階段

『LINEで済まそうだなんてしないで』

 ひなたの助言に従い、翌日、亮は〈エゴイスターズ〉全員に、直接、部活への復帰を申し出る決意を固めながら登校した。けれど、学校に到着して彼らの姿を見かけると、

 ――なんで、こっちがお願いしなければならないのか。面と向かって断られたら腹が立つしショックだ。一年生が何人か入れば、とりあえず廃部の危機は免れる。……だけど、用賀中学に勝てるとは限らない。

 様々な考えが頭のなかを駆け巡り、心が揺れ、結局、なにも行動に移せないまま練習時間を迎えてしまった。

 練習着に着替えてグラウンドに到着すると、すでに待機していた一年生コンビが、暗い表情を浮かべながら挨拶をして、

「先輩、申し訳ないッス」海人が頭を下げた。

「脅し半分でサッカー部に入るように説得してもダメでした」沙友里は舌打ちでもしそうな顔でそう告げた。

 そっか、と亮は内心の落胆を見せないようにしながら二人に礼をいった。これでいよいよ、〈エゴイスターズ〉が戻らなければ、廃部は決定的になってしまう。だが、亮には彼らを説き伏せる自信がなかった。ひなたを頼ろうにも、相変わらず心を閉ざした様子で、亮と視線を合わそうともしなかった。

「おい、誰も戻ってきてないじゃないか」誠は亮の顔を見るなり、そう指摘してきた。「ちゃんと声かけたのか?」

「いや……」

「頼むぞ、キャプテン。今日と明日しか練習できないんだから。最悪、試合には来てもらわないとな」

 責任から逃れて、いい気なもんだな、と亮は苦々しい気持ちになりながら、「明日はちゃんと声をかけます」と答えた。

 陽介が来ると、誠とおなじように咎めてきた。うんざりしつつ、亮は明日こそ説得に回ると約束した。

 練習がはじまり、ランニングをしていると、野球部やソフトテニス部が楽しそうに笑い声を上げながら準備運動をしている光景が目に入った。

 ――小学生のときは楽しかったのにな。

 亮はそんなことを思い出しながら、仲よく練習をしているほかの部が羨ましくなった。もちろん、全国大会を目指すからには、慣れ合いの関係ではなくて、お互いに厳しいところがなくてはならないだろう。けれど、〈エゴイスターズ〉の場合、ただ足の引っ張り合いをしているだけで、陽介が指摘したように、建設的な話し合いをしている姿を一度も見たことがなかった。

 練習のあいだも、帰宅してから公園で自主練習をしているときも、亮の頭のなかはキャプテンの重責でいっぱいだった。ただサッカーをやることだけに集中したいのに、なぜこんなにも人間関係に煩わされなければならないのか。それはサッカーがチーム・スポーツだからだ。それはわかっていても、おなじ目標に向かっているのであれば、もうすこしまとまりがあってもいいはずだ。いっそのこと部活を辞めて、クラブチームに入ろうか。そうすれば、純粋にサッカーが好きで、もっと上手くなりたいと思ってる連中と一緒にプレーすることができる。

 ただ、亮にはクラブチームの入団試験を受ける勇気はなかった。それに、

『どうしても全国大会でリベンジしたい』というひなたの言葉が思い出された。亮自身も、去年、その権利を獲得しながら辞退するハメになった全国大会に、今年こそは出場したい、という気持ちがあった。

 それから、

『俺がエースストライカーとして、桜ケ丘中はじまって以来の全国大会出場、そんでもって日本一を叶えるッス』

 海人の言葉も亮の胸を打った。サッカー部にも、亮と変わらずサッカーが好きで、高みを目指しているメンバーがいるのだ。逃げちゃダメだ。ここで諦めて、自分から部活を辞めたら、きっと一生後悔する。結果的に廃部になるとしても、できる限りのことをしよう、と心に決めて練習を切り上げた。

 自宅に着いて、ひとっ風呂浴びてから、優香が用意してくれた夕食を口に運んでいると、母親の裕子と次姉の恭香が帰宅した。恭香は高校に入学してから、裕子の店で週に二、三回の頻度でバイトをしていた。シフトに入っている日は二人一緒に家に帰ってくる。

「あら、亮ちゃん、いま夕飯? ちょうどよかった、私たちも一緒に食べようか」裕子はリビングのソファに荷物を置くと、「どうした、元気ない顔して」と亮の顔を覗き込んできた。

「別に――」

「亮が落ち込むのなんて、サッカー以外ないでしょ」恭香がすかさず口を挟んできた。「まさか廃部が決定した?」

「違うよ」

「じゃあ、なに、失恋でもした?」

「え、亮ちゃん、ママが知らない内に彼女できてたの?」

「違うったら」亮は顔をしかめた。

「じゃあ、なんで元気ないのよ」

 裕子と恭香がダイニング・テーブルの向かいに座り、興味津々の顔を向けてくる。そこへ、

「お帰り。……どうしたの、みんなで集まっちゃって」

 亮と入れ替わりで風呂に入っていた優香が、濡れた髪の毛をタオルドライしながら姿を見せた。冷蔵庫から取り出した牛乳をコップに注いで飲みながら、みんなの顔を見回す。

「亮が失恋したって」と恭香。

「嘘、相手、誰?」優香が亮の隣に座る。

「違うってば」亮はうんざりしながら否定した。「部活のことだよ」

 それから亮は、新学期がはじまってから起こった一連の出来事を話した。すべて話さなければ自室に行かせてもらえないからだ。

「つまり、キャプテン亮はいま、サッカー部の命運を握る大役を任されて、ワガママな同級生たちに翻弄されて、深く悩んでいるというわけだ」

 恭香が話をまとめ、腕を組んで真面目くさった顔をして見てきた。

「亮ちゃんがキャプテンか、なんか新鮮」と裕子は微笑む。

「明後日、バイトないから試合観に行こっかな」といいながら、優香は二杯目の牛乳を口にする。

「多分、説得したところで部活には戻らないだろうし、戻ってきたところでまた問題を起こすに決まってる。どうせ廃部が濃厚なら、もうクラブチームに移ろっかな」

 公園で練習していたときの決心が揺らぎ、亮はつい弱音を吐いてしまった。

「別に亮ちゃんがそれでいいならいいけど、自分にとって完璧な場所なんて見つからないからね。いろんな人が集まっている以上、どっかしらに不満はあるものだから。逃げの気持ちで部活を辞めるなら、ママ賛成しないな」

「でも、小学校のときは楽しかった。完璧じゃないにしても、ケンカなんて起きなかった」「そりゃ、中学生になればみんな、自我が強くなってくるからね」と恭香。

「私たちのときも、まあ殴り合いはなかったけど、口論ならしょっちゅうあったよ。そうやって衝突して、お互いの距離感を測って仲を深めていくのが、大人になっていくってことなんじゃないかな」と優香。

「ママもお店のキャプテンみたいなもんだから、パートやアルバイトのみんなの愚痴を聞いたりして大変なんだよ。ね、恭ちゃん?」

「そうそう」

「一番、文句垂れてるのはあんたなんでしょ」

「バレた?」恭香は、優香のツッコミに照れ笑いを浮かべる。「でも、お店の場合はお客さんからのクレームもあるし、傍で見てて、ママは大変だなって思うもん。それと比べたら亮はまだまだ甘いぞ」

 子ども扱いされているようで亮はムカッとした。けれど、働いてお金を稼いだ経験がないため、なにも言い返すことはできなかった。家族のなかで一番年少の身の辛さだ。小学生のときには姉たちから「受験勉強しなくて呑気でいいよね」と、よく嫌味をいわれたものだった。

「ママよりもパパのほうがもっと大変だったんだから」

「なにが?」珍しく裕子が父親の話題を口にしたため、亮は前のめりになった。

「誰も知り合いがいない場所でイチから店をはじめたから、敵対視するようなご近所さんもいて。変な噂を流されたり。それを抜きにしても、最初の頃は中々、お客さんが来なかったし、固定客も掴めなかった。スイーツって、その地域によって売れ筋が変わるから、それを見定めるのにも苦労してた。バイトもそんなに雇う余裕ないし、雇った子はなにもいわずに勝手に辞めちゃったり。あんたたちはまだ小さくて、これから養育費がどんどん嵩んでいくのに、毎月赤字続きで、この先どうなるのかって不安で仕方なかった」

 両親がそんな苦労をしていたなんて、亮は知るよしもなかった。お店に行けば、父親はいつも苦労なんて感じられない笑顔で迎えてくれたし、公園で一緒にボールを蹴るときも、仕事の愚痴を口にするのを聞いたことは一度もなかった。

「大人の階段をのぼる試練なんだと思って、もうすこし頑張ってみれば」

 裕子に優しく諭され、亮は素直にやってみるか、と思えた。父親が生きていれば、きっとおなじことをいうと感じたからだ。

「頑張れ、キャプテン亮」

「負けるな、キャプテン亮」

 姉二人は絶対にバカにしてるだろ、と亮は苦々しく思いながらもなにもいわず、食事を終えると歯を磨いて自室に戻ろうとすると、

「でもさ、亮ちゃん」ダイニングで食事をしている裕子が声をかけてきた。「二年生のメンバーが全員、戻ってきたら、真面目に練習を頑張ってる誰かが試合に出れなくなるかもしれないんでしょ」

 あっ、と亮は声には出さなかったものの、そのことをまったく考えてなかったことに気づき、呆然とした。

「そんなの、監督が決めることじゃないの。それに、上手い選手が試合に出るのが当然でしょ。練習で皆勤賞でも、下手だったら、その子を出すのはチームにとってマイナスなわけだし」

 恭香の言う通りだが、果たして、それを海人と沙友里は納得するだろうか。そんなわけない、と亮は即座に判断を下した。海人は猛と翔真、沙友里は大地と、それぞれポジション争いをすることになるのだが、客観的に見て、二人の能力はまだ彼らに劣る。ただ、二人とも、それを素直に認める性格ではないとわかるだけに、〈エゴイスターズ〉が戻っても新たなトラブルが生まれる可能性は高かった。

 頭痛の種が増えたことで、気が重くなりながら、亮は自室に戻った。

 ベッドの上に大の字になり、ひとまず一年生たちのことは脇に置いておくことにした。とにかく、部員数が十一名を越えなければ話にならない。明日こそは〈エゴイスターズ〉全員に面と向かい、部活に戻ってくれと伝えよう、と今度こそ心に強く誓った。練習試合は明後日だ。明日、人数集めができなければ、桜ケ丘中サッカー部はいよいよ崩壊へ向かう。

 では誰から説得しよう? 猛、翔真、渚、天馬兄弟、大地の顔が次々と脳裏に浮かび、そのなかで比較的、声をかけやすいメンバーが決まった。


 

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