第30話 光輝、勇気を出す
身長162センチで小柄だが、その動きはまるで忍者のように軽やか。それが鴇野光輝である。彼は一年生の中では抜群に守備が上手く、硬球にもよく慣れていた。それは、彼が中学時代硬式野球を経験していたからである。
彼は草薙高校のある草薙市、南の市境あたりに住んでおり、高校へは微妙に距離が遠いので電車で通っている。中学時代は、隣町のさらに隣町の硬式野球クラブ、「
彼は中学時代から守備の軽快さがずば抜けており、私立に進んで甲子園を目指せると言われていたものの、強い希望で草薙高校に進学し周囲を驚かせた。
「…………」
そんな彼は、練習の昼休みに士郎や太一に話しかけようとして躊躇っていた。
光輝が草薙高校を目指した理由が士郎だ。
小豆坂アローズ時代、試合で何度か草薙ボーイズと対戦していた。その時に見ていたこの二人は別格で、プレーに感動して憧れを抱くようになり、特に士郎には強く憧れを抱いた。彼らが進学した草薙高校に自分も入ろうと決意したきっかけとなった。今では憧れの先輩と一緒にプレーできることを誇りに思っている。
が、入部から約三ヶ月経ったのに、彼は事務的な話以外で話しかけられずにいる。その原因にはもちろん憧れが強すぎることもあるが……本人の性格の問題が大部分を占めていた。
彼は、あがり症の上に人見知りだった。
光輝はどちらかと言えば、積極的に前に出て行く性格ではない。どこか遠慮がちで、自分の気持ちを表現することが苦手だ。それ故に誰かに話しかけようとすると、何を話していいか分からず考えすぎて結局声が出ないことがほとんどだった。おまけにそこにあがり症も加わり、いざ話すとなってもあがってしまい声に詰まる。
今日も今日とて、話しかける以前の問題で自分との格闘をしていた。
「鷹助ちゃん、アンダーで150投げたらプロじゃね? てか今でもプロから声かかりそうだけど」
「そうすかね。プロなんて全然無理だと思いますけど」
「無理なことはないと思うけどな。球速だけならプロ並みだぞ。あと二年あるからそのうち注目されるだろうな」
「それ言ったら士郎と太一もじゃない? この間の試合、いたんでしょ? どっかのスカウト。行けたら行きたい?」
「そりゃあ行きたいよ。けどさぁ、俺らの評判てどんなもんよ? 結構埋もれてない?」
士郎、優心、太一、それに同級生の鷹助がそんな話をしている。彼らは小針との練習試合の後からいつも一緒だ。光輝は少し離れたところで一人おにぎりを食べながら聞き耳を立てている。光輝は鷹助をはじめとする同級生ともあまり仲良くは話せていないため、なぜそうなのかを知らない。
「うちの県は埋もれてたピッチャーが育成でプロに行って、大活躍してアメリカにまで行ったこともあるからな。見てる人は見てる」
「友希が言ってましたよ、動画サイトで佐武さんと門前さんがピックアップされてる動画があったって」
「え、僕は?」
「堤さんも一応映ってました。名前出てなかったですけど」
「モブじゃん!」
彼らは笑った。
その話も知っている。動画サイトで去年見つけた。二人は注目された選手だ。その話に割って入りたい、そう思っているが勇気が出ない。どうにかもっと近づきたいがその勇気は持てない。もどかしい気持ちをずっと抱えながら、光輝は今日も憧れを持て余していた。
夏休み、梅雨明けを迎えた夏が本気を出している。うだるような……いや、焼けつくような暑さと蝉の大合唱の中、彼らの練習は続く。
光輝は結局、昼休みのうちは話しかけられず終いだった。
どうしたらお近づきになれるのか考えてみるも、いい方法は思いつかない。何を喋ったらいいかすら思いつかず、その勇気すらない。なかなか絶望的な状態だが、思わぬ形で機会が巡ってくる。
今している練習は、ノックだ。外野手陣がティーバッティングをする中、内野手陣が一箇所に固まってノックをしている。光輝もその中にいて順番にノックを受けているが、後ろに並んでいた鷹助が不意に話しかけてきた。
「鴇野」
名前を急に呼ばれ、びくつきながら彼は振り返る。
「ど、どうしたの冬野くん」
驚いておどおどした返しをしてしまったが、彼はそんなことはお構いなしで質問をしてきた。
「どうやったらそんな上手く守備ができる?」
質問は、えらく抽象的だった。質問から察するに彼は守備が上手くなりたいようだが、具体的にどう、という質問ではない。
こういう質問のされ方が一番困るところだ。が、せっかく話しかけてくれたので、このチャンスは活用したい。ここで話をすればお互いのためになるし、何より士郎たちとも話すきっかけづくりになるだろう。そんな損得勘定もありつつ、彼は「まず詳しく見せて」と提案し、鷹助と順番を入れ替わった。鷹助が光輝の前でノックを受ける。
鷹助はボールを呼んで、青嶋がボールを打つ。なんということはないただのゴロだ。ボールの跳ね方もそう難しくはない。
しかし鷹助は光輝から見るとかなり守備が苦手に見えた。たいていの内野手は足を動かして補球体勢を作り、難しくないバウンドでボールを捌く。鷹助はそれができていないらしい。難しくもないゴロをショートバウンドになるタイミングで捕球しに行き、弾いた。
「冬野! そんな難しいゴロじゃないぞ!」
「すみません!」
あれだけのボールを投げていたのにやはり他は素人に毛が生えた程度。試合で守備についていても彼の守備におっかなさを感じていたが、いまだに改善の兆しはあまりない。
すぐに光輝の順番が来て、同じようなゴロが来る。光輝にとって難しくもなんともない打球。彼は見事な足捌きで捕球、流れるように送球した。
光輝はノック待ちの列に戻ると、鷹助にアドバイスを送った。
「冬野くん。多分、上手く取れないのは打球への入り方だよ。もっとこう……タイミングを合わせなきゃ」
「タイミングか」
「そうそう。今のはショートバウンドのタイミングで取ろうとしたから良くないと思う」
「そういうことか!」
言葉を選んで鷹助に伝える。彼は素直にそのアドバイスに聞き入った。
「あと、実際に守備する時は投げ終わった後だから、それも意識するといいかもね」
「確かにそうだな。次はそうしよう」
光輝からはかなり我が強そうに見えていたが、案外素直に聞いている。少し前、先輩にまで食ってかかっていた彼からはあまり想像もできない。
すぐに次の順番が来て、鷹助は軽く投球動作をして投げ終わった後を想定して練習し始めた。が、そんなすぐには上達しない。また簡単な打球を弾いた。光輝はノックの間、さっきまで損得勘定が働いていたことも忘れ、真剣に、それも一球ごとに彼にアドバイスを送り続けていた。
練習が終わると、鷹助と友希、青嶋が何かを話していた。皆が部室に引き上げて行く中、光輝は少しだけ気になって聞き耳を立てていた。
「寺井さんから連絡があって、今日来てみろって言われました。先生も呼んでこいって言ってましたよ」
「ああ、例の練習場の話か。寺井さん本当に作ってくれたんだな」
「はい。本当にありがたいです」
練習場の話……なんだろうか。光輝は少しばかり好奇心が湧いた。だからと言って話に加わるわけではなく、わざとゆっくり片付けつつまた聞き耳を立てる。
「八時くらいに練習場に行くつもりです。寺井さんがいいって言うならそのまま練習しようと思います」
光輝は一人、驚いていた。
鷹助の練習への姿勢は、誰よりも真剣で常に全力だ。今は夏休みで練習時間が長く、へとへとだろう。なのにも関わらずまだ練習するつもりらしい。
「なら今日行ってみようか。八時に寺井工務店だな」
「はい。よろしくお願いします」
寺井工務店。どこだろうか。光輝はこの時点でかなり気になった。
士郎や太一、優心が一目置く選手が何をしているか、気にならないわけがない。
彼は遠慮がちな性格だが、今は好奇心のほうが勝った。青嶋が話を終えて一人になったところを見計らい、光輝のほうから話しかけた。
「先生、今の話……す、すみません、聞いてしまいました」
「お……鴇野か。聞かれても構わない話だったから謝らなくてもいいが、どうかしたか?」
光輝は少しだけ言い出しにくそうに視線を逸らしたが、すぐに口を開く。
「ぼ、僕も……その練習場に連れてってください!」
「えっ……」
青嶋はその理由を問いただすと、彼はおずおずと理由を語る。そして、それを聞いた青嶋はそれならばと承諾したのであった。
「おお……おお!」
「うわ……すごっ……」
いまだに蒸し暑い午後八時、鷹助や友希の住んでいる地域から少し離れたところにある、寺井工務店の敷地を訪れた鷹助と友希が感嘆の声を漏らした。
寺井工務店の敷地は広い。と言っても、事務所代わりのコンテナハウスが二棟あり、それ以外はほとんどが建築資材か機材が置いてある野晒しの敷地だ。その敷地の隅に、緑色の防球ネットが張られた練習場が照明に照らされて浮かび上がっていた。
練習場はブルペンである。球場さながらのマウンドがあり、ホームベースもしっかり埋められて設置されている。マウンドとホームのあたりには建築足場用のパイプで組まれた簡素な屋根もある。草薙高校のプルペンとほぼ変わらない仕様で、雨でも練習ができそうだ。
彼らが想像するよりも立派な設備だった。それで彼らは思わず感嘆の声を漏らしていた。
そんな彼らの姿を見つけ、明かりの灯るコンテナハウスから作業着姿の洋次が近寄ってきた。
「よう、来たな、二人とも。どうだ?」
「すごい……すごいです! 橋の下とは比べ物にならないです! ありがとうございます!」
二人は揃って頭を下げると、
「そうだろそうだろ。渾身の出来だ」
と言って、洋次は満足げに笑みを浮かべた。
「力作だよ。実はもう若い衆に一回使ってもらったが、問題ないってよ。早速やってくか?」
「はい、やらせてもらいます! ありがとうございます!」
練習する気満々で来ていた鷹助はハーフパンツにTシャツ、ハーフパンツの下に運動用のレギンスを履いて、スパイクとグローブも持ってきていた。やってくか? という質問をするまでもないことではあった。
マウンドのあたりにあるネットの切り欠き部分から鷹助が中にはいると、ブルペンにはマウンドが二つ、ホームベースも二つあった。
「勢い余って二人分作った。あと、お前の前の相棒はどっかいっちまったから新しいのを置いてある。擦り切れるまで使えよ」
鷹助がホームベース方向を見ると、あの分厚い新品のスポンジが目に入る。橋の下でキャッチャーをしてくれていたあのスポンジは撤去されて無くなってしまったが、今は装いも新たに二代目の相棒として立てかけられている。
「ありがとうございます、何から何まで」
鷹助がマウンドからネットの向こうの洋次に頭を深く下げる。
「いいってことよ。その代わり、俺も甲子園に連れてけよ。それが最大の恩返しだ」
「絶対行きます!」
鷹助が胸を張って答え、それを外から見ていた洋次と友希がにっと笑う。
「……ところで、青ちゃんはどうした?」
「あっ」
友希が間の抜けた声を上げる。目の前のブルペンに感動したことですっかり忘れていたが、そういえば青嶋がまだ来ていない。約束の時間はとうに過ぎている。
「監督この辺の人じゃないから迷って……」
と友希が言いかけると、こちらに向かってくるヘッドライトの灯りが見える。この辺りは住宅から離れていて、田んぼのほうが多いところだ。この時間だと車が来ると目立つ。どうやら待ち人来たりである。
車は青嶋のものだ。いつもの小型の乗用車である。少々慌ただしく敷地内に入ってきた。敷地に入ったところですぐさまエンジンが切られ、慌ただしく中から青嶋が出てきて小走りで駆け寄ってきた。
「いや、すみません。渋滞に巻き込まれていました」
と、開口一番謝罪しつつ、青嶋は頭を下げた。それに続いてもう一度、車のドアが開閉する音がした。
「いやいや、構わんよ。むしろすまんね、こんな時間に」
洋次が反対に謝ると、鷹助たちは足音があることに気がついてそちらを見た。
そこには、どこかおどおどした、鷹助と似たような格好をした光輝がスパイクとグローブの袋を持って立っていた。
「こ、こんばんは」
「お……君は」
「えっ」
「鴇野くん!」
三人は驚いた。
彼は青嶋の車から出てきた。一緒に来たことは分かるが、来るとは全く予想もしていなかった。そんな話も聞いていなかった。
「君は確か……この前ショートで出てた子か。どうしたんだ? 君も投げに来たのか?」
洋次は意外に思ったらしく、目を丸くしながらそう聞くと、光輝はどこか恥ずかしそうにして答えあぐねた。それをみかねた青嶋は、彼らが予想もしないことを言った。
「今日鴇野を連れてきたのはな……キャッチャーをやってもらうためだよ」
一体全体、どういうことか理解が追いつかない。三人はしばらく声を失って、きょとんとして彼らを見ていた。
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