第11話 初回表の攻防 2

 士郎の打席を迎えて、利一はすかさずタイムを取った。内野手とベンチからの伝令が集まる守備側のタイムというわけではなく、利一が少し間が必要だと感じてバッテリーだけの打ち合わせである。利一が俊大に駆け寄った。

「立山さん。あいつ、例のやつですよ」

 二人ともグラブで口元を隠し小声で話す。

 少し東北訛りの入ったイントネーションで利一がそう言うと、今度は九州訛りのイントネーションで俊大が返す。

「あいつはよかバッターやろ。雰囲気でわかる。ガチで抑えんと」

「ツーシームも使いましょう」

 利一の言葉に、覇気がこもった言葉が返ってくる。

「ああ。最後はインに厳しく行く。力の差ば見せつけたる、俺から打てるなんて思わせん」

 俊大の言葉に頷き、利一がすぐに戻ってプレーが再開された。


 士郎が味方の歓声を背に、右打席に入る。打席の一番後ろに置いた右足で何度か掘り、足元を慣らすとバットの先端でホームベースの外角側を触り、肩に担ぐ。バッテリーのサイン交換が終わってセットポジションに入ると、膝を折って低く構えてバットを立てて構える。

 なぜこんな風格のバッターがこんな弱小高校にいるのか。利一は不思議でならなかった。

 その理由が何なのかは理解できないが、やることは一つだ。

 このバッターを抑える。それがバッテリーの仕事だ。

 盗塁の心配のない場面で、俊大はランナーのいない時と同じフォームで投球動作に入った。

 サインは、外へ逃げるスライダー。ストライクゾーンからボールになるコースに、だ。

 俊大のスライダーははっきりと大きく、真横に近い曲がり方をするボールだ。一塁側から三塁側に向かって鋭く曲がる。彼の投じたボールは左バッターボックスのホームベース横のラインにかかるほど変化して逃げていった。要求通りのコースだが、大きく左足を挙げた士郎はそのボールに反応してハーフスイングした。

 このハーフスイングに利一がすかさずアピールし、一塁審判の判定はスイング。まずワンストライクを取った。

 この反応は、真っ直ぐにタイミングを合わせてたのか……と、利一は考えながら返球をする。真っ直ぐと思って振りに来て、ボールが逃げたので咄嗟にスイングをやめた、そんなふうに見えた。

 ならばもう一球外へのスライダーだろう。同じコースでいい。サイン交換をして二球目が投じられた。

 さっきよりもはっきりとボール球になる。士郎は、今度はぴくりともせず見送った。判定はボールだ。

 今度は分かっていたかのような見逃し。初球で狙い球を切り替えたのか……利一はサインを出す前、下を向いて考える。

 今度は外へのカットボールでカウントを整える。真っ直ぐは危険、そんな予感がよぎっての判断だ。

 三球目を士郎は高く上げた左足を思い切り踏み出してフルスイングしてきた。しかし、カットボールは小さくスライダーするボールだ。スイングした軌道からわずかに逸れて、バックネットへのファウルチップになった。

 予感が的中した。士郎は思い切り踏み込んで外への速い球に対応してきた。ファウルの飛んだ方向からするに、真っ直ぐなら捉えられたかもしれない、と冷や汗をかいた。この一球で士郎が舐めていいバッターではないことがよくわかった。俊大のボールに振り負けていないのが何よりの証拠。しかし、なんであろうともカウントは整った。これでワンボールツーストライク、追い込んだ。

 あとは仕留めるのみだ。利一はサインを出す。

 サインはインコース低めへのツーシーム。

 ツーシームは握りを変えた速球である。俊大のツーシームは真っ直ぐの球速とほぼ変わらない、利き手の方向へ僅かに沈みながら横に変化するボールで、いわゆるシュートかシンカーに近いボールである。

 士郎は右打者。俊大は右投手だ。ツーシームをインコースへ投じれば、インコースへ厳しく食い込むボールになる。詰まらせてゴロアウトが取れるボールだ。甘くさえならなければ空振り、ファウル、あるいは詰まらせてアウトに出来る。

 打ち合わせ通り、このボールで仕留める。外への撒き餌は十分だ。バッテリーは共通の意識を持っていた。投球動作が始まると、また士郎は大きく左足を挙げた。

 士郎の左足が着地する。しかし。

「!!」

 その足が着地したのは、ホームベースから離れた位置。踏み込んだ先ほどとは真逆の位置、バッターボックス内の三塁方向にわずかに開きながら足を踏み出していた。

 こいつ狙ってやがった、そう思った。利一は配球が読まれた、と悟った。

 士郎はインコースへ向かってくるツーシームに対して、迷いなくバットを振り抜いた。

 白球は振り抜いたバットに捉えられた。見逃せばボール、というところまで変化したおかげで芯を外したのか、詰まったような鈍い音がした。だが、打球が三遊間に飛んだ。

 明らかに詰まってはいた。ゆるいライナーが三遊間へ。打球はそれほど早くはなかったが、飛んだコースが悪かった。三遊間のちょうどど真ん中であった。

 ショートがめいいっぱいのプレーを見せる。打球に対して飛びついたが、わずかに届かなかった。打球はショートのグラブの先をすり抜け、弱々しくレフトの前に転々と転がる。

「抜けた!」

 草薙ベンチがさらに沸き立つ。ホームベースをしっかり踏んだ太一が手を叩きながらベンチへ帰ってくると、ハイタッチの嵐となった。選手たちはまさかの出来事にお祭り騒ぎと言えるほど大喜びしていた。

 それも無理はないことだった。誰がこれを予想していただろうか。古豪とはいえ、かつての栄光が遠くに霞む弱小高校が、名門小針工大附属高校から……それもエースから初回に先制点をあげたのである。お祭り騒ぎなるな、と言う方が無理がある。

 そんな選手たちの様子を横目で見ていた青嶋。

 彼は太一のハイタッチには応じたが、かなり冷静だった。

 この一点はとても大きい。目の前の虎、あるいは獅子に対して一矢報いたことになる。

 正直な気持ちで言えば、このまま逃げ切りたい。このまま勝ちたい。先制点をもぎ取った二人の想いをよく知っているからこそ、強く思っている。持っていたスコアシートにレフト前ヒットを書き込んだ。

 だが、相手はやはり強者だ。続く五番の山焼潤が右打席に入る。

 眠れる獅子を呼び覚ましてしまった結果は、潤の三球三振という結果に変わった。

 

 初回表の攻防は太一と士郎の活躍で先制点をもぎ取るという結果に終わった。

 そして。攻守が入れ替わる。

 マウンドに向かって小走りで向かい、プレート付近に置かれていた白球を鷹助が拾い上げた。

 青嶋が、両校ナインが、全ての者が見守る中、鷹助は高校野球の舞台に上がったのである。

 

 

 

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