第9話 試合開始前

 試合開始前にはウォーミングアップが行われる。春の陽気の中、草薙高校の選手たちは三塁側の外野、レフトのあたりを使ってキャッチボールをしている。

 一試合目の相手はいきなり小針工大附属高校だ。反対側のライトのあたりで同じくウォーミングアップをしている。

 それを見た草薙高校の選手たちのモチベーションは……と言えば、様々である。

「マジやばいって。あんな奴らと試合してもコールド確定だって」

 弱気な発言をしているのは、三年生の斗志矢だった。

 自分たちは一回戦で負けてしまうような高校なのに、相手は県内敵なしの最強チームだ。野鼠が虎に挑むような話だ。勝てるわけがない、そう思っている。その発言に同調したのは三年生の山焼やまやき じゅんだ。

「な、俺らなんで呼ばれたんだろな」

 彼らは一塁方向、ライトのファールグラウンドに設置されたブルペンを見てそう言った。

「立山しかアップしてない。あいつ投げるでしょ。あいつが投げるなら勝てるわけないじゃん」

 視線の先にいる、凄まじい速さのストレートを投げ込む投手。テレビでしか見ることのなかった投手が自分たちに襲いかかる準備をしている。

 立山俊大たてやましゅんだい。高校野球でこの名を知らぬ者はほとんどいないだろう。

 名門小針工大附属の背番号1。全国屈指の強豪校の絶対的エースだ。恵まれた体格を持ち、オーバースローから最速148キロの伸びのあるストレートを投じる。そこにフォーク、スライダー、カットボール、カーブ、さらにはツーシームを織り交ぜる本格派の右腕だ。今年のドラフトの目玉と言われている選手である。先の甲子園でも快投を見せた全国屈指の好投手だ。

 そんな相手が投げれば弱小校の自分達ができることなどない、と他の三年生も含めてすでに戦う前から心が折れている様子である。

 他の選手たちの中には、心が折れるというより、ミーハー根性丸出しの選手もいる。今日は仮入部にも関わらず呼ばれた一年生たちのほとんどはそうである。試合には出ないだろうと思っているようで、ならばベンチから有名な相手を見物してやろうという気持ちの者が多かった。芸能人を野次馬しているような感覚である。

 が、それとは全く別のモチベーションの選手もいる。

 キャッチボールに一際気合が入っているのは、士郎、太一、優心である。

「っし!」

 彼らだけは勝つ気だった。気合が体に乗り移り、それがボールに伝搬している。軽快な動きでキャッチボールをしている。

「絶対勝つ!おい、声出せよ!」

 士郎は周囲に対して声をかける。太一や優心はそれがなくとも気合いの声を出している。

 三年生たちは何を張り切ってるんだ、と言わんばかりに飄々としている。一年生はキャプテンの声に反応して声を出した。

 そんな中、一人だけ違う方向を見ている。

「冬野。どこ見てんだよ」

 キャッチボールの手が止まっているのは鷹助だった。キャッチボールの相手の珠希がライト方向を凝視したまま固まっている鷹助に声をかけた。

「……」

 黙り込んでずっと相手のキャッチボールを見ている。その視線は、ほとんど睨みつけるような視線だった。その異様さに珠希がまた声をかける。

「冬野!どうしたんだよ!」

 その声にはっとした冬野がすみません!と声を上げ、キャッチボールが再開した。

 珠希は鷹助の様子がおかしいと思ってはいたが、相手に見惚れる気持ちもわからなくはない、と思った。

 名門のキャッチボールは惚れ惚れするようなスムーズさで、送球も正確。キャッチボールで金が取れる、そんな見事さがある。彼が相手を見ていたのはそれが理由だろうと根拠もなくそう思っていた。


 それからしばらく、ウォーミングアップをひとしきり終えた。時間が近づいてきて両校の選手はベンチへと下がった。

 試合前の準備をする中、青嶋から集合の合図があって、ベンチ前に輪ができる。

「揃ったな。じゃあ、スタメンの発表をする」

 ユニフォーム姿の青嶋がスタメンを読み上げた。今日のスタメンは、こうだ。

 1番レフト春川、2番センター門前、3番ファースト河原田、4番キャッチャー佐武、5番ショート山焼、6番サード大屋、7番ライト片倉、8番セカンド鴇野、9番ピッチャー冬野。

 三年生が春川と山焼、河原田、大屋の四人、鴇野と冬野が一年生である。

 青嶋は読み上げた後、こう付け加えた。

「今日は堤と冬野で継投する。六回で継投するから堤はそのつもりで準備してくれ」

 名門相手の試合に、一年生の鷹助が先発投手に大抜擢された……と選手たちは思っているだろうが、これが寺井と青嶋の約束の一つだ。選手たちにそうは告げず、「やるからには一つ、勝つつもりでやろう」と一言添えて締めくくり、選手たちは士郎を中心に円陣を組み、声を上げた。

 そしてそのすぐ後、キャプテンがホームベース付近に呼ばれ、先攻と後攻が決められた。コイントスの結果、後攻が小針工大附属高校で決定した。

 いよいよ時間となり、試合前のノックが開始された。後攻の小針が先にノックとなる。

 ここで、草薙高校の選手たちの大半は心を折られた。

 試合前のノックは、その高校の実力が出る。守備だけではあるが、彼らの動きは軽快そのものであり、そもそもの身体能力の高さも窺える。グラブ捌き、送球動作、ボールの追い方全てが異次元、同じ人間とは思えないという感想しか持てない。同じ高校生などとは思えなかった。

 相手側のノックが終わり、今度は自分たちの番だったが、彼らのほとんどはそれが恥ずかしく感じる始末であった。

 そうこうしているうちにノックが終わり、いよいよベンチ前に整列して試合が始まる。

 両校の選手が審判の集合の合図を待つ。

 それぞれ違うモチベーションで整列する中、鷹助は整列した相手に睨むような視線を送っている。

「集合!!」

 審判の威勢の良い声が上がる。相手高校の応援に集まった父兄たちや見物のギャラリーの拍手の中、両校はバッターボックスを挟んで元気よく整列しに走る。

 両校が整列した。

 名門の選手たちが一列に並ぶ。草薙高校のナインからすれば、まるで体格の差を見せつけられているようだった。

 この試合は練習試合である。複数の一年生が参加しているせいか、練習用のユニフォームの選手が両校ともに見受けられた。

 鷹助がその列の中にいる練習着姿の選手の一人を睨んだ。

 相手と目が合う。

 相手の選手は一年生だ。がっちりした体格、一年生とは思えないような身長。その彼は、睨む視線に気がついて鷹助を見返した。


 相手は笑っていた。それも、にやつくような嫌らしい笑みを浮かべていた。


 そんな二人をよそに、両校の整列を確認した審判が宣言する。

「練習試合を開始します!礼!」

 元気の良い挨拶が響く。また拍手が湧き起こる。

 いよいよ試合は始まる。様々な思いを孕んだ練習試合は開始された。

 

 

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