第025話 観察力

「アル、エルフィ! ちょこまかと逃げ回らないよう、奴の動きを止めなさい! 渾身の一撃を食らわせてやるわ!」 

「了解!」

「……」


 肘を曲げた状態で、肩の位置まで上げるマッスルポーズを見せ、体でも返事をするアルトリウスとは反して、エルフィーデはなんだかボーッとしていた。


「何してんの、エルフィ!?」

「うーん……」と唸りながら、人差し指を頬に当てる。

「なんだか、よくないような気がします」

「よくないって、何が!?」

「なんというか、神様がそう言ってるような気がするんですよねぇ」

「ハッキリしないわね! まぁいいわ。アル、お願い!」

「はーいっ!」


 気軽に踏み込んだ足が、石畳を砕く。

 音速を超える一歩で、アルトリウスは泥に接近した。

 何の変哲もないパンチを繰り出す。

 極限まで鍛え上げられた筋肉。そして、日々のトレーニングに裏打ちされた、その筋肉を細部まで使いこなすための知識、技術。

 加えてアルトリウスには、豊富な魔素と、択一した魔力体術の才がある。 

 魔素を体力全般に変換する早さ・効率・正確性は、たとえ天魔導師でさえ足下にも及ばない程。

 一見するととても地味だが、決して侮ってはならない。

 その拳で突き破れないものは、世界でも両手で数えられる程しか存在しない。その数に含まれない山や海は、彼の拳の前ですんなりと道を開ける。

 避ける様子のない泥の魔物は、アルトリウスの拳によって吹き飛んだ――かに見えた。

 放った拳に手応えがなかった。

 体に大きな風穴を開けられた泥だったが、それはが当たる直前に、泥が自らとった体勢だった。

 優れた騎士でも、アルトリウスの拳を避けられるものは少ない。それを知っているからこそ、勇者一行は少し驚いた。

 少し冷静になって相手を観察する目になったアルトリウスに対して、泥の中身は狼狽していた。


(あっぶねぇえええええ!? なんだよ、あのパンチ!? 音がやべぇよ! 人間に当たったら一瞬で木っ端微塵になる!)


 「落ち着け」と、心の中で自分に言い聞かせる泥の中身。

 咄嗟に避けて気づいたけど、この体、もの凄く柔軟だ。少しくらい反応が間に合わなかったとしても、致命傷は避けられる。

 後は、相手の心理状態、視線、間接の方向、呼吸を観察して未来の行動を予測すれば……俺でも避けきれる。

 見た目はあれだけど、結構いいかもな、泥の体。

 これは新しい発見だ。

 無魔の俺でも、勇者の一撃が躱せるんだから、十分に戦術として選択肢に入る。


 その後、一撃、二撃とアルトリウスが拳を繰り出すも、泥の魔物は軽やかに避ける。不意を突くように回し蹴りも繰り出したが、空振りに終わった。

 偶然じゃない。この泥、アルの動きを見切ってる。

 リーネは静かに警戒心を強めた。


「あれぇ? ダメだぁ~、全然当たんないやぁ」

「諦めんの早すぎ! それでも勇者なの!?」

「そう言われてもなぁ。有酸素運動ばかりさせられたら、筋肉が萎んじゃうよ」


 魔物の討伐より、筋肉の維持の方が勇者にとっては一大事だった。

 それは泥としては、非常に都合のいい話だった。

 挑発するタイミングは今だと決断する。


「へへぇん! そんな攻撃当たるわけないだろぉ! 俺と倒したければ、うんと強い魔術でも食らわせることだな!」


 ヘドロでも食らわせてやろうと、泥は体の一部を勇者一行に投げつけた。


「あわっ!? わわっ!?」


 アルトリウスとエルフィーデは、自分で簡単に避ける。

 しかし、強い魔素も感じない魔物なら大したことはないと高をくくっていたリーネは、まさか攻撃されるとは思わず、パニックに陥った。

 無尽蔵の魔素によって守られているという、自分は絶対に大丈夫という思い込みがあるからこそ、不意の反撃に対応するのが遅れる。

 この慢心はイフリーネの弱点でもあった。

 投擲された泥は、黄金の風に運ばれた水の幕によって防がれた。

 エルフィーデが少し手をかざすだけで、精霊たちがその意志を汲んで力を発揮させる。純然たる祈り、その練度の賜である。


「や、やってくれたわね!?」


 攻撃は不発に終わった形だが、イフリーネが憤慨するには十分な効力があった。


「まぁまぁまぁまぁ。子供の頃には、泥遊びもするじゃありませんか。久しぶりやります? 泥遊び。ツルツルピカピカの泥団子とか、作るの結構楽しいんですよ?」

「うるさい! たかが泥の分際で、反撃なんて烏滸がましいわ! 断固粛正! 業火の槍で串刺しにしてやる! あ、でも助けてくれてありがとう!」


 怒ったまま感謝する姿は、不貞腐れた子供そのもの。

 イフリーネが両手を広げると、十六個の火の玉が弧を描くように浮かび上がる。


豪炎の槍フレイム・ランサー!」


 名を与えられた火の玉は、存在意義に従って槍の形へと変化する。

 左右斜めに射出された槍は、泥へと集まっていく。


「あいてっ!?」


 槍は、泥に殴り掛かろうとしたアルトリウスの背中に当たった。


「ちょっと!? どう考えても今は私の攻撃の番でしょ!?」

「えぇ? 一声掛けてくれないと、わかんないよぉ」


 実際には鋼鉄をも溶かし、貫通する威力を持った槍なのだが、アルトリウスは軽い木箱を近くから投げられた程度の痛みしか感じていなかった。

 イフリーネは、自分の魔術を食らっても平然としている態度にも、苛立っていた。自分の魔術の鍛錬が未熟だと言われているような気がして。

 イフリーネは両腕を動かし、槍の動きを修正、アルトリウスの陰に隠れた魔物に放とうとした。

 しかし、泥はアルトリウスを障害物として利用し、体に纏わり付くように流動的に動き回る。


「あちっ!? あちちちっ!? あちちちちち!? ちょっとリーネ! 酷いじゃん! 皮膚を焼いても、筋肉は傷つかないよ?」


 直前まで魔物を追跡していた槍は、アルトリウスにしか当たらなかった。


「くーーーーーーーっ!? ごめん、アル! ちょっと我慢して!」

「へ?」

豪炎の飛沫フレイム・オーバー!」


 空へ翳した腕を、目標に向かって振り下ろす。

 上空から光の線を描きながら落ちてきた火の玉が、アルトリウスの頭部に直撃する。

 それ自体には強い衝撃は生まれず、火の玉の半径十メートルが巨大な火柱によって包み込まれた。


「こりゃ、とんでもなく熱いなぁ。まぁサウナだと思えばいいか。水分を削ぎ落とせば、より筋肉にキレが増すな。そうと決まれば、筋トレだ!」


 アルトリウスは逃げることもせず、火の中で腕立て伏せを始める。

 イフリーネが指を鳴らし、業火を一瞬にして消え去った時、マッスルポーズをしたアルトリウスが現れる。


「うーん。やっぱり服に隠れているとしっくりこないなぁ……。王宮がくれる服は、丈夫過ぎてよくない」


 勇者の装備を仕立てる魔術研究所の職員が聞いたら、「服が丈夫で何が悪い!?」と激怒しそうな文句だった。

 不満が残るアルトリウスを余所に、リーネは周囲に目を配る。

 魔物の姿がない。

 もともと魔素が感じられない魔物だったために、気配も追えない。

 人々は遠へ離れているし、道幅の広い目抜き通りには、死角になるような場所はない。


「ふん! 焼き尽くしたか! 圧倒的、しょーーりっ!」


 天に向かって両腕を上げて、勝利宣言。


「ん? どうしたの?」


 しかし隣では、エルフィーデにしか聞こえない声で、精霊が魔物の所在を伝えている。


「あら? リーネちゃん、足下……」

「え……?」


 両腕は上げたまま、首だけを下に向けるイフリーネ。

 よく見ると、泥はそこにいた。

 石畳の溝に隠れて、目玉がイフリーネを見つめていた。


「ひぃぃぃっ!?」


 ゴキブリが足下を這い回っていることに気づいたみたいに、全身に鳥肌が立つ。

 次の行動が遅れた隙を見計らい、泥の魔物はイフリーネの細い足首を掴み、引っ張り上げた。


「あっ!? ちょ、ちょっと……!? いやっ……!?」


 逆さまになったスカートが捲れそうになり、イフリーネは必死に押さえていた。


「ちょっとやめてっ! みんなが注目してる中で、パンツ丸出しは勘弁して! ねぇちょっとエルフィ! 早く助けてよ!」


 露出した部分に太陽の光が当たり、体が焼け始めていたが、年頃のリーネにとっては、下着が露見することの方が重大事件だった。


「私には、この魔物ちゃんが遊んでいるように見えますけどぉ」

「ええぇえん! 優しいのはわかったから、早く助けてぇ! お願いします、大司教様ぁああ!」

「あらあら、そんなに泣かなくても……。赤いレースの下着、とても似合ってて素敵ですよ。何も恥ずべきことではありません」

「言うなぁああ! 大々的に発表するなぁ!」


 エルフィーデが腕を振ると、その動作と寸分も違わないタイミングで、黄金の風が泥を切断する。

 風はそのまま落ちてきたイフリーネを優しく受け止めた。


「えぐっ……ありがとう……お嫁にいけなくなるとこだった……」

「かわいいリーネちゃんが、お嫁にいけない訳がありませんよ」


 涙を拭ったイフリーネに、覇気が宿る。


「あららぁ……」


 エルフィーデが困り果てる。

 これはヤバいと察した泥は、すぐにその場から離れた。

 その時、小さな金属音が響いたのを、アルトリウスだけが気づいた。

 コロコロと転がってきたものが、足に当たる。


「これは……」


 拾ったのは、一枚のコイン。

 表面が酷く傷ついた、アーディ銅貨だった。

 アルトリウスは見覚えのある銅貨を見て、泥の方をじっと見つめた。


「エルフィ……結界張って」

「魔物一体のために、そこまでしなくても……」

「エルフィ!! 結界ぃ!!」

「はぁ……。仕方ありませんね。アクエラ、ヴェントラ、お願いします。ああ、ちょっと心配なので、四重くらいに掛けてください」


 もう何を言っても無駄だろう。

 長い付き合いのエルフィーデは早々に説得を諦め、空へ腕を伸ばす。

 上空に、黄金と青が入り交じる半透明な膜が四枚、重なるように半径五キロに渡って展開される。

 羽毛のようにゆっくりと降りてきて、王都の街に覆い被さる。するとその膜は、家と家の間、人と人の間へと隙間なく伸びていった。

 周囲一帯が膜に包み込まれる中、勇者一行と魔物だけがすり抜け、膜の上に立っている。

 石畳も周囲の家も、遠くで見守る人々も青の膜に染まり、色があるのは、膜の外側にいる者たちのみとなった。


「ふふふ……これでもう、ちょこまか逃げようが関係ないわ……。お前を確実に吹っ飛ばしてやる!」


 足を広げ、身構えるイフリーネ。

 全身に赤いオーラを身に纏い、目は高温に熱せられた鉄のように、直視するのも痛いくらいに光る。

 赤いオーラが背中に大きな蝙蝠の羽と、腰から細い尻尾を作り出す。文献に残された、吸血鬼の真の姿を模しているようだ。


「お、おお、おい!? お前、本当に何がしたいんだ!?」


 世界の終末が訪れんとばかりに、濃密な魔素が収縮していくのを見て、ルーファスの意識の中で、悪魔は慌てふためいていた。


「どういうつもりだ!? どうやってあれを防ぐつもりだ!?」

「防ぐ? そんな必要がどこにある」

「はぁ!? 防がなきゃ、死んじまうんだぞ!?」


 自分で言っていて、悪魔はようやくその意図に気づき、しかしまだ信じられない様子で、声を出す。


「最初から……殺されるつもりだったのか? あの化け物魔術師に俺を焼き払わせるために、わざと挑発していたのかっ!?」


 悪魔は自分の爪を噛みながら、やはりまだ納得いかない様子だった。


「あり得ない!? 最初から俺を消し去る算段だったのなら、なぜ俺がそれに気づかない!? お前からは、俺を消し去ろそうという意志が感じられなかった!!」

「お前を消すのは、勇者一行の役目だ。俺は自分の仕事に徹するだけ」

「自分の、仕事……?」

「勇者パーティを案内する。それが俺の仕事だ」


 自己犠牲。

 悪魔には存在しない行動だからこそ、見逃したとも言える作戦。

 しかし、それを気づかれずに完遂するには、一抹にも、自分が助かる可能性を思い描いてはならない。自分が名誉を獲得する可能性を思い描いてはならない。

 自己保身が少しでも思惑に含まれれば、そこには少なからず、悪魔を排除したいという自分の願望が浮き上がってしまう。

 名誉を欲しがれば、間接的に悪魔を倒すことを予期してしまう。

 悪魔への敵意を完全に押し隠すには、自分の命を手放し、悪魔を許し切り、尚且つ、自分の仕事に専念する集中力が必要だった。

 自分の命すら軽妙に捨てきれる人間など、いるはずがない。そんな思い込みが、アスモルグの誤算だった。


「く、くそっ!」

「おっと、どこにいくつもりだ?」


 意識の中で、ルーファスは悪魔の腕を掴む。


「お得意の執着心はどこにいった? まさか、俺を手放すつもりか? それでお前の存在意義はどうなる?」


 息を荒げる悪魔。

 自身の中にあふれ出る執着心が、宿主を手放すなと叫んでいる。一方で、逃げなければ消されるという事実が、悪魔が抱く自身を保ちたいという執着心を働かせる。


「舐めるなよ……人間。お前を手放せば、確かに俺の存在は弱まるが、それでも俺は、俺の存在に執着できる。少し休めば、人間どもから負の感情を吸い取って、復活できるんだよ!」

「それを聞いたら、なおさら話す気にはなれないな!」

「離せっ! このっ! 束縛の悪魔に束縛するとは……お前それでも人間か!?」


 ここまで来たら、もうバレてもいい。

 ルーファスは今こそ、この場で敵を消し去るという覚悟を決めて、悪魔の体にしがみついた。

 泥の魔物から、悪魔の半身が外へ出てくる。

 ルーファスはそれを内部へ引き戻そうと、泥を悪魔にへばりつかせる。


「くそっ! 離せっ! 離せぇええええ!」


 地獄の底から響き渡るような、恐ろしい声だった。

 悪魔の中の悪意が、全面にあふれ出る。

 目は黒に染まり、牙が生え、肌は灰色になる。

 一方で、イフリーネは、前に突き出した手のひらから魔素の塊を凝縮させ、それが直径二メートル以上の大きさにまで膨らませていた。

 その魔素の玉に隠れて、イフリーネとエルフィーデからは、泥の悪魔が見えなくなっている。

 悪魔の魔術によって増幅させられた魔素を、一点に集めて放出する。

 自分で増やした魔素に、自分が攻撃されるのだから、悪魔からすれば笑い話にもならない。


名もない終焉ノーネーム・インフェルノ


 それは魔術ではなかった。

 こんな膨大な魔素を使って発動させる魔術など、イフリーネですら知らなかった。故に、ただ魔素を濃縮させ、発射させるだけの方法。思いつきの技に名前などあるはずなく、名もない終焉と呼んだ。

 満を持して魔素は解き放たれる。

 圧縮した魔素の玉に穴が開いたように、一点から放出された熱線が、分裂と収束を繰り返しながら、螺旋を描いていく。

 強風を巻き起こし、高周波の音を響かせる。

 視界は、逃げる気力も起きないくらい巨大な熱線に占領される。


「…………」


 これで、仕事は続けられる。

 ゆっくりと目を瞑る。

 死を悟り、仕事の進展に安堵する中でも、ルーファスは決して悪魔を離さなかった。

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