第一章 依頼は突然に
第001話 再会
王宮が戒厳令を出した日から、冒険者の仕事は「騎士のサポート役」に限定されている。
掲示板に張り出されているのは「騎士の物資輸送の支援」という命題が書かれた依頼書一枚のみ。もう六ヶ月、同じ任務を繰り返している。
戦場に無理に加われば、統率の取れた騎士たちの足を引っ張るだけだから、凡人には後方支援の仕事しか回ってこない。広場に集まったCランク冒険者の顔ぶれも変わらず、自然と顔馴染みも増えてきたところだ。
最近ではギルドでもないのに妙な連帯感があるような気がするけど……いや、馴れ合いが始まっていると言った方が正しいか。
ただのマンネリ。
この気の緩みが、仕事の邪魔にならなきゃいいけど。
「剣聖リディルが突然現れて、お前に口移しで丸薬を飲ませてくれたって? 無茶なことばかりし過ぎてとうとう頭がおかしくなっちまったのか? ルーファス。相手は英雄だぞ? どうして下っ端の仕事場に、しかも都合よくお前を助けるために現れるんだよ」
何度も同じ部隊に配属されてすっかり顔見知りになった冒険者。
茶髪に無精髭。どこかで喧嘩が始まると、決まって場を治める係をやっているのが、気さくな男エルデ・エバンスだ。
血気盛んな冒険者の中じゃ、こういった柔軟な考え方ができる人材は貴重だ。周りから信頼されていることは言うまでもない。
彼の特技は、これと言ってない。大抵のCランク冒険者に、突出した特技なんてない。だからCランク──凡人のランクなのだ。
それでも、彼には魔素がある。
魔素による身体強化、「
その中でも得意なのが、脚部を強化すること。
ダークウルフの討伐の際、俺を蘇生させる役目を現地で引き受けてくれたのは、人柄あってのことだが、走力に自信があったこともある。
「逃げてばかりいたら、自然と早くなった」、らしい。
彼に言わせれば、それは皮肉だったのかもしれないけど、無魔の俺にはそれでも羨ましい。
しかし不運にも、俺の目の前に居たはずの剣聖は、エルデと合流する直前に姿を消してしまったので、気さくな男も、今回ばかりは懐疑的だ。
「いや、だからそれは……」
「剣聖が『千里眼』を使ってずっとお前のことを観察してたって? そうであって欲しいっていうお前の妄想だろ。死ぬ寸前に見る幻覚なんて、よくはある話じゃねぇか」
「でもエルデさんだって、俺が生き延びているのを見たでしょう」
「それは……」
エルデは言葉を濁す。彼も俺が無魔であることは知っている。魔素を利用できない人間が、一人で獣の群れを相手にできる訳がない。だから彼は言葉に窮し、投げやりにこう言った。
「お前のご自慢の『知識』で、何かやったんだろ?」
「いくら知恵があったって、無傷で勝てる訳ないでしょ……」
まぁ、俺が逆の立場でもこんな話は信じない。
突然やってきた容姿も実力もSランクの美女と、人生初のキスを交わしたなんて……正直に言って、俺ですらあれは幻覚だったんじゃないかって疑い始めてるくらいだ。
彼女と直接話せればハッキリするんだろうけど、二度と会えないだろうな。
Sランクが参加する遠征パーティに、俺のような「何者でもない人間」が招かれるとは思えない。声を掛ける勇気もないし、遠くから姿を眺めるのが精一杯だろう。
「──あの、ルーファス君」
エルデの声じゃなかった。
唇に触れた柔らかい感触を思い出している間に、俺の前には冒険者協会の職員、エトラが立っていた。
茶色のウェーブの掛かった長い髪が特徴的で、肌つやのいい美人。当然ながら冒険者たちの評判もよく、荒野のオアシスとか言われている人だ。
歳は二十五。俺が子供の頃には見上げていたはずなのに、今は身長も追い抜かしてしまった。
「あなたは当分の間、遠征には参加できない……らしいです」
「……………………………………………………………………え?」
賑やかだった場が凍りついた。数え切れないほどの依頼をこなしてきたけど、出発の直前に仕事をキャンセルされたことは一度もなかった。
「定員オーバー、とかですか?」
「特務大臣から冒険者協会に指令があったようです。あなたを騎士の輸送部隊に同行させるなと。ルーファス君、何かやらかしたんですか?」
そう言われると、何もしてないはずなのに悪いことをしたような気がしてくる。
──いやいや、俺は報酬以上のリスクを背負って最善を尽くしてる。仕事を取り上げられるようなヘマもしていない。仕事の完遂率は脅威の九十九パーセント。それだけが俺の自慢だ。
「詳しい話は追って連絡があるそうです。それまでは自宅で待機していてください」
「ちょ、待ってくださいよ、エトラさん! なんで俺が!? 特務大臣って誰!? 意味がわからないですよ!」
「私は上からの指令を伝えているだけです。申し立てがあるならご自身でどうぞ。──じゃあ他の皆さんは騎士の部隊と合流して、荷造りに取り掛かってください!」
「「うぃ~」」
俺を置いて、他の人たちは移動を開始する。
前回の遠征じゃ、俺のおかげで無事に帰還できた人だっているはずなのに……こんな時はみんな薄情なものだ。
ビジネスライク。プロ意識。俺にできなかったこと。
「お前のお節介な単独行動が、チームワークを乱したと判断されたのかもな。仕事への情熱は立派だが、それが正当に評価される世界じゃねぇってことだろう。これに懲りたら、もう無茶なことはしないこったな」
見かねたエルデが挨拶程度に言葉を残す。
嫌味ではなく、俺を心配して言ってくれている。他の冒険者が無言で立ち去っていくのを見れは明白だ。
「気をつけてくださいよ、エルデさん。何かあっても、俺はいませんからね」
「お前と違って俺はプロの冒険者なんだ。何かあれば逃げるだけ。お前は他人の心配ばかりしてないで、もう少し自分を大切にしろ」
背中を向けたまま手を振って、エルデは他の人たちと一緒に遠征へ出発した。
一人ポツンと残されてしまった広場で、「ぐぅ」と情けなくお腹が鳴った。
市場で山積みになったリンゴを発見する。
ポケットの中から取り出した銅貨一枚。俺の全財産はリンゴ一個分の価値を備えている。
「まずい……仕事がなくて、どうやって生きていけばいいんだ……」
低賃金な王宮の依頼でも、遠征に参加すれば食事は無料で提供してもらえたのに、それがなくなってしまった。どこかで簡単なバイトでもしないと、雨水で空腹をしのがなきゃいけなくなる。
その時、通行人が俺の背中にぶつかった。
バランスを崩した拍子に手の平にあった銅貨が投げ出され、どこかから現れた一羽のカラスが嘴でキャッチし、青空に飛んでいった。
「ボーッと突っ立ってんなよ!」
「おい、ちょっと待てぇええ! 俺の金返せぇええ!」
通行人は一度も振り返ることなく、人混みの中へ消えていった。奪われたのは銅貨一枚。それに声を荒げてる自分が情けなくなった。
「…………帰ろう」
中央広場から徒歩二十分。エルトン通りは築百年以上の古くて埃臭い家が並ぶ貧困街。梁の歪んだ家には中央に廊下があって、左右に三つずつ部屋がある。俺の部屋は二階の一番奥にある部屋だった。
「あっ! ルーファスさん!」
「げ……」
「げって、なんですかその反応……滞納している家賃を受け取りに来たんですよ?」
俺の部屋の前に立っていたのは、大家の娘のディペット・レモーネだった。
相当な資産家なんだろう。ディペットは身なりのいい恰好をしていて、鮮やかな服が埃臭い灰色の廊下に浮いていた。
家賃は二万アーディ、金貨二枚。ここら辺では平均的な家賃だけど、貧乏人の俺にはそれでもキツイ。遠征に出ていれば集金を誤魔化せたはずなのに……今日はもう色々とついてないな。
「すみません……今はちょっと手持ちがないので、もう少し待ってもらえませんか?」
「もう、またですか? 毎日のように遠征に出ているのに、どうして家賃が払えないんですか? というか、本当にちゃんと働いているんですか? ギャンブルで溶かしてるとか、そういうのじゃないですよね?」
「ちゃんと働いてますよ……働き過ぎてるくらいです……」
ディペットは困り顔でため息を吐く。
「待つのは構いませんが、支払いが遅れるなら事前にそう言いに来てください」
「はい……すみません……」
「では、ごきげんよう。体にはお気をつけて」
優雅に去っていく背中に無心しかけた。
首にかけた鍵で扉を開け、とりあえず「ただいま」と言う。
壁一面に置かれた棚に隙間なく並ぶ本だけが、俺の帰りを待ってくれていた。
先人たちが残した知恵の結晶。冒険者たちの名もない旅の記録。無魔の俺が生き延びるために蓄えた唯一の資産であり、俺が金欠に喘いでいる理由の一つでもある。
仮に遠征で無茶をせず帰ってきたとしても、残ったお金は全部本に注ぎ込んでしまうので、一向に懐が潤わない。窮地を救ってくれる情報があるかもしれないと思うと、買わずにはいられない。
強迫観念は、一重に俺が自分へ課した「仕事主義」の呪縛のせいだ。わかっていても治らない。
いや、これは治しちゃいけないんだ……。
受けた仕事は必ず成し遂げる。それが俺の贖罪なんだから。
──コンコン、とノックの音。
ディペットが何か言い忘れて戻ってきたのかな。
「すみません、お金は本当に……」
扉を開けると三人の冒険者が立っていた。
バサバサな黒髪で髭面。この世の全てに愛想を尽かしたようなジトッとした目の六十代の男。
ガロ・ランベルグ。衣類がヨレヨレでお世辞にも清潔とは言えない見た目だけど、何を隠そう冒険者協会の会長である。
その後ろに青いおかっぱ頭の、やる気のない目をした若い男が立っている。マントで全身が隠されていて、装備品は視認できない。
会話をしたことはないけど、一度だけ見かけたことがある。
ライネル・ノクスウェル。
とんでもない大物たちに驚く暇もなく、俺はさらに奥に立っている人に目を奪われた。
艶やかな金色の髪に、世界の中心を覗き込むような青い瞳。白を基調とした服はプレートの部分が失われている。普段は、異空間に収納できる
たぶん、白いチョーカーがそれだ。
黄金の小さな魔術文字が刻まれている。言わずもがな、めちゃめちゃ高価だ。収納するものの重さによるけど、二千万アーディは下らない。
そんな高価なチョーカーから視線を少し上げると、息を飲むような美しい顔がある。
リディル・アークテイル。
もう二度と会えないと思っていた人が、そこにいた。
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