再演
緑色に輝く木の葉は暖かな光を反射する。飛び立つ鳥たちは何も残さず、ただ空を目指す。
私はというと、そんな情景を眺めながらぼんやりと座っている。見慣れない景色が目まぐるしく移り変わる中、疲れ果ててしまい今こうしてベンチに座っている。
どういうわけか、私と仲のいいらしい人たちは皆私を避けているようだった。
指紋認証で無意識にロックを解除した先、メッセージアプリに登録されていた人たち。写真などから名前と顔を一致させたが、どうにも取り合ってくれない。間違ってはいないと思うのだが。
「ねえ、遥ってさ……」
「ああ、あの……深瀬さんの……」
明らかに避けられているようだった。もっと言えば、大学に来てからというもの、彼方さんが人前に出てこない。私と二人の時にしか話をしてくれないのだ。何か、あったのだろうか。
以前の私と彼女の間で何かがあって、その結果このような状態になっているのだろうか。もしそうなのであれば今の私にはどうすることもできない。今は受け入れるしかないのか。
はあ、とため息をつく。張り詰めた胸が苦しい。
気の重い昼下がり、疲れた心を落ち着かせるようにペットボトルの蓋を回す。
「彼方、さん」
同じ大学に通っていた、と言っていたし、来るときは一緒だった。でも、大学に来てからはあまり姿を見ない。履修している授業が違うのだろうか。
それとも、私のせいで
「あれ、遥じゃん。」
うっすらと自責が影を覗かせた私は突然声を掛けられる。振り向くとそこには、二人の女性がいた。
「かな……じゃないや、最近来てなかったじゃん。大丈夫?」
ここへきて初めて私と普通に話してくれる人に会った。久しく触れていなかった人の温度に、涙が出てしまいそうになる。
「真那……あんまり」
「うん、わかってる。」
私の隣に座り、リュックを降ろす。きっと友達だ。なら、まず伝えなければいけないことがある。
「記憶、喪失……。」
「ほんとに、あるんだね……」
信じられない、という顔をしていた。私も最初はそうだった。ぽかんと開いた口をこちらへ向ける。
「じゃあ、私たちの事もわからないのか。ごめんね、急に声かけて。」
「いや、全然。むしろ、嬉しいというか。なんだか他の子たちには避けられてるような気がして。」
「あー……まあ、みんな忙しいからね。」
一瞬逸らした目を無理矢理合わせるように笑う。それでも、話している彼女の傍の子は笑っていなかった。
「じゃあ、自己紹介しなきゃだね。私は白瀬真那。」
「……私、鈴木楓。」
淡々と進む自己紹介。それは以前の私にとっては、ひどく当たり前のものだったのだろうと思う。
「ちょうどこの後同じ授業あるし、とりあえず一緒に行こうか。」
「え、い、いいんですか?」
「当たり前。私たち友達なんだし。」
「てか遥の敬語ってなんか新鮮だね。初めて会ったとき以来かな?」
今の私にとっては、今のこの瞬間がまさしくそうなのだが。
「まあ、なんでもいいや。とりあえず行こう。」
そう言って手を引かれる。何も言わずに着いていこうとした。
ふと、何かを思い出したように足を止める。
「あ、あの。彼方、さんって……授業、違うんですか?」
「え」
その瞬間足を止め、引いていた手が離れる。
一瞬、時が止まったようだった。開いたままの口も見合わせる二人は、そのまま何も無かったかのように再び歩き出した。
「彼方のことは覚えてるんだ……やっぱその、付き合ってたからかな……?」
「た、確か二人は授業違ったはずだし、そのはず。」
やっぱり、違うんだ。どこか安堵して、小さく溜息をつく。それならそうと、何か言ってくれれば良かったのに。
スマホの画面を眺める。そこにはしばらく使われていなかったように見える彼方さんとのトークルーム。時の止まったそれを再び動かすにはどんな言葉を掛けたらいいのだろうと、そんな事を考えていた。
「ほら、遥。授業始まっちゃう。」
「あ、ご、ごめん。」
声を掛けられた私は、並んで歩く二人の背を追う。
なんだかその姿を、見たことがある気がした。ずっと追いかけている、何かに似ている気がした。
二コマ分の授業を終え、帰路につく。慣れない頭でよくあそこまでついて行けたものだ。
頭の中に残る知識と、今日学んだこと。それらを反芻しながら、まだ明るい午後四時の世界でただ一人、昨日知ったばかりの自分の栖に足を運んでいた。
玄関の鍵は開いていた。中の空気を浴びてすぐ、見覚えのある靴が並べられているのが目に入る。彼方さんは既に帰っているようだった。
「おかえり、遥。早く終わったから、先帰って来ちゃった。学校、どうだった?」
ありのまま、今日の事を話す。真那、楓と名乗る二人が話しかけてくれたこと。二人と共に授業を受けたこと。
「そっか、真那と楓が……あの二人、優しいもんね。」
聞けば、二人とは高校の頃からの仲らしい。
「真那はね、学級委員やってて……」
少し前の昔話を、楽しそうに話す。私のことを思い出すために、その情報ひとつひとつを集めるように聞く。
たぶん、本当に中が良かったんだろう。話している彼方さんは今までで一番楽しそうだった。
「これね、四人で出かけたときの写真で……」
取り出したスマホの画面をなぞる。そこにはしっかり、笑顔の私も映っていた。
「ちゃんとこの世界に私もいたんだ。」なんて、安堵のような、申し訳ないような不思議な気持ちになる。
思い出を語るのはいいが、その楽しさ以上に、今の私の心は静かに削れている気がしたのだ。
「もうこんな時間か。そろそろごはん作らないと。」
画面上部の時計の表示を見る。気付けばもう一時間も経っていたらしい。
「あ、何か手伝うよ。」
「え、遥が?ふふ、ありがと。」
少し驚かれる。前の私はあまりこういうことはしなかったのだろうか。なら尚更手伝わなければ。今後も彼女と過ごしていくために。
そうして出来上がった晩御飯を口にする。何も特別じゃない、普通の肉じゃが。味噌汁。それでも、食べ慣れている筈の味なのだ。もう何回も食べているはずの、彼女の味。
人の舌は私たちが思っているよりもずっと敏感だ。だからか、何か思い出せるかもしれない、なんて淡い期待を抱いてしまう。そんな期待ごと、口の中の物を飲み込んだ。
結局、何も思い出せなかった。それでも、もう忘れないようにと噛み締め記憶に刻み込む。
薄暗い照明の下、ただ一つだけ響くカトラリーの音が、やけに煩く感じた。
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