青に消える

くまたろー

第1話 預言の箱

 そうして人類は永遠の眠りについた。――僕が預言システム〈約櫃やくひつ〉 によるその預言を読み上げたとき、惑星トゥト最高評議会の議場が水を打ったように静まり返った。それから、数秒の間の後にざわめきがさざ波のように広がっていく。

 惑星トゥトは地球出身の人類の植民星の一つ。そのため、社会制度の多くも地球のものを導入している。立法府である最高議会も地球の民主主義国家の制度を参考にしたものだった。中央の演台を半円形に取り巻く議席に座る議員は少ない。空席の上にはホログラムディスプレイが浮かんでいて、そこにリモートで出席する議員の顔が映し出されている。

 演台に立った僕は広い議場をぼんやりと眺めた。皆の戸惑いも無理はない。〈約櫃〉が吐きだしたのは、これまでのような濃霧や地震、火山の噴火などが起きるという預言とはまったく種類の違うものだからだ。さまざまな災害に対応してきた議員たちも、訳の分らない預言に困惑しきっているようだった。

 普段は静かな〈約櫃〉の観測所で仕事をしている僕は、議員たちの視線の圧力に思わず後ずさりする。と、僕の隣に浮かんでいたディスプレイの中から二十代前半の青年――そう]が日本語で《大丈夫? バイタルの乱れがあるようだけれど》と尋ねた。青年の姿をまとっているが、蒼は〈約櫃〉の運用やメンテナンスをサポートするAIだ。彼は高度な知識と限りなく人間らしい人格を与えられている。観測所で働く僕の同僚で、恋人でもあった。AIが恋人というのは変だと友人たちに言われるけれど、蒼は人格があるのだ。惹かれるのは何もおかしなことじゃない。

「平気だよ。緊張してるだけ」僕は日本語で囁く。

 惑星トゥトは地球から入植して、すでに百年が経っている。その間に入植者たちの言語が混じり合い、トゥト語が成立していた。日本語はずっと昔に地球で絶滅した言語であるため、おそらく僕以外のトゥト人で理解できる者はいない。

 ざわめきがあまりに続くため、演台の後ろの議長席から議長が「静粛に」と注意を促した。それから、参考人である僕に参考人席へ戻るように指示する。入れ替わりに、演台にはトゥト政府の災害担当庁の大臣が立った。

「先ほど〈約櫃〉の観測所職員からご説明したとおり、〈約櫃〉によって『人類は永遠の眠りにつく』という預言が下されました。『永遠の眠り』はトゥト語には存在しない言葉ですが、〈約櫃〉の使用言語である日本語で『死』の比喩とされています」

 災害担当大臣の言葉が響き渡ると、議場のざわめきは嵐の海の大波になって押し寄せた。

「預言システムはなぜそんな預言を。間違いではないのですか?」

「『そうして』と預言にあるが、何を示しているのか分からない。前の文章はないんですか?」

「そもそも、この預言はいったい何なんだ?」

 無理もない疑問だ。一昨日、観測所で蒼が預言を口にしたとき、僕も真っ先に同じことを考えたのだから。その後、蒼と一緒に何度もシステムエラーや入力ミスを確認したが、間違いはどこにもなかった。

 議員たちの質問に、大臣が答えていく。それを聞いている最中に、蒼が僕にストップを掛けた。

《ねぇ、流郷るさ》蒼が僕の名を呼ぶ。僕はトゥト生まれで日本にルーツはない。漢字は名前の音に当てたものだ。《バイタルの数値がさっきより悪くなってる。体調が悪いんだろう? もう退出しよう》

「でも、まだ終わってないのに……」

《君は人間だ。体調不良を放置したら、倒れてしまうかもしれない。必要ならリモートで戻ってくることもできる》

 蒼の言葉とほぼ同時に、最初に僕を議場の入り口からここまで連れてきた案内ロボットが静かに入ってくる。箱型で足の部分に車輪の付いた彼は、目の前まで来ると小さな二股のアームを僕に差し伸べた。《外へご案内します》機械音声が告げる。蒼がプログラミング言語を使って、ロボットにそのようにオーダーしたのだろう。

 案内ロボットは僕を地下駐車場にある僕の重力カーのところまで連れていった。

《災害担当大臣が後ほど連絡いたします》ロボットが言う。

 僕は車のドアを開けて乗り込んだ。と、コンソールに触れるよりも先に、ディスプレイが立ちあがり、行先が表示される。〈約櫃〉の観測所――これも蒼の気遣いだろう。コンソールを操作するまでもなく自動運転モードになっていたため、僕はシートに身を沈めた。車が滑るように静かに発進する。

 外は快晴だった。初夏の季節で、青空の下に官公庁の建物が立ち並んでいる。大通りを行く車はいつになく多かった。今日の予報で夕方からこの惑星特有の『霧』が出ると言っていたからだろう。

《もっと早く帰ろうと言えばよかった》

「いいよ、これくらい。ただの仕事帰りだけど、蒼とデートしてるんだと思えば、渋滞もなかなか悪くない」

 僕はコンソールを操作して、音楽を流した。流行りの曲をBGMに蒼と最高議会の感想を話しているうちに、いつしか車は都市部を抜けて田園地帯へ入っていた。観測所はそれより先の森の中を抜けた海辺にある。

 陽光を受けてきらめく青い海の美しさに、僕は思わずコンソールを押して車を停めた。

「泳いでくる。車はこのまま観測所に戻るように設定するから」

《君、体調が悪いんだろ》

「泳いだら、気分が晴れると思う。少しの間だけ、許してほしい」

 蒼は渋い態度だったけれど、車のドアは開いた。その気になればロックを開けないこともできるのに。僕は小声で「ありがとう」と礼を言って、シャツと靴、それに靴下を脱いだ。車のシートに手荷物を残し、身ひとつで砂浜に降りる。砂浜の砂は日差しを浴びていたためか、裸足の足裏にやや熱く感じた。

 僕は海に近づいていった。波打ち際に打ち寄せる波を蹴るようにして、ざぶざぶと海水の中に入る。海水が胸の辺りまで来る深さになったところで、泳ぎはじめた。この辺りはまだ水深が浅くて、水色の世界に小さな魚の群やゆらめく海草、海底の貝類などが見て取れる。

 しばらくその風景を楽しんでから、海面に浮かんだ。波に身を委ねて空を見上げる。

 と、そのときだ。海岸に薄く青みを帯びた霧が立ち込めだしていることに気付いた。

 最初は予想より早く日が暮れ始めたのかと思ったが、そうではない。

「〈サピアの霧〉! こんなに早く出るなんて……」

 青みを帯びたこの霧は惑星トゥト上で起きる現象で〈サピアの霧〉と呼ばれている。〈サピアの霧〉は普通の霧とは違って、人間には毒になる鉱物粒子が含まれていた。その鉱物粒子のために青い色合いを帯びている。毒といっても、吸い込んで即座に死に至るようなものではない。ただ、長期にわたって摂取するとその毒性がさまざまな病気を誘発する。

 霧が海面を這うようにしてこちらへ向かってくる。僕は慌てて海岸に向って泳いだ。カレッジを卒業して、観測所に入って三年間、〈サピアの霧〉が海面に掛かるのを見たことはなかった。海風に吹き飛ばされてしまうのだろう。だから、海上なら大丈夫と油断していた。

 砂浜へ上がると、すでに薄く霧がかかっている。まだ周囲の景色を見ることができるが、霧が本格的に濃くなると辺りは闇そのものになってしまう。そうなると、ごく近くの建物でも携帯端末のナビなしにはたどり着けない危険性があった。

 早く観測所に戻らなくては。僕は砂浜の先の岬の上に見える観測所に向かって走り出した。海水に濡れて重くなったスラックスが足にまとわりついて重い。走りながら肩越しに振り返ると、森の方はすでに〈サピアの霧〉によって濃い闇に取り巻かれていた。時折、流星のようなきらめきが視界をかすめるのは、〈サピアの霧〉に含まれる微少な金属の欠片のせいだろう。毒性の一因でもあるそれは、霧の中で見ると花火のように、ダイヤモンドダストのように、キラキラと輝いて見えるのだった。

「ごほっ……。こんなところで死んだら、蒼が悲しむよな……」

 端末の外には出られない恋人のことを思いながら、観測所までの残りの距離を駆け抜けた。

 海に突き出した岬の上に、〈約櫃〉の観測所の建物が立っている。棟の目立つその建物は白い壁が目立つためか、観測所というよりは神殿か寺院のような趣だ。

 観測所に入って、玄関ホールでべたりと転がる。行儀が悪い振る舞いだ。もっとも、蒼の同僚兼、話し相手として観測所に配属される職員は一人と決まっている。それが今は僕。他の誰かの迷惑になることはない。息を整えていると、ホールに掃除ロボットが入ってきた。

《――大丈夫かい、流郷?》ロボットの音声を使って、蒼が話しかけてくる。

 僕は海上にまで〈サピアの霧〉が立ちこめて、逃げ帰ってきたことを告白した。

《君はそんな危ない橋を渡ったのか。俺にも身体があったなら、君を止められるのに》

「止めるなんて大げさな。これくらいのことは、昔、いたずらっ子だったなら経験はあるはずだよ」

《それなら、俺も君と一緒に体験したい。一緒に海に入ったり、青い空を眺めたり、砂浜を歩いたりしたい》

 それは、ときどき蒼が口にする望みだった。肉体を得て僕と一緒に外界を体験したい、と。

 惑星トゥトに住む人類はたびたび発生する〈サピアの霧〉を避けて暮らしている。そのため、コミュニケーションの大半はSNSやメタバース空間で取るのが常。外での作業の多くは機械化されている。AIの方が余程、自由に生きられるはずだ。それでも僕と同じ体験をしたいと言ってくれる蒼の気持が、僕には嬉しかった。人間とAI――異なる存在であっても、想い合えるのだと実感できるから。



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