第4話  変装のしかた~紺ちゃんとともに~


目が覚めたら、朝だった。

キャパ越えの展開で、驚きを通り越して一周回ってわたしは妙に落ち着いてしまった。


「朝陽って偉大だわ―――」


ベッドにぺたりと座り込み、窓から差し込むのん気な明るさに、なんだか救われた気分になる。学んできたすべての物理法則がひっくり返るような話を聞かされたって、地球は回っているし、太陽は昇るのだ。ここは太陽系で、我々は重力に縛られている。


――とはいえ、こっちの“現実”も、変ったりはしないのか。


 ベッドに毛先が流れ落ちている金髪をひと房摘む。


なんてこった、ドライヤーもしてないのにキューティクル艶々で、綺麗にカールしている。でも、恐ろしいことに一晩経ったらなんだかこの金髪も見慣れてきた。


「やっぱり、可愛いは正義だわあ……」


お父さんたちのドン引き発言は衝撃だったんだけど、それはそれとして、自分の身に起こったメタモルフォーゼ的な変貌は魅力的だ。


既に自分の中でこれは“地毛”と認識されたらしい。そしてちょっと手で後ろへ掻き上げたりなんかしたら、その仕草に自分でうっとりしかけてしまう。


「すごい。マンガみたいだ……」


洗うのも乾かすのも面倒で、肩から先の長さは、伸ばしたことがなかった。耳に掻き上げるだけでも、なんだかテンションが上がってしまう。


「やっぱり鏡で見たいよねえ」


わたしは中学ジャージのままベッドから這い下りて、姿見のところまで行った。縦長で膝くらいまでしか映らない鏡の前に立つと、昨日バスルームで見た可憐な姿は健在だった。


「夢じゃないんだ……」


呟いた自分の声と、鏡に映った唇が同期してるんだけど、でも自分の元の印象は欠片もない。


――でも可愛いからいいや。


試しに、笑ってみる。

いつもはさえない奥二重の目が細くなるだけのスマイルなのに、大きな瞳は少し細めたところでまったく線にはならない。


「……やべー。なにこの可愛さ」


ふっくらとカーブした頬、細い顎、色付きリップを塗ってるのかと思うようなナチュラルベビーピンクの唇……いやもう、自分の顔なのに大絶賛ですよ。どういうことですかこれは。


「やばい……やばい……」


量子がもつれようが、相転移しようが知ったことではない。太陽が東から昇っても、自分が可愛ければそれが正義なんだという気持ちになってくる。わたしはふわふわの巻き毛を揺らしながら、右に左にとポーズを変えて見入ってしまった。


中学ジャージでさえ、素材がいいと全く問題にはならないのだ。おしゃれなんて、要するにハードの上に乗っけるソフトのようなもので、元の素体が悪ければ、何を着せてもごてごてに見えるだけで見栄えはしない。


「綺麗系女子がおしゃれに命賭けるのわかるなあ」


これだけ地が可愛ければ、それはそれは指先までしゃれめかしたくもなるだろう……気分はすっかり孫を眺めるおじいちゃんだ。


「あ、せっかくだから写真撮っとこうかな」


お父さんの話は元には戻せないようなニュアンスだったけれど、そんなのはわからないじゃないかと思う。十七年間、本人すら気付かないほど頑丈に被せられていた殻とやらが一瞬にして消えてしまったのだ。この先だっていつまた元の地味女子姿に戻されてしまうか、わかったものではない。


もし元の姿に戻っちゃったら、証拠動画がないのは一生後悔する。


「そうだよ、だって、金髪碧眼の美少女だよ?」


コスプレじゃないのだ。わたしは鏡越しではなく自分の髪や頬に手で触れた。


――この滑らかな感触。しかも手とか足も……いや、そもそも体形からして完璧だし。


そっとお腹を触ってみる。ぷにょんと掴めた腹はどこにもなく、ぺたんと真っ平らだ。二の腕は華奢で、内腿の間は拳が余裕で入るくらい隙間ができてる。


「脂肪吸引だってこうはいかないよ」


理想だ。完璧な理想形だ。コスプレだって、やるなら命懸けのダイエットをしなければ完成しないスタイルを、まさかの一晩で手に入れてしまったのだ。昨日は“学校に行けないかも”なんて慌てたけど、学校に行けるより、この姿をキープできるほうが絶対いい。


――そもそも、こっちがデフォルトだって言ってたしね。


わたしはとんでもないハイスペックチートだったのだ。異世界に行かなくても、こんなことがあるんだ。


夢なら覚めないでと思いながら、でもやっぱり夢想オチのような気がして、わたしは急いでスマホのカメラを起動させた。とりあえず格好はジャージでいいから、元の姿に戻っちゃわない前に動画と写真を押さえなきゃ。


その時、紺ちゃんからいっぱい通知が来ていることに気付いた。登校時間はとっくに過ぎてる。


「……あ」


メッセージアプリには「どしたー?」とか「寝坊?」とか送られてる。わたしは欠席しないほうなので、単純にトラブルかミスだと思ってる。こんな大事件が起きているとは考えつきもしないだろう。


「…………どう説明するべきかなあ」


実は自分だってまだよくわかっていない。

妖精とか精霊とか、フィクションみたいな設定をそのまま言うわけにもいかない。唯一の証拠といえば自分の変貌した姿だけど、これはこれで、いきなり学校で実物を見せるのはムリだと思う。


――まず、それ以前に学校に行けないよね。


わたしは鏡の前でどっかりと胡坐をかいてスマホを見つめた。


「ここで正直に言ったとて……」


写真を送っても、AIに作らせたのかと笑われて終わるんじゃないかと思う。どんな説明も荒唐無稽を通り越している。かといって、いつも即レスのわたしが既読で返事をしないとなると、今後の友情にも響く。


わたしは無難に「風邪を引いた」と返そうとして、さらに数舜止まった。


――明後日は、スコーンを焼く日だ……。


ぶっちぎるという選択は思い浮かばなかった。どっちにしたって、このままこの格好では生きていけない。誰もわたしが鈴木華乃だとは信じてくれないだろうし、髪を黒染めしたくらいで誤魔化せるとは思えない。


「カラコンが要るでしょ。あとウィックか染毛剤、それからマスクして、制服を冬服に戻して…………」


それだけでは駄目だ。モブとして学校に戻るには、やっぱり紺ちゃんの助けが要る。


「浮かれてる場合じゃないのか……」


それに、忘れてたけど、昨日の話の決着はわたしが一方的に打ち切ったので全然付いていない。自分一人でお父さんとあのへんてこモードのお母さんに対峙するのはメンタルがもたない。


――巻き添えにしてごめん、紺ちゃん。でも、紺ちゃんに助けてもらおう。


わたしは正直にSOSを出した。家に来てほしい。誰かとこの状況を分析したい。

紺ちゃんに住所を送る。地図アプリのスクショで「ここ?」っていう確認が来て、わたしはOKを出した。

テスト明けで、学期末まで消化試合な時期なのもありがたい。

紺ちゃんは、お昼前に家に来ると返事をくれた。



「ちょっと、その恰好は何よ」

インターフォンを鳴らされるとお母さんにバレてしまうので、わたしは変装してそっと玄関に続く廊下のトイレにスタンバイし、ドア横の擦りガラスから見える紺ちゃんの到着を確認してドアを開け、手を引っ張った。


「早く上がって!」

「え。え?」


「華乃?」

――やべ……お母さんだ。


リビングから廊下に来るスリッパの足音がする。私は靴がつま先に引っ掛かっている紺ちゃんの腕を強引に引いて階段を上がりながら叫んだ。


「友だち来たから! 紺ちゃんだから!」


だから来ないで……というところまで、意味は汲み取っていただきたいと思っている(希望)。紺ちゃんも、サングラスにマスクにスカーフを顎巻きした私の格好に何か察してくれたらしく、協力体制を取って部屋まで滑り込んでくれた。

階下では、追いかけてはこないけれどお母さんの心配そうな声がする。でも、まだちょっとだけ放っておいてほしい。


「ちょっと……かのちん」

「ごめん、痛かった?」

「いや、そこじゃなくて、髪、髪!」


――バレたか……。


部屋のドアを閉め、ふたりでラグに座り込んだら、紺ちゃんは指さして驚愕を隠さなかった。私も、覚悟をしておばあちゃんみたいなスカーフを外し、マスクとサングラスを取った。


「え…………」


案の定、絶句だ。そうだろう。


「まあ、驚くよね」

「まって、語彙力崩壊なんだけど」

うん、わかるよ。わたしも昨日そんな感じだった。


「簡潔にご説明しますとですね。昨夜アクシデントがあって、こんな姿になっちゃったのよ。でもって、これが地で、ほぼ戻る見込みはないらしい」


「かのちん……ハーフだったの?」

「いやまあ……なんていうか」


それどころか、人類でさえないらしいんだけどさ。

紺ちゃんはたっぷり四十秒ほど驚き切ってから、意外と冷静にモードを戻した。本人じゃないから、許容は早い。


「なんか……すごい展開だけど、ほぼかのちんには見えないんだけど、でも本人なんだよね?」

「うん」

「それ、地毛ってことでしょ?」

やっぱり触って引っ張られる。痛いっての。


「すごい……羨ましい」


一度金髪になってみたかったという。まあ、それはわたしも同意だ。

「だよね。ブリーチしてもこんな風にはならないしさ」

「いいなあ。いいじゃんかのちん」

「まあ、そうだよね。いいよね」


確かに悪い話ではない。わたしはモブ属性の極みみたいな自分を、本当は嫌だったし、この姿はなってみたかった理想形だ。脱色したり染めたりなら先生も怒るだろうけど、これが元の顔だというなら、仕方がないではないか。


「問題はさ、その説明をどうするかなんだよね」


とりあえず、この格好はいいということにしよう。やれ妖精だの精霊だのという話も、あくまでお父さんとお母さんの言い分だ。黙っていれば世間には通じない理屈だし、少なくとも十七年間こうして東京都練馬区の片隅で生きてきたんだから、ここは押し通してもいいだろう。少なくとも住民票はある。


わたしはもう、この容姿の変化を乗り切るところだけに注力を注ぐことにした。

紺ちゃんが来るまでに考えていた方針を話す。


「体形はさ、これから夏休みだし、二学期になったら“ダイエットしました”で乗り切れると思うんだよね。だからあとは黒のカラコン入れて伊達眼鏡かけて、マスクして、髪を切って黒染めすればなんとか誤魔化せないかなと思うんだけど、どうかな」


「えー、切っちゃうの? せっかくそんなにきれいな巻き毛なのに」


「いや、わたしだって惜しいとは思うけどさ、でも、さすがに金髪登校はまずいでしょ」


地毛証明さえ出せれば学校はパスできるはずなのだが、幼児期の写真はない。何しろ、昨日まで黒髪だったんだから。紺ちゃんもさすがにそこは同意してくれた。


「まあ、いずれ黒染めでなんとかするとしてもさ、もうちょっとで夏休みなんだし、今やらなくてもいいんじゃないかな」


とりあえず、夏休みの間はこのままの格好でいいではないかと言った後、紺ちゃんはにまっと笑った。


「今のかのちんなら、最高にエモいアフタヌーンティの画像が撮れる気がするんだよ」


何をする気かと思ったら、来年の部員集めのために動画を撮りたいという。

どうやら、そのために黒染めに反対したみたいだ。


「ちょっとステキ目のドレスを着てさ、こう……優雅にティーカップとか揃えてスコーンを焼いて、お茶してるところを撮るのよ。せっかく変身したなら、これいけるんじゃないかなって」


「変身ねえ……」

いや、こっちが地だってお父さんに言われたけど…………というところまで来て、わたしはすごく大事な台詞をスルーしていたことに気付いた。


――まって、お父さん、確か昨日“王女”とか言ってなかった?


カノン王女……なんか、そう言ったような気がする。


「おうじょ?」

「かのちん?」


あの単語以外に同音異義語はあるだろうか。王女のほかは皇女しか思いつかないけど。



――やばい。

最大級のパワーワードだった。

転生しなくても、王女とか聖女とかいう設定は“アリ”なのだ。


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