宮本メリィの怪奇事件簿

ちんちら二刀流

倍利奉還

倍利奉還 起


 男は二ヶ月に一度、悪夢を見るそうだ。



*****



 夜中にふと、目が開いた。蒸し暑く、空気が淀んでいて、夏の不快さを凝り固めたような夜。寝苦しい夜だった。

 なんとなく天井を見つめていると、理由もなく不安がせり上がってくる。


 口の中に金属の味がするような気がして、俺は喉が乾いていた事に気がついた。

 四畳一間に敷いた薄い布団から起き上がると、台所に行き蛇口をひねる。ぬるい水が出る。コップに満たし、一息に飲み干す。

 すぐ隣には玄関があるが、俺はたまらず目を逸らした。

 突然扉が開くような、恐ろしい妄想が脳裏をよぎったからだ。


 カチ・カチ・カチという時計の針が進む音を聞き、俺は理性を取り戻した。時間は2時を過ぎた所だった。


 寝直そうか……。


 そう考えた、その時。

 突然、胸に違和感が走った。


 苦しい。つっかえている。——何かが。

 奥から込み上げてくる物体が、喉へと登って、口内にすえた臭いが広がった。気持ち悪い、吐きそうだ。俺は急いでトイレに駆け込もうとし……失敗した。


「おげ」


 びちゃ、と吐瀉物がフローリングに落ちる音。昨晩食べたトマトのせいか、色がうす赤い。俺は涙を流しながらそれを見つめていた。


 すると、蠢いている。


 吐瀉物の中を、何かが蠢いている。左右に身体をうねり、固形物の海を泳ぎ、どこかへ行こうと伸縮を繰り返している。細長くて黒い何か……。


 これは、虫だ。


 虫が、俺の吐瀉物の中に、いる。


「おげぇ」


 それを見て、もう一度吐いた。気持ち悪い。まだ腹の中に虫がいる気がする。全部、全部吐き切ってしまわないと。


 そこで、いつも意識が切り替わる。



*****



「で、気がついたらまた寝てるんスよ……。きたねぇ天井見てぼーっとしてて。全部夢なんスよ」


 男は話し終えると、僕がお出しした煎茶をずずっと啜る。安い茶だったが、お客人から文句が飛び出ることはなかった。


 しかしそれもそうか。


 こんな薄暗くて汚いオフィスビルの一室にやってきて、「怖い夢を見るから助けてほしい」と懇願するような切羽詰まった人間が、わざわざ茶の味に言及するはずもない。そうでなくとも、茶髪に、耳ピアスが四つ、ダメージジーンズを気楽に着こなす彼のようなが、茶に精通しているとは思えないし。

 ……偏見だろうか。


「なるほど。虫ね」


 言葉を返したのは、正面に座るよれよれのスーツを着た男。『お化け問題伺います』と胡散臭いチラシの発行元である、タカラギ興信所の所長であるところの宝木紳助タカラギ シンスケその人である。


「なんか、お祓い行けとか言われたんスけど、お祓いって金かかるじゃないスか。ここだと無料相談あるって聞いたんで」

「無料だよ、相談は」

「ッスよね。俺、金なくて。よかった」


 いやよくないだろ! 僕は思わず心のなかでツッコミを入れる。

 普通、相談をした後に問題アリとなったら、そのまま依頼をするのが一般的である。最終的にお金はかかるということを、この男は果たして理解しているのだろうか。まさか解決するまでが”相談”の範囲だと思っているのではなかろうか。


「君、最近悪いことした?」

「わ、わるいことスか? い、いやぁ~してない~と思うんですけどね」


 ははは、と言葉に詰まる男。

 何の取り柄もないただの高校生男児である僕ですらわかる。コイツ、明らかに嘘ついてるな……。そして僕が気づくくらいなので、所長も当然気づいている。


「嘘ついてたら解決できないよ。本当の事話して」

「あ、その、あはは。実は、その」


 そこから男が話し始めた話を、僕はメモ帳に書き殴っていく。


 男は一年前、近所にある神社で仲間と一緒に飲み会をしていたそうだ。……未成年飲酒についてはこの際いったん触れないでおくが、ともかく夕方から深夜まで続く大宴会だったらしい。

 終盤に差し掛かった頃、いよいよ酒の肴も話の種もなくなった男たちは、度胸試しをしてみようと思い立った。「この墓みたいなん倒そうぜ」と、神社の脇にのっぺりと立っていた石碑を指さしたらしい。

 そこで、「じゃあ俺いくッスわ」と半笑いで立ち上がったのがこの男。全力で蹴りを入れ、引っ張り、バットでぶん殴る。ギャハハと周囲は大喝采。酒をドボドボと頭からかけた上に、ついには石碑を横倒しにしてしまった。


 その日から数えてちょうど二ヶ月くらいの夜。そこから、件の恐ろしい夢を見るようになったらしかった。


 最初の一回二回は気持ちの悪い夢だと流せていたものの、夢をみるたびに身体のあちらこちらに不調が出るようになった。今では喘息のような症状も発症してしまい、日常生活にも支障が出るようなってしまったのだという。


「病院いったの?」

「いや、金なくて」


 アホかと僕は肩を落とした。

 どうやらこの男、病院に行く金がない、病状が分からない、でも原因は夢のせいだと思う、たぶんこれは祟りだろう、じゃあお祓いしてもらわないと、しかし金がない、無料で相談できるところで話を聞いてもらおう。

 という変遷を経て、この興信所へとやってきたらしい。

 もう一度思った。アホか。


「なるほど。そりゃ三尸サンシだな」

「サン、シ?」


「平たく言うと、人の体の中には虫が居てな。

 二ヶ月に一回、庚申コウシンと呼ばれる日に身体の中から這い出てくるんだ。

 この虫は天に登っていって、神様に宿主の悪行を告げる。

 神様はそれを聞いて、寿命減らすなりバチを当てるなりする……。

 っていう伝承の事があるんだ」


「そ、それが、え、俺の中から虫がでてきて、チクってるってこと?」


「そうだ。だけどこの伝承には解決策があってな。

 虫が身体から這い出てくるのは、寝ている時だけなんだ。

 だから庚申の日が来ると、地域住民みんなで夜通し寝ずにすごす。

 身体の中から虫を出さないためにね。これを庚申待ちという」


「へ、へぇ……寝なきゃいいってことッスか? いやでも、待ってください。そもそもなんで俺の中に、そのサン……虫? 虫がいるんスか?」


「君が倒した塔……たぶんそれは、庚申塔コウシントウだ。庚申塔とは、庚申待ちを長く続ける事ができた記念として建てられる。そこには当然、三尸サンシに対する畏敬や、畏怖といった念が籠もっているだろうな」


「え、つまり、塔倒したから、俺が呪われて虫が……ってことッスか?」

「平たく言えばそう」


 所長はずずっとまた茶を啜った。

 どうも中が空になったらしく、後ろに控えていた女の子に「おかわり」と安物の湯呑みを渡す。……が、「嫌だ」と言い切られてしまっていた。可哀想なので僕がお代わりを淹れてくることにする。


 コトと湯気のたつ湯呑みを机に置いた。


 先の話を聞いて震え上がってしまった男は、視線をあちらこちらに向けながら、怯えた口調で言った。


「じゃ、じゃあ、俺どうすればいんすか……」


 所長は新しい茶に口をつけながら言う。


「ま、庚申塔を元通り立て直して、酒と花でも添えて、ごめんなさいすればいいだろ。あと、次の庚申の日は念の為寝ないこと。いったんそれで様子を見てみるといい」

「ま、まじすか? ほんとにそれで助かるんスか?」

「わからん。君の誠意次第だろ」

「あ、あざす!!! 俺、ちゃんとやります! マジ、めっちゃ悪いことしたなって思ってるんで!!」


 一気に顔が明るくなり、調子づいて言葉を重ねる男に僕は不安を覚える。本当に大丈夫かこの人……。


「ま、念の為うちの所員をつけるから。一緒に直してくるといい」


 ポンと、肩に手を置かれる。


「頼んだよタツヒコ君」

「は? え? 僕一緒にいくんですか?」

「うん。メリィも一緒にね」


 所長はうしろの女の子……寡黙で、ずっとむすっとしていて、今でも機嫌が悪そうに鼻を鳴らしているセーラー服の少女に視線を向けた。


「嫌だ」

「嫌じゃない。仕事だから」

「僕も嫌ですよ。今日は事務仕事だけだって話だったのに」

「でもアルバイトの業務内容としては、お客さんの付き添いもはいってるから。給料だしてるよね? 頼むよ」

「お願いしまッス! 俺、なんでもするんで!」


 くそ、調子のいい奴め!

 僕はセーラー服の少女、宮本みやもとメリィへと視線を送る。


「……」


 もっのすごく、嫌な顔をされてしまったのだった。


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