帰り道を迷った夏
舞夢宜人
第1話
都会の喧騒から逃れるように、俺は岳南市行きの特急列車に乗り込んだ。七月も終わりだというのに、東京の蒸し暑さは容赦がなく、窓の外を眺めているだけでも汗が滲むようだった。しかし、列車が岳南市に近づくにつれて、車窓を流れる景色は次々と高層ビル群から田園風景へと変わっていく。それに伴い、空気が少しずつ澄んでいくのを感じた。窓を開けたら、土や草木の匂いがするのだろうか。そんなことを考えていると、都会で一人で暮らしていた頃の孤独感が、少しだけ和らぐような気がした。
両親の長期出張が決まったとき、俺は安堵した。いや、安堵したわけではない。ただ、一人で過ごす時間に慣れてしまっていただけだ。学校では、クラスメイトたちと当たり障りのない会話を交わし、放課後は誰もいない自宅で、ひたすら受験勉強に励む。それが、俺の高校生活だった。そんな俺の様子を心配した両親が、田舎にある父方の実家で夏休みを過ごすことを提案してくれた。俺は、二つ返事で承諾した。静かな場所で勉強できるなら、それでよかった。
岳南駅は、都会の巨大なターミナル駅とは違い、こぢんまりとした、懐かしい雰囲気をまとっていた。駅舎は古く、錆びついた看板が、この町がかつて温泉地として栄えたことを物語っている。改札を抜けると、ふわりと潮風の匂いがした。そういえば、岳南市は海も近いと聞いたな。
「颯太くん!」
改札の向こうから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。父方の叔母、高見美奈子さんだ。都会の喧騒とは無縁の、おおらかで温かい笑顔を俺に向けてくれた。
「美奈子叔母さん、お久しぶりです」
俺がそう言って頭を下げると、美奈子さんは嬉しそうに俺の腕を掴んだ。その隣には、一人の少女が立っていた。髪をポニーテールに結んだ、可愛らしい顔立ちの少女。
「結衣よ、覚えてる?」
美奈子さんに言われ、俺はハッとした。彼女は、幼い頃に何度か会ったことがある従妹の高見結衣だった。あの頃は「結衣ちゃん」と呼んでいた。細い腕、小さな手、あどけない顔立ち。しかし、目の前に立つ彼女は、俺と同じく高校三年生。幼い頃の面影はありながらも、どこか可憐で、儚げな美しさをまとっていた。
「久しぶり、結衣」
「お久しぶり、颯太お兄ちゃん」
俺がそう言うと、結衣は少し恥ずかしそうに微笑んだ。その笑顔に、俺の胸は少しだけドキリとした。
美奈子さんが運転する車に乗り込み、結衣の実家である雑貨店へと向かう。商店街の真ん中に位置するその店は、木工品や地元の特産品、懐かしいおもちゃや駄菓子が所狭しと並んでいた。シャッターが下りた店も多い商店街の中で、その店だけは温かい光を放っているように見えた。
店の奥の居住スペースへと案内され、美奈子さんが俺の荷物を運んでくれた。
「よかったら、今日からうちでご飯食べなさいね。結衣や友達と遊びに行ってもいいのよ。受験勉強も大切だけど、たまには息抜きも必要だからね」
美奈子さんの温かい言葉に、俺の心の奥底に秘めていた寂しさが少しだけ溶けていくような気がした。都会で一人で過ごしていた頃は、こんな風に誰かに気にかけてもらうこともなかったからだ。
夕食後、俺は自分の部屋で勉強をしていた。志望校は、県内にある国立大学の工学部情報工学科。合格できれば、東京から離れることになる。都会での孤独から逃げ出したいと思っていた俺にとって、それは希望だった。
「トントン」
ドアをノックする音がして、結衣が顔を覗かせた。
「あの、よかったら、一緒に勉強しない?」
結衣は、手には教科書とノートを持っている。
「うん、ありがとう」
俺は二つ返事で承諾した。一人で勉強するよりも、誰かと一緒の方が心強い。それに、彼女は、俺と同じ志望校、同じ学部、同じ学科を希望しているのだ。話を聞くと、彼女の家は代々続く雑貨店を営んでいるため、理系に進学したいという彼女の夢を応援してくれているらしい。彼女の真剣な眼差しに、俺は自分の夢を見つめ直す。俺の夢は、ゲームを作りたいという漠然としたものだったが、結衣は、この過疎化の進む町で、自分にできることを真剣に考えていたのだ。
「すごいな、結衣は」
俺がそう言うと、結衣は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。颯太お兄ちゃんと一緒なら、きっと頑張れるって思うんだ」
その笑顔に、俺の胸はまた少しだけ、ドキリとした。彼女の瞳は、俺の目にまっすぐに向けられていた。その瞳の奥には、俺と同じ、将来への希望と不安が入り混じった光が宿っているように見えた。
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