僕の中の神様、そして君。——君が奪われた日、僕は神を殺すと決めた——
水宮ひいろ
第1話 神への想い
祈れば、神が救ってくれる——そんな言葉を信じている人間がいるらしい。
幸福感を得たり、困難を乗り越えられる。
祈ることには、そんな"効果"があるんだと。
でも、実際はどうだ?
欲望が人間を殺し、絶望が自殺を呼ぶ。
だから、僕は信じない。
『神という存在を。』
救われた人間なんて、どこにもいないんだから。
◆◆◆◆
「おお!あの子が、神々に選ばれた子なのですね。」
「なんと運のいい子なんでしょう!」
歓声が耳に刺さる。
息が、乱れる。
心の中から怒りが込み上がるような。
「これからが楽しみだな!」
「そうですね。」
僕が、ふと目に入った光景。
あれは、家族か?
爪が手のひらに食い込むほど、拳を握る。
心の奥底で燃える炎が、抑えきれない。
「この世界も安泰だね。」
「神様よ!ありがたき幸せ!」
子供までもが、無邪気に叫んでいる。
やめろ。
頭が痛い。ガンガンする。
爪の間が血で滲んでいる。
もう、だめだ。
「黙れ……」
気づけば、言葉が漏れていた。
心の奥底の炎が、一気に燃え上がった。
「500年という月日は長かったな」
「神幸日(しんこうび)で選ばれた子がいると聞いてきたぞ!」
子供も、大人も、年寄りもが狂ったように声を上げ、さらに人間が集まってくる。
「あれが神々に選ばれた子か!」
「選ばれた子だー!」
耳が痛い。頭がさらに痛くなってく。
これ以上は、耐えられない——!
そのとき、かすかな声が割って入った。
「お兄〜ちゃん!今日は神幸日だね!何かいいことあるかな〜?」
一瞬、世界が止まった。
群衆の声も、怒りも、苦痛も、すべてが遠くに。
目の前には、微笑む彩葉の姿だけ。
……その時、我に返った。
群衆も、声も、ただの幻のように感じたんだ。
「お兄ちゃん……?」
心配そうに僕を見る彩葉を見て、黙り込んでいたことに気づいた。
そして僕は、すぐさま「大丈夫」と返した。
この少し乱れた黒髪に、綺麗な黒い瞳を持つ少女は、『一神 彩葉(いちかみ いろは)』。
僕の妹だ。
小学生の彩葉は、元気で活発だが、細く華奢な体つきで、少し走っただけで息が上がる。
体が弱いということで、僕ら家族に面倒をかけたくないらしい。
僕は面倒をかけてこそ、家族だと思うんだけど。
まあ、この話は置いておいて、
今日は300年に一度の神幸日。
神々に選ばれた者は、300年分の幸福を得ることができる。
そんな日だ。
街の雰囲気も、いつもと違う。
寺、神社、教会の周りで祭りのように賑わい、一日中人々の祈りや歓声が響いている。
街全体が神聖な空気に包まれているんだ。
けれど僕らは、
「たとえ神幸日でも、何も変わらないよ。」
そう口にした途端、彩葉の笑顔が少し曇ったのを見て、胸が締め付けられた。
彩葉の言葉を否定するつもりはなかった。
ただ期待して裏切られる未来が、怖かったんだ。
「もう!またそうやって、マイナスなこと言うんだから!心配して損した!」
怒られてしまったな。
でも、なるべく彩葉の前ではマイナスなことを言いたくない。
「神様はたくさんの人を相手にしているから、大変なんだよ……多分。」
神様は、貧乏な僕たちには相手をしてくれない。
学校でも。お店でも。どこでもそうだった。
だから、今家族と暮らせるこの時間が、お金で買えない一番の幸せなんだ。
「そうだよね……。」
彩葉の引き攣った笑顔が、心に突き刺さった。
そして、僕は小さく呟く。
「これでいいんだ。」
その時、玄関の扉を開く音が聞こえてきた。
「ただいま〜!彩葉!自然!
今日もクタクタだよー!」
父さんだ。仕事を終えて帰ってきた。
母さんは彩葉が小さい時に亡くなったから、現在は片親家庭。
今は、三人で暮らすには小さいアパートに住んでいる。
もちろん、都会のタワーマンションと違って、豪華さも華やかさもない。
でも、その狭さが逆に僕らを近づけてくれる気がするんだ。
「「おかえり」」
「父さん」「お父さん」
「自然どうしたー?浮かない顔して。」
父さんは、僕の名前を大きな声で呼ぶ。
僕は、一神 自然(いちかみ しぜん)。
高校に入ってからは、からかわれることも増えた名前だ。
僕も、この名前がずっと嫌いだった。
名前そのものが、大自然みたいに壮大なのに、実際、僕自身は小さくて弱い人間だ。
でも、父さんに呼ばれる時だけは、なぜか悪く思わない。
「お兄ちゃん酷いんだよ!今日は神幸日だって言うのに!」
「悪かった!ごめんって!」
「もうー!」
彩葉の頬が膨らんでいく。
妹に許しを求める兄の姿を見て、父さんは思わず笑った。
「ははは!彩葉、自然も謝ってるんだし、許してやったらどうだ?」
彩葉は、目をつぶって考える。
僕はその間、祈りのポーズで向け合った。
「わかった、許す!お兄ちゃんのこと許す!」
「あー良かった!ありがとう彩葉。」
「プッ!」
「「「あははは!」」」
笑いが部屋中に弾んだ。
でも、心のどこかで、この幸せがいつか壊れてしまうのではないか。
そう考えてしまう。
「あれ?もうこんな時間か。」
やはり、楽しい時間はすぐに過ぎていく。
いつも通りの素朴な夕飯だけど、3人で囲むだけで、ご馳走に思える。
風呂場は温度調整ができず、誰かの「冷たいっ!」という声に笑いが爆発する。
そう、『不便さ』さえ、僕らには幸せに感じられる。
だから、あっという間だった。
「彩葉!自然!父さん明日も仕事だから、先に寝るよ。俺は、二人といるだけで幸せだぞ。
おやすみー」
「「おやすみ」」
父さんの言葉が、妙に頭に残った。
「もう寝る時間か……。あっという間だね。お兄ちゃん。」
「そうだな」
「ねぇ、お兄ちゃん……私、神様たちに選ばれるかな?
選ばれると、お兄ちゃんたちの幸せも保証されるから、二人に迷惑をかけなくなれるのに……
ゴホッ、ゴホッ……。」
苦しそうに口を押さえつける。
僕は眉を寄せたが、すぐに彩葉は「大丈夫だよ。」と笑い、僕は安堵の息をつく。
心の緊張が、少しだけ解けた気がした。
「……バカ言うな。一生分の幸福なんていらない。
僕らは今、この時間だけで充分幸せじゃないか。」
少なくとも僕はそう思っている。
多分、無理はしていると思うけど、父さんも。
そんなこと、彩葉に言わせたくなかった。
そう思ってほしくなかった。
「彩葉は選ばれなくていい、僕がもっと二人を幸せにするから。」
彩葉は布団に潜り、小さく笑った。
その笑顔が、嬉しくもあったし、どこか寂しくもある……。
気づけば、彩葉は眠りについていた。
けれど、僕はなかなか寝付けない。
今日は特別な日。神幸日。
けれど、僕らには関係のない日。
……そう自分に、言い聞かせる。
それにしても、今日は寒いな。
冬とはいえ、いつも以上に冷える夜。
僕は寒さに耐えるように、薄い掛け布団を握りしめた。
いや、それだけじゃない。
何かが壊れる時は、いつも以上に幸福を強く感じる。
その幸福を否定したくて、僕は必死に握りしめたんだ。
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