幕間③ 聖女の記録 そして旅立ち

――ソフィア視点――


 夜闇が広がるルース村は、今も焦土の匂いを残している。

 空にはまばらに雲が漂い、月の光が雲間を縫うように白銀の光を落としている。


 村の外れ、少し小高い丘に古びた木造の教会でワタシは足を止める。

 扉の脇に広がる草花に夜露の水滴が宿っている。珠の水は月光を淡く反射していた。


 そっと教会の扉を押し開く。シスター・タマラには「今晩はここに泊まるわ」と伝えてある。 


 古びた教会の奥。祭具室のさらに奥にある狭い仮眠室の扉をそっと開いた。

 窓際の小さな机の上で蠟燭の火がかすかに揺れている。


 手にしているのは、母・アリアが生涯をかけて遺した、その原本だ。ワタシ以外の誰も、その存在すら知らない母の手記だ。


「……母様。あなたは何を願って、この術式を作られたのですか?」


 祈るように囁きながらワタシは椅子に腰を下ろした。

 深く息を整え、そっと手記に施された封印を解く。

 薄紙に刻まれた魔法文字が淡く光を放ち、金色の文字列が宙に舞った。それは祈りでもあり、懺悔であり、そして――母の愛が形を成したものだった。


 ワタシは古びた手記の文字を指でなぞり、母の思いを読み解いていく――。



▽ ▽ ▽



――『鐘の音に似た轟音と共に、命ずる声が天より下る。それはわたしくに告げた。”悪しきもの――悪魔アシュタロトを滅せよ”、と』


――『けれど、わたくしは拒む。滅びより救いを。呪いより祝福を――』 


――『もし彼女に、アシュタロトに共鳴できる魂があるなら――。きっと、その誰かが彼女を繋ぎとめてくれるだろう……わたくしはその希望を残したい』




 文字は穏やかでありながら震えていた。

 これらの手記からは――母様がどれほど迷い、苦悩してきたのかが滲んでいる。


「……やはり、これは“滅ぼすための術式”ではない。母様……あなたは、救うために神々の命令を欺いたのですね……」


 なぞる指が一点で止まる。そこには数式のように並ぶ符号列のひとつに、見慣れぬ式が混ざっていた。

 ――本来の術式には存在しない、母様が独自に組み上げた“抵抗の爪痕”だ。


 ページの端には、走り書きのようにこう記されていた。


『彼女を憎むことなんて出来ない。彼女は堕ちた神の一柱でありながら、どの神々よりも人を愛していた。その在りようを、わたくしは知っている……』


 次の文字列には涙が落ち、インクの滲んだ跡が残っている――。


『それゆえに――アシュタロトを消滅なんて、させない』



 ワタシは無意識に唇を噛んだ。

 母が信じた“悪魔”とは、かつて神々の座に連なる者――。忘れ去られた神の一柱。

 そして今、異界から転生してこの世界に来た魂と、その波長は重なり合っている。


「アシュタロト……あなたは母様と何を話して、そして何を見てきたの……?」



 ふと窓の外を見やる。

 すでに夜明けが近い時間となっていた。窓の外がわずかに白み始め、小鳥の囀りが耳に優しく触れていく。

 

 ワタシはページを閉じ、手記を胸に抱きしめる。


「母様は罰を恐れず、愛を選んだのですね。ならば――私がその願いを継ぎます。あなたの祈りを途絶えさせないために……」


 小さな教会の祭壇へと歩み寄る。

 その前に膝をつき、両手を組む。すると、祭壇が薄っすらと白金の光を帯びた。


――『ゆめ、忘れるな。アレの消滅を見届けよ』


――『アレは、我々神々に愛されながら、悪へと堕ちた災厄なのだ』


 誰の声とも知れぬ囁きが、風のように通り過ぎる。

 これは天からの命令、あるいは警告。

 ワタシは顔を上げず、ただ静かに祈り続けた。


 短くなった蝋燭の炎が最後にふっと揺れ、消えた――――。



▽ ▽ ▽



 空の雲が薄紅色に染まり始めた。

 まだ復興途中のルース村の広場には人だかりが出来ている。

 

 ここに集まっているのは敬虔な信徒たち。

 ワタシの出立を見送るため、祈りと共に集まったそうだ。 


「ソフィア様。私、やっぱり心配です……」


 隣で声をかけてきたラフィニアへと顔を向ける。

 アメジスト色の瞳には、不安と緊張の色が浮かんでいる。


「大丈夫よ、ラフィニア。道中はワタシがいるし――ドノバンも”一応”いるわ」


 横目で剣聖ドノバンの姿を見やると「聞こえてんぞー」と苦笑交じりにこちらを見ていた。

 ラフィニアは小さく会釈しながらも、その視線は馬車の中へと向けられている。


「馬車旅もそうですけど、アシュが長く眠ったまま起きないから……」

「……彼女は強い。きっと無事に目覚めてくれるわ。アナタも、そして私も、信じて見守るしかない」


 ラフィニアは小さく息を整えると、深く頷いた。


 やがて朝の光が眩しく差し込み始める。

 聖騎士たちが整列する中、豪奢な馬車の扉が開かれた。 


「ラフィニア、時間よ。行きましょうか」

「は、はい……」


 緊張している彼女の手を引いて馬車へと乗り込む。

 銀色の装飾が施された馬車のキャビンには、まだ深い眠りにつく黒髪の少女――アシュが静かに横たわっていた。


 ラフィニアはそっとアシュの肩を支えながら、席へと静かに腰を下ろす。


 外からは「聖女様に幸あれ!」「聖国に繁栄あれ!」と祈りと希望の声があがる。

 人垣の端で、こげ茶色の髪をウィンプルに収めたシスター・タマラが柔らかく微笑んでいる。


 すると馬車はゆっくりと進み始めた。

 カラカラと子気味良い車輪の転がる音が車内にも響いている。


 ルース村の茶色い木製の門扉を抜け、朝霧の立ち込める道を進む。

 白い靄の合間に、まだ遠くにある聖都の尖塔が霞んで見えていた。


「それじゃあ、あとは聖都への旅路を乗り越えましょう」


 ラフィニアは少し震える手でアシュの手を握り、そっと小さく頷く。

 それを静かに見守り、母が残した意志を胸に秘めながら黒髪の少女を見やる。


(母様の願いの結晶なのね……アシュタロト)


 対面の座席で眠るアシュの寝顔は幼子のようにあどけない。

 

 ふと今回の騒動を思い出す。

 帝国がアシュタロトを奪取しようとしていた。そのために魔物の群体スウォームを操る何らかの方法まで作っていた。


 そして今。帝国の勇者が不穏な動きを見せ始めている、という噂が静かに広まっているらしい。


(情報漏洩の罰として、カイには必死に頑張ってもらいましょうか……)


 けれど、帝国の目的はいまだ見えずにいる。

 そして、「忘れ去られた神々オビリビオン」の干渉。


 —―不穏な空気は今もまだ漂っている。


 それでも、道の先に広がる空は澄んだ青色で輝いて見える。

 

 未来への道のりも、同じように澄んだ空であってほしい。

 そう願い、対面に座るの姿を目に映したのだった――――。


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