Chapters 3 バケモノ
顔が、熱い。あの時の燃えるような熱さがまだ頬に残っている。そういえば、あの後、俺はどうなったんだろうか。死んだのか、それとも………。
ゆっくり、目を開けてみる。体が動くということは、どうやら自分は生きているみたいだ。視界にあるのは、天井に突き刺さる鍾乳洞の氷柱。そして、肌に感じる床の石の硬い感覚。知らない場所だ。
「………あ、目が覚めたんですね、よかった。」
薄く聞こえる高い声。ビー玉が転がるようなその声の方向を見てみると、やはり声の主は佐倉さんだった。
「熱があるみたいなので、あまり動かないでください。腕と顔の傷も、深いみたいですし。」
「はい………。」
彼女の声に安心し、再び目を閉じる。今まで経験したことないほどの静けさの中………。て、ん?鍾乳洞?石?俺は今、どこにいる??
「うわああぁ!」
視覚や聴覚がものすごい勢いで研ぎ澄まされ、思い切り跳ね起きる。頭はまだぼうっとするが、薄れていた思考も少しずつ回復してきた。どうして、俺は生きている?ここはどこだ?何が、起きている?
「………だっ、大丈夫ですか?」
慌てて再び隣を見ると、声にびっくりしたのか目を見開いて驚いた表情のまま固まった佐倉さんがいた。今までずっと、一人でやっていたのか。飛行船から俺を連れて脱出したのも、ここまで移動してきたのも。そう思うと、罪悪感と情けなさが押し寄せてくる。
「ご、ごめんなさい。今まで。俺、何にもできなくて。」
「い、いや、全然!こっちだって、あの時助けてもらって………。」
佐倉さんが下を向いて口籠もる。あの時。たくさんの仲間が死んで。見捨てて。佐倉さんが襲われたところを助けて。俺は、あの化物を殺して。………殺した。彼女は、怖くないのだろうか。あの「生物」を死に至らしたこの手が。自分よりも体格が良く、力が強い俺が。俺は、何かを殺したのに何も感じない自分の体が怖くてたまらないというのに。
「………あと、『ありがとう』って言ってください。」
「え。」
「『ごめんなさい』より、『ありがとう』って言って欲しいです。」
彼女が俯いたまま呟く。奥に覗ける瞳は暗くありながらも自然な光を放っていた。
————生きて!
思い返したのは、その声。前話した時、彼女にはそんな希望が感じられなかった。自分と同じだと感じたのも、きっとそのせいだ。あの時この人は、この言葉を自分にも言い聞かせていたのではないか。そうやって今も知らない場所で生きている。………なんだか。
「かっこいいな、本当に。」
「え、え?」
「あんたのこと。」
別に、何を意識したわけでもなかった。なのに、俺の予想とは反対に彼女の顔はみるみる赤くなっていく。それがおかしくて、思わず小さく笑ってしまった。
「ちょ………なんで笑うんですか!」
「いや、ごめんなさい。つい、面白くて。」
「そういうの、『意地が悪い』っていうんですよ。知らないんですか?!」
「あー、ごめん。知らないかもしれないです。」
何だか彼女といると、今自分が置かれている状況も忘れてしまう。その証拠として、こんなに自分は気を許して笑ってしまっている。………そうだ。忘れてしまううちに言わなければ。
「『ありがとう』。」
俺を救ってくれて。こんな自分を許してくれて。
俺に、生きて欲しいと言ってくれて。
鍾乳洞の外では透明な雨がガラスの様に光を反射しながら落ちている。この島に上陸してからどれくらい経っただろうか。あの衝撃から、どれくらいの時間が過ぎていったのだろうか。降り続く雨が、あの時見た血の色に変換され、恐怖として蘇ることが、しばしある。
「まだ、止みませんね、雨。」
吉田さんが横から同じように外を覗き、呟く。その左頬には、固まった血に覆われた一本の傷が残っている。この傷と腕の怪我は消えることが無さそうだが、私が持ち出した携帯用リュックの中には解熱剤なども入っていたため、吉田さんの熱はすぐに下がり大事には至らなかった。
『かっこいいな。』
………この人は。何で、こんな私にそんなことを言ってくれるのだろうか。あの時、私はたくさんの人を見捨てた。仲間も、大人の人も、尚子さんも。吉田さんだって、もしかしたら見殺しにしていたかもしれないのだ。なのに。
「あの、聞きたいことがあるんですけど。」
「?はい。」
「名前って、聞いてもいいですか?」
「………さっ佐倉ですけど。」
「そうじゃなくて。」
一生懸命話を逸らそうとしたが、なかなかできそうにない。吉田さんは更に詰め寄ってくる。
「いや、苗字呼びだと色々不便な所もあるし、それに………。」
さっと、彼の心に黒雲がかかった気がした。彼に宿った死神の様な何かが顔を表した気がする。
「あと数日後には生きているかもわからない、そんな中でまだ話せる人の名前だけは、覚えておきたい気がしたんです。」
言い訳めいた言葉だったけれど、そう言われてしまうと否定ができなくなってしまう。もし私が彼の立場だったら、同じことを聞いていたのかもしれない。
「あ、もし絶対に言えない理由があったら、いいんですけど………。」
「………イマ。」
聞こえて、いなければよかった。なのに、こんな時に限って自分の声は長く響いてしまうのだ。吉田さんは一瞬無表情になってから頭に大量のハテナを掲げた。
「………え、あ、うん。今、何かあった?」
「そうじゃなくて、『イマ』!漢字で現在って書いて、『
「………まさかだけど。」
次には彼が引き攣った苦笑になる。顔が真っ赤になってしまいそうなのを、必死に隠す。それでも、私はポーカーフェイスが苦手だった。
「それが、名前?」
「ああぁ、そうです………!」
島で餓死するより先に、ここから燃え尽きてしまいそうだ。名前には抱えきれないほどのコンプレックスがある。だけど、今となってはそれも通用しないのだろう。
「………なんか、ごめん。」
「本当ですよ!一見楽そうに生きている人間にも、コンプレックスはあるんですから!」
思い切り叫んで熱を発散させようとするが、うまくいかない。やけになって、また声を上げた。
「それより!」
「………?」
「吉田さんの名前も、教えてください!」
「え………え?」
吉田さんの目が一瞬にして宙を泳ぐ。少し図太い気がするが、知りたいのは本心だ。自分が聞かれてムキになったわけではない。………訂正。少し、あるかも。
「え、ええと………。」
観念するように項垂れる吉田さん。その口が、躊躇げに開く。
「俺の名前は………。」
「行くか。」
久しぶりに触れた日光は、肌が焦げるほどの熱を与え、消えない。最近ずっと雨続きだったため外に出られなかったが、何とか外に出られそうで良かった。この島に来てから、一週間弱だろうか。そこまでにもなると食料も底をついてくるため、ずっと鍾乳洞に留まるわけにはいかない。
「大丈夫、歩けますか?
「………大丈夫です。」
陽だまりの中での苦笑い。………気づいただろうか。コンプレックスしかない俺の本名。「吉田ミライ」。イマほどのキラキラネームではないが、人前で堂々とは言えるものではない。その時こそ、イマは俺に同情の目を向けたものだ。
「………顔の傷、消えなそうですね。」
「ああ………でも、痛くはないし、平気です。」
自分の目の下には、飛行船で化物に切られた傷が生々しく残っている。血こそ止まったものの、かなり深いせいで消えることがないかもしれない。でも、止血剤のおかげで痛みは消え、正直な所腕の傷の方が痛くてそちらは気にならない。っていうか。
「歳が近いからタメ口にしませんか?それに、お互い呼び捨てでもいいし。」
学生兵同士で敬語を使うことはほとんどない。年が近いため、上下関係が生まれないからだ(一部を除いてだけど)。しかし、思えばイマのタメ口をきいたことがない。
「なっ……… で、でも!誰かを呼び捨てなんてしたことないですし、歳だって………。」
「イマさん、十四歳ですよね。俺は十五歳ですし、変わらないでしょ。」
「流石に変わりますよ!」
砕けた会話。仕舞いにはイマの方が折れ、できる限りのタメ口と呼び捨てをするということになった。
「ここは………。」
「うん。」
青々とした草に埋もれた瓦礫。骨組みの残骸。ここは。
「廃村だ。」
最初は無人島だと思ったそこは、きっと村だったのだろう。瓦礫の損傷の仕方や草の生い茂り方から見て、きっとここは十年前ほどに戦争か内戦で滅びたのだろうと分かる。そのころは、今よりもっと世界情勢が激しかったと聞いたことがある。
「酷い………。」
「ああ、そうだね。」
足元に、人体の頭蓋骨や、苔に覆われたカップなどが散らばっている。戦争がどれだけの人を殺したか、手に取るようにわかる。
「なんで、こうなったんだろうな。」
「え?」
「独り言。」
ただの本心だ。誰にも、わかるわけないのに。
「行こうか。」
「うん。」
そうやって、俺たちはあまりにもそっけなく廃村を出た。ここに長く居すぎると、きっと自分の大事な部分が壊れてしまう気がしたから。
「死んだ人たちは、天使になるのかな。」
声が飛んだのは、その時だった。不意に聞こえたその声に、俺はすぐ答えることができなかった。学生兵の中では、戦地に行き死ぬと、天使様になれるといった噂が飛び交っていた。もちろん、少しでも自分を納得させるために。………バカみたいだ。死んだらそこまでなのに。
「そんなの、嘘だよ。」
鍾乳洞を出てから、約四時間。廃村以外で、これまで目立ったものは特に見ていない。
「あのさ。」
「?うん。」
あれからずっと静かだったその空間で、不意に発されたミライの声。
「これから、どうする?」
「………どうしよう。」
食料などを探すために外に出たが、結局何もできていない。まあ、人が誰もいないのだから、何もないのが当然なのだけど。この調子だと、ウロウロした末食料が尽きてミイラになるのがオチだろう。
「やっぱり下手に動かない方が良かったのかな………。」
「ま、まあ、何もないとは限らないし、最悪危なくなさそうな食糧植物を探せば死ぬことはないと思うけど。」
「サバイバルみたい。」
「いや、実際そうでしょ。」
あはは、と控えめに笑うが、何日後に笑えなくなるかは分からない。ミライは「死ぬことはない。」と言ったけど、下手な選択をしたら死ぬことだってあるかもしれない。
「と、とりあえず夜を安全に越えられそうな所を探して………。」
ミライを追い抜きながら苦笑した、その時。唐突に、後ろからミライに口を塞がれる。
「………!」
「しっ。」
え、なに?そう聞こうとしたけれど、聞けない。声が出せないこともあったが、ミライが深刻そうな顔をしていたから。
「………いる。」
まだ私には、何のことだか分からなくて、ミライが見ている方向に視線を向ける。衝撃だった。緑の茂みの向こう。自然とはかけ離れた物体。………あの化物が、いた。
「………っ!」
「………隠れよう。」
何で。何でこんな所に、飛行船で見たものと同じ、化物がいるのだ。俺たちはとにかく化物に襲われないようにすることで必死で、岩陰に隠れた。でも、もし、見つかったら。殺される。不安と恐怖で、体が冷たく震える。化物は茂みの中でおぼつかない足を動かしながら、一瞬立ち止まった。心臓が、張り詰める。息が止まってしまうほど。身体と意識が一瞬離れ離れになるほど。
「ああああ!!」
声が近づいてくる。思わず悲鳴をあげそうになった。化物は俺たちの近くを通った。………通り過ぎた。何で、と思って視線を移すと、そこには茶の毛を持ったウサギが体をばたつかせていた。化物が視界にとらえたのは、これだった。そのウサギを、化物は胴体を噛みちぎり、振り回した。あたりに血と内臓が飛び散る。
「………っ。」
唐突な吐き気が襲い、意識が飛びそうになる。でも、逃げなくてはいけない。俺は一言も発さずに、イマを連れてそこを去った。
「っはあっ!はあっ………。」
「ごめん、急に。」
化物に気づいてすぐ口を塞いでしまったから、イマを驚かせてしまっただろう。しかし、イマはそんなことを気にしていないようだった。
「ううん、ありがとう。」
そう言いながらも、イマはまだショックを受けているようだった。受けない方が、異常だ。
「何で、ここに。」
ここはもう、ただの無人島ではない。あの廃村も、もしかしたら。
「バケモノがいるの………?!」
イマの声。あの廃村は、あの化物に破壊されたのかもしれない。………あの、化物は。一体、何なのだろうか。
「………雨。」
鍾乳洞を出てから約六時間。さっきまであんなに晴れていたのに、突然雨が降り出してきた。………ああ、まただ。降り注ぐ雨が血のように変色して私の顔にかかってくる。
「とりあえず、廃墟を借りて、雨宿りしよう。」
「うん。」
ミライさんに促され、瓦礫の塊となった家屋へ駆け込む。
「お邪魔します。」と律儀にお辞儀をするミライさんに習って私も頭を下げる。シックなテーブルに、傾いた椅子。外から見たらそこは完全な廃墟に見えたが、中は思ったよりも当時の面影が感じられた。
「………どういうことだろう。」
床に腰を下ろして(さすがに椅子には座らなかった)、ミライさんは頭を抱えた。これまでずっとこの話題を避けてきたが、ずっと話さないわけにもいかない。
「何であいつがここにいるのだろう。」
「うん………でも。」
一つだけ、私の中で確信めいた考えがある。限りなく、誤解に近い確信だけど。
「ここが、あの兵器が拡散された地域であるのかもしれない。だから。」
「………複数いる、可能性もある。」
ミライが苦しそうに苦笑する。………あれが、何体も。この島に。ミライでさえ、一体倒すだけであんなにボロボロになったのに。
「リュックの中って、武器とか入ってましたっけ。」
「えー、ピストルが、一丁………三十発分。」
「あー………。」
何とも言えぬ沈黙。その数だと、一週間持つかも怪しいだろう。
「本当に………迂闊に動かなければよかった。」
「もっとも。」
うん。なんて不毛な話し合いだろう。
鍾乳洞を出てから約十二時間。雨はまだ止まない。
「かなりの長雨だね。」
「うん、止んだ時にも気をつけないと。土砂崩れとか起きやすいだろうし。」
ボタボタと、滴る雨が床を叩く音。………まるで血のように。そういえば、沈黙の場が多いせいで、雨の音がより際立って聞こえるのだ。………何か、話さねば。ああでも、こういう時って何話せばいいんだ(俺は今までもこれからも童貞である)。
「あ、あのさ………。」
「ねえ。」
声が重なる。
「あ、ごめん。先に………。」
「い、いやいや!イマは、何て?」
実際、特に大したことを聞く予定ではない。イマは「ああ、じゃあ。」と少し躊躇いながら、話した。
「えっと、私、聞きたかったことがあるんだけど………。」
その続きを聞こうとした………その時。
「………Freeze!(止まれ!)」
心臓が暴れたように音を立てる。俺でも、イマでもない。ゆっくりと振り返る。そこには………おそらく外国籍であろう大人が十数人立っていた。その手には、銃が握られている。
「What are you doing? Rase your hand!(何をしている?手をあげろ!)」
世界の情勢のせいで十分な教育を受けられていない俺たちでも、何となくの意味はわかった。この人たちが決して、自分たちの味方ではないことも。………軍隊か?いや、軍服を着ていないし、それならば俺たちの敵ではないはずだ。………じゃあ、誰だ?
「ねえ、イマ。」
「?」
「逃げて。」
あの時の光景と重なる。でも今俺たちの前にいるのは、兵器でなく人間だ。
「まさか、ミライ………!」
「合図したら、外に出て。」
先の言葉を待つ余裕はなかった。大人の人たちが目を離した、一瞬の隙。
「走ってっ!」
イマに選択肢はない。俺が背中を押すと、イマは躊躇うよう後ろを振り向きながら反対の扉の方向へ走り出した。言語こそわからなかったものの、武装した大人たちはイマが逃げ出すとわかるや否やその背中に銃口を向けた。………その銃筒を掴んで、銃口を逆向きへ力尽くで回した。
「ミライ!」
「いいから!逃げっ………!」
叫ぼうとした瞬間。ゴツっ、と頭の裏で星が散るような感覚が走った。どうやら肘で頭を殴られたらしい。情けなく床に倒れ込むと、他の大人たちが出口に向けて走ってゆく。考えもせず揺れる視界の中でその一人の足を掴む。絶対に、行かせるものか。そう思ったのも一瞬で、その大人に外国語で罵られ(多分)、頭を蹴りとばされる。意識が遠ざかっていき、最後に見えたのは出口へ向かう大人たちだった。………逃げて、イマ。早く、逃げ………。
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