第151話 S-5 知識の潮流、歪んだ探求 -3
「やあ、セバスチャン殿。
まさか、あなたがここを訪ねてこられるとは。
私の不躾な理論が、王立学術院の若き秀才の興味を引いたとは、光栄の至りですな」
老修道僧は、セバスチャンの疲労をねぎらうように、温かい薬草茶を差し出した。湯気が立ち上る茶からは、甘い香りが漂っている。セバスチャンは顔を上げて、汗を拭う。
「おお、これはどうも。いつもご心配いただき、恐縮です。
先生の提唱する『概念魔術と物質転換の可能性』は、私の『空間幾何学と魔力の相互作用』の理論にも通じる部分があると確信しております。
特に、古文書に記された抽象的な記述の解釈において、先生の洞察は、私の知るいかなる文献よりも深いものがある。どうか、ご教授願いたい」
セバスチャンは、彼の研究に行き詰まりを感じていることを素直に告白した。老修道僧は、薬草茶を一口含むと、静かに語り始めた。
「セバスチャン殿。
その記号は、古き時代のエネルギー制御に関するものと見受けられますな。
神々の啓示によれば、その知識は、より効率的な熱源生成に応用できると。
あるいは、魔力的な障壁の安定化にも役立つでしょう」
老修道僧の助言は、セバスチャンがこれまでの学術では解明できなかった古代技術の解析に成功するきっかけを与えた。
セバスチャンは老修道僧の言葉を信じ、その研究に没頭し、画期的な発見を次々と行った。
彼の発見は、王国の生活水準を飛躍的に向上させ、暖房効率の改善、調理法の革新、そして王都の防衛結界の強化など、人々の暮らしに恩恵をもたらした。
学術は飛躍的に発展し、王国の生活水準は向上した。
しかし、その過程で、調律者の存在や真の歴史に繋がる知識は意図的に抑制され、都合の良い解釈が広められた。賢者は、学術の潮流を調律者の望む「効率的な知識体系」へと誘導し、人々の思考を限定していく。
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10年が過ぎた。
ある日、セバスチャンが、王立学院の図書館で「厄災」時代の技術に関する禁書を偶然見つけ、その研究に没頭しようとすると、老修道僧は静かに現れた。
「セバスチャン殿。その知識は、民に混乱をもたらす。
今は、より実用的な学問に集中すべきです。
神々の御心は、民の安寧を第一とする」
老修道僧は、巧みに研究を阻害した。彼の声は、静かだが、その言葉には揺るぎない確信が宿っていた。彼の瞳の奥には、感情を排した完璧な論理が輝いていた。
「学術の効率化を進めることは、王国の発展に不可欠です。
ただ、民に不要な混乱を与える情報は、今は秘匿すべきでしょう」
彼は「学術の効率化」の名の下に、特定の知識(調律者の存在に繋がるもの)を「非公開」にしたり、「研究の優先順位を低い」ものとして扱わせるなど、王立学院の運営に影響を与えた。
セバスチャンは、自身の学問的良心と、王国の発展という大義の間で葛藤した。
彼が偶然見つけた禁書には、かつて人類が神々や魔族と戦い、絶望の淵にあった歴史が記されていた。
そして、その中で、彼らが「魔族」と呼ぶ存在の行動が、どこか「管理」されているかのように見える、という奇妙な考察が記されていた。
この知識は、彼が王国の繁栄の陰に感じていた微かな「歪み」の正体を突き止める鍵となるはずだった。
「老修道僧殿、しかし、真理の探求は学者の使命。
この知識は、たとえ民に混乱をもたらすとしても、知るべき真実なのでは……?」
セバスチャンの声は、かすかに震えていた。
彼の視線は、禁書と、老修道僧の冷徹な瞳の間を彷徨う。
老修道僧は、静かに首を振った。
「セバスチャン殿。真理の探求は尊い。
だが、民の安寧を置き去りにしてはならぬ。
学問は、民を救うためにこそあるべきです。
この王国の繁栄こそが、神々の御心に適うもの…
あなたは、王の期待に応えるべきです」
彼の言葉は、セバスチャンの心の奥底に響いた。王国の繁栄を優先し、研究の方向性を「効率的」なものへと歪めてしまったのだ。
セバスチャンの妻となったクララもまた、セバスチャンの葛藤を間近で見ていたが、彼の決断を止めることはできなかった。
彼女自身も、王国の安定と学術の発展という大義の前では、個人の探求心は些細なことだと割り切ろうとしていた。彼女の表情には、諦めにも似た苦悩が浮かんでいた。
王国の知識と文化は繁栄するが、その背後には見えざる「編集者」の存在があり、真の自由な探求は失われていく。
セバスチャンは自身の功績に満足し、知識の探求こそが人類の未来を拓くと信じるが、その探求が調律者の掌中にあったことに気づかなかった。
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