甘き祈りの行方について

固定標識

呼んでない降臨

世界1の愛娘

 俺を置き去りに鳥影が空を過ぎてゆく。

 無様に羽を散らすことなど無く、滑るように融けるように、生きた流星となって駆け抜ける。軌跡には塵も残さない。

 その優雅な姿を見上げる度に、俺も羽ばたいてみたくなって、己の手羽先を眺めてみるのだが、そいつは丁寧に五本に分かれてしまって、さっぱり風を掴まない。

 鳥と人を比べれば閃く道理として、翼と腕は両立できない。だから我々人類は、遥か彼方の蒼色への憧憬などは、その長く器用な腕に任せて、「ばん」と呟き撃たねばならない。

 硝煙の代替に嘆息の煙が昇る。

【夢を追いたい】という鳥の想いと、【器用で在りたい】という人の想いを両立できるのは、翼と腕を両立できる奴だけだ。

 そしてそんな理想と現実を同時に叶え得るのは恐らく──腕にも翼に恵まれた

【天使様】だけなのだろう。


 ──────────・・・


 冷たい暗泥が充満する夜間の病棟にて、身体は深く俯き脱力している。

 墓場の冷血な表象とは対照的に、頭骨の鍋では酸に焼けるような思考が激しく煮えていた。

 向き合うべき現実が滅びの星のように降ってきては、まったく消えてくれないのだ。

 貴方の中で【天使】を描くとき、どんな姿を思い浮かべるだろう。

 俺が思うにそいつは、真白き大きな翼を携えて、光の輪っかを戴冠している。人々へと神の言葉を告げ、幸福をまき散らし、終末の喇叭を吹き鳴らす。神の使いにして幸福の証──

 しかして今、俺を見下しニコニコしている【天使】を名乗る不審者は、大翼も光輪も持ち合わせず、若い女の身体で、若い男の落ち着いた声で話す。

 光の波の如き金の髪と、猛る溶岩が如き深紅の瞳は、否応なしに人間離れした印象を闇へと刻んだ。しかしライトイエローのスーツとパンツに深紅のネクタイってのは、最近の若者の流行りなのかお笑い芸人の真似なのか。メリークリスマスの仮装にしてもなかなか奇抜だと思ってしまうのは、最早俺がおじさんだからか。

 そいつは先ほどから俺に向かって、何やら例え話を力説している。

「ですから、貴方の娘さんは花瓶に生けられた沢山の花のうちの一つなのです」

「例え話ってのは伝わらないと意味が無いんだわ」

「せめて詩的にしようと言うのに」

 天使の表情がむっと曇る。直情的だ。直情的な天使って最悪じゃなかろうか。

「いいですか、花瓶には水が入っていますね? で、花たちはそこから水を吸い上げるわけですが、花たちはそれぞれが自立した一個だから、樹木のように傷んだり病んだりした部分を自切することが出来ません。するとどうでしょう。傷んだり病んだりしてしまった自分を治すために、沢山の水とたくさんの栄養を、無意識のうちに花瓶から吸い取るのです。しかしそれでは、他の花々の幸福値が下がります」

 長話を早回しに流し込まれるので分かりづらい。天使は早口らしい。寿命の概念も無さそうなのに何を急いでいるのだろうか。

 世の父親の所感として、娘を花に例えられたら喜ぶか警戒するか二つに一つだ。俺は厚かましくも後者だったが、その認識は間違いではないように思われる。

 天使は続ける。まるで役者気取りで、身振り手振りがひらひらと舞う。

「世界は花瓶で、貴方の娘さんはその通り、花です。ただし状況として枯れかけの花だ。そして幸福が水ですね。この世には幸福や富、巡り合わせの絶対流通量が決まっていて、それは絶対に超過しません。ところが、ここ二億年の地球生命体の増加に依って、この世界の一人あたりの幸福の流通量が下がっています。これではいつしか、地球は第二の地獄となるでしょう」

「そりゃ大変だ」

 いきなりスケールが膨張して頭が痛い。これは寒さのせいじゃない。全くもって世迷言という奴は、いつだって悩みの種だ。

 続けて自称天使が言うには、【天国】【地獄】というものは、世間一般が大きく周知しているような、命が死んでしまった後に辿り着く神の領地では無くって、ただ、そういう場所であるらしい。人間の価値観で言うと部署とかそういうのが相応しいとも言う。

 だったらじゃあつまり、人は死んだら何処へ行くのだろう、逝くのだろう。気になりはしたが訊けなかった。

 怖かった。

 俺のわずかな逡巡を無視して、天使は言葉を並べる。

「その対処を自然淘汰に任せるにはヒトは繁栄し過ぎました。もう地球は、ヒトが管理しなくては立ち行かないレベルまで来てしまっているのです。ですので我ら天使の長たる棺蓋司祭長様は、一つの計画に判子をお押しになられました」

 天使は手を打つ。ハンコのジェスチャーらしい。

 淡々と回る糸車の如く、語る。

「傷み、病んでしまった花を、外部からの力で間引き、幸福の流通量を安定させる計画です。この計画の対象は、先の短く費用対効果が認められない十万人の子どもたちとなりました。よって、私は十万の少年少女の幸福を奪わなくてはならない」

『幸福を奪う』という婉曲的な表現に、頭の隅で静電気が弾けた。痛みが、青く散る。思考のブレーカーを落とせと脳が叫んだ。続きなんぞ聞きたくもなかった。

 俺がこいつの例え話をイマイチ理解し切れない大バカだとしても、ここまで言われて。

 なおかつ自分の立場、娘の立ち位置を前提とした時。

 すべての答えは自明と御旗の如し、翻る。 

「疑っていますね?」

「あったりめえだ」

「天使は嘘を吐きません」

「話が通じないらしいの間違いだろ」

「あ。どちらかと言うと吐けないと言った方が正しいかもしれません」

 ついでに話を聞かないらしい。

 ずるりと、気道を長い蛇が通り抜けていった。そいつは世間一般に嘆息と言う奴らしいが、コレほどの体長は初めて拝む。

 先行きは不明瞭に光明は無い。

 今宵は全世界的にイブを越えたメリークリスマス。丁度よく白雪降りしきり、四条河原町のライトアップは目に厳しい。クリスマスキャロルは福音のように奏でられて、まるで此処は幸福の楽園だ。

 翻って暗く沈んだ俺の手元には、娘のエミちゃんへのプレゼントのブローチが可愛らしくラッピングされていて、けれどもそいつが本懐を遂げることは未来永劫あり得ない。だってあの子は集中治療室の中で眠り姫。

 幼稚園のお遊戯会では端役だったエミちゃんが、今回ばかりはまるで主役だ。けれどもこれは雪に埋もれゆく悲劇だし、演技でも演劇でも、無いのだ。

「いいですか駿河会智さん。貴方の娘さんはね」

 俯けていた姿勢は上がらない。不幸を顔面から浴びる趣味はない。どうせ雨とか雪とかそういう冷たいものは、放っておいても俺を痛めつけるのだから。

「エミさんは執行ナンバー000001なのです」

 コイツが、事実天使であるか不審者であるかなんて俺にはわからない。で、どうでもいい。大切なのはエミちゃんが今苦しんでいて、俺はその現実に向き合わなければならないのに、目の前に不審者が降臨したことと、コイツがエミちゃんを殺しに来たことだ。

 コイツは俺の娘を殺しに来たのだ。

 呆然と下唇が垂れ下がる。

 声がついでにゲロ。

「……なんで」

「はい?」

 相槌が早くてイライラする。どうせお前の寿命はきっと、ヒトの足掻きを嘲笑うくらいに長いのに。どうして俺を急かす? エミちゃんを急かす。翼も無いのに人の歩幅を嗤うんじゃない。

 俺は訊く。多分興味本位だ。最早怖くはなかった。自暴自棄、自暴自棄? 死んでしまうのは、奪われるのは俺なんかでは無いと言うのに、全身の筋肉は薬毒に溶けたみたいに弛緩して、異常な言葉を吐き殺す。

「後回しにすればいいだろ。なんで拘る。なんでエミちゃんが最初なんだ?」

「まず一つ目の質問ですが執行の順番は変えられません。次に二つ目の質問に対する解答ですが、エミさんが12月25日24時00分に手術の失敗で天定寿命を全うするからです。残り時間の少ない方から執行した方が取りこぼしがありませんから」

 返事が早くてイライラする前に呆然と世界が白んだ。

 世界中の輝雪が反射して、俺の罪と怠惰を照らし出す。代替に足元へと落ち窪んだ影に、無数の黒い蛇が這う。

 天使は高そうな腕時計に一瞥くれた。

「あと七十五分ですね」

 そして笑う。ああコイツ死ねばいいのに。





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