5本目 「居酒屋の深夜ルール」

 俺が大学生のころ、夜だけ居酒屋でバイトしていた時期があった。

 駅前にある小さな個人経営の店で、厨房は大将と奥さん、ホールは俺ともう一人の女子大生だけ。

 仕事自体は楽だったけど、ひとつだけ奇妙な「ルール」があった。


「午前二時を過ぎたら、絶対に裏口を開けないこと。どんな理由があってもだ」


 大将が真顔でそう言ったとき、俺は笑いながら聞き流していた。

 けどある雨の夜、その理由を知ることになる。


 閉店後、片付けをしていると裏口を「コン、コン」と叩く音がした。

 時計を見ると、午前二時十五分。

 配達員かと思って近づいたが、奥のカウンターで伝票をまとめていた大将が、低い声で叫んだ。


「開けるな!」


 驚いて振り返ると、裏口のすりガラスにぼんやり人影が映っていた。

 ゆらゆら揺れていて、妙に長い腕のようなものが壁を伝っている。


 叩く音はやがて「ガリ、ガリ…」という引っかく音に変わった。

 女子大生の先輩が青ざめた顔で俺の腕を掴む。


「お願い…絶対に見ちゃだめ」


 音はしばらく続いたが、二時半を過ぎた頃、急に止まった。

 裏口を開けると、そこには何もなかったが、ドアの下の方に深く削れた爪痕が残っていた。


 その日以来、俺は午前二時が近づくと必ず鍵を二重にかけるようになった。

 大将は一度だけ言った。


「あれは客じゃない。昔からこの店に来る、“別のもん”だ」

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