15,王都急襲


 王城の尖塔が見えた。風のRAに乗って滑空するミズナの腕に支えられながら、俺は下に広がる城門前の広場を見下ろしていた。ノアールは少年を抱え、少し後方を飛んでいる。

 ようやく帰ってきた――そう思った瞬間だった。地面に降り立った俺たちを、数十人の衛兵が無言で取り囲んだ。

「コウノ・セッカ。殺人の罪で拘束する。実父、コウノ・ビカク殺害の容疑だ」

 無機質な声が、広場に響く。武器を手にした衛兵たちは、こちらに一歩ずつにじり寄る。

「……は?」

 一瞬、思考がついてこなかった。

「その場にいた者の証言がある。貴様が剣を振るい、ビカク殿を斬ったと」

 いや、待ってくれ。それについてはクレイモアが……、そう反論の余地すらなく衛兵は続ける。

「ノアール、お前もだ。RA強化薬の密造および密売の疑いで拘束する」

「ふざけないで! そんなの、濡れ衣よ。私が……薬なんて売るはずない!」

 ノアールの声は怒りに震えていた。だが兵士たちは聞く耳を持たない。

「身元不明の女、この女も拘束対象とする。ミズナという名は王国の市民記録に該当がない」

「え、なんであたしまで?」

 ミズナが困惑した目で俺を見る。

「少年はどうする」と衛兵の一人が問うと、「RA薬物の影響が疑われる。拘束対象だ」と別の衛兵が答えた。

 ノアールは少年をきつく抱き寄せる。俺たちは、今すぐ武力で突破することもできた。でも、誰も動かなかった。ノアールも、ミズナも、そして俺も。

「従おう」俺は言った。この場で戦えば、少年が巻き込まれるかもしれない。それに、すべてを敵に回すにはまだ早すぎる。まだ、話を聞かなければならない奴がいる。

 そのとき、遠くの塔からファンファーレが響いた。群衆の歓声が沸き上がる。王都中央塔のバルコニーに、ひときわ派手な黄金の鎧をまとった男が姿を現した。

 ゴードン・ゴドリゲス。

 笑顔を振りまきながら手を振るその姿に、民衆は声を合わせて叫んだ。

「新たなる勇者を迎えよ!」

 そして俺たちは、剣を向けられたまま、地べたに立ち尽くしていた。勇者は祝福され、俺たちは罪人として縛られる。俺たちの知らない間に、物語は、どこまでも見事に整っていたらしい。この戦火の中にあってもなお、王国は勇者ごっこを続けるつもりなのだろう。

「よくできた話だよな……」俺は吐き捨てるように言った。「コウノ・セッカは父親を殺した大罪人。ノアールは違法なRA強化薬の密売に関与していた凶悪犯。で、身元不明のミズナは不審者として拘束。……筋書きは完璧だ。誰も疑わない」

 ノアールが小さく首を振った。

「私じゃない……私は売ったりなんてしていない」

 当然だ。俺も知っている。だが真実なんて、この国には不要らしい。

 全部きれいに片付く。オーディションが中断しても、最終的には“次代の勇者”が堂々登場。そう、ゴードン・ゴドリゲス。金細工みたいな鎧で群衆に手を振って、偽りの英雄の座を受け取る。

 バルコニーに立つその姿は、誰が見ても“絵になる”だが、あいつはこのために王国に帰還したはずではなかったはずだ。それがどうして……。

「あいつは言ってた。王国、父クレイモアのやり方には疑念があると。威勢よく飛び出していったはずだ。なのに、今の姿はどうだ。あれが、抗う者の背中か? それとも……あいつもまた、この茶番を肯定したってことか?」

 誰も答えない。民衆の歓声が遠くから響いてくるのに、俺たちの周囲だけがひどく静かだった。

 やがて、衛兵たちが俺たちに錠をかけた。俺たちは無抵抗を貫いた。武力で抗えば、“凶悪犯が暴れた”という新たな筋書きが生まれるだけだとわかっていたからだ。

 ミズナは不満げに唇を尖らせながらも、俺の顔を見て、じっと黙っていた。ノアールは少年を庇うように一歩前に出た。「この子だけは……許してあげて。お願い」

 その声に、わずかに動揺する兵士の視線が交錯する。だが、いずれにせよ、俺たちの行き先は決まっていた。

 鉄の扉が軋む音が耳に残った。地下牢の空気は冷たく、湿っていた。俺たちはそれぞれの思考に沈みながら、誰にも見えない場所へと沈められていった。地上では、偽りの祝祭が続いているだろう。だが、その音は地下までは届かなかった。


 おそらく、二日が過ぎた。

 地下牢に差し込む光はなく、時間の感覚も曖昧だったが、腹の減り具合と眠気の波から逆算して、そんなものだろうと見当をつけていた。

 ノアールとミズナの消息はわからなかった。牢は一つではないし、二人の気配すら届かない。けれど、あることだけははっきりしていた。二人は、暴れていない。RAを使えば、ここの石造りの静寂はすぐに打ち壊される。兵士の喚声、崩れる天井、どこかで鳴り響く警鐘。それが何も起こっていないということは、少なくとも彼女たちは今、沈黙の側にいる。

 俺は寝台にもたれて、天井を見上げていた。鉄格子越しの闇は何も映さない。声も気配も、空気すらも、俺の存在を拒むように冷たい。

 だからこそ、扉の軋みが耳に入った瞬間、俺は反射的に体を起こしていた。ひとつひとつ、靴が床を踏むたびに響く。何度も、同じ足音を夢想しては裏切られていた。

 ――ようやく、か。

 湿った空気の底で、誰かの靴音が石床を叩く。ひとつ、またひとつと、迷いのない足取りだった。この牢に来る者は限られている。看守でもなければ、俺を取り調べる役人でもない。鉄格子の向こうに立っていたのは、王族の鎧を脱いだ見覚えのある男だった。

 私服姿のまま、蝋燭の灯を手に、黙ってこちらを見ている。

「……あなたは」

 言いかけた言葉に、俺は思い出した。こいつはゴドリゲスの兄、ゴードン・バルディオだ。

 彼は口を開いて語りだした。それはなにか物語を語るように、ゆっくりと。

「私は、見ていた。最終試験を、だ。あの刀が、もう少しで弟の喉元を貫こうとした、その刹那を——」

 彼の声は淡々としていた。だが、その背筋の張りように、抑え込まれた感情の重さがあった。

「……魔獣が現れなければ、たしかに届いていた」

 俺がそう言うと、バルディオは微かに目を伏せた。

「もし、あの刃があいつの喉を裂いていたならば——」

 彼は、ほんの少し間を空けてから、言葉を続けた。

「私は、ようやく兄であることを終えられたのかもしれない。ゴドリゲスとは、歳がひとつしか違わぬ。共に剣を学び、共に育った。だが私は、一度としてあいつに勝てなかった。剣でも、戦術でも、信頼でも」

 揺れる蝋燭の炎が、格子の影を壁に落とす。バルディオの横顔が、その影の中に沈んでいた。

「父上は言葉にはせぬ。だが、期待とは目線のことだ。あの方の視線がどちらに向けられているか……それを、見て育った」

「……」

「セッカ。貴様の刃が、あの時あいつを討っていたならば、私は——」

 その先を彼は言わなかった。けれど、続きは聞かずともわかった。弟を討ってくれていたら、自分の人生は、ようやく自分のものになった。バルディオはそう言いたかったのだ。

「私はあいつを、誇りに思ってはいない。あれは……私の存在を形骸に変えていく呪いのような弟だ」

 蝋燭の炎が、ぱち、と音を立てて揺れた。

「……私は、弟を愛したことなど、一度もない」

 それだけを告げて、彼は背を向けた。階段を上る音が、次第に遠ざかっていく。残されたのは、火の消えかけた蝋燭と、俺のなかにうごめく言葉にならない感情だった。

 音が消えた。

 バルディオが去ったあとの牢は、まるで言葉の墓場みたいだった。吐き出された感情の残骸だけが、この冷えた石の空間に残っている。

 俺はしばらく、何も考えないようにしていた。天井を見ていたのか、目を閉じていたのか、自分でもよくわからない。あの男の声がまだ耳に残っている。

 ——私は、弟を愛したことなど、一度もない

 あの言葉が本当だったのかどうか、判断する術はなかった。けれど、あの目は、嘘をついている目じゃなかった。憎しみとも、嫉妬とも、哀しみともつかない、混ざり合った熱が、確かにあった。だからこそ、余計に、胸の内がざわついた。なぜその感情の捌け口を俺にしたのか。

 いや、たしかに王族の中でその感情は決して口にしてはならない。逆賊である俺だからこそそれを口にした。それは願いのようでもあり、祈りにも似ていた。

 バルディオが去ってどれくらい経ったのだろうか。地下に時間の感覚なんてない。蝋燭の炎も、もう尽きている。だが、気配でわかった。

 今度の足音は、軽かった。

 けれど、それは単なる軽やかさじゃない。無駄を削ぎ落とした肉体が、空間と衝突する音のようだった。風を切る刃のように、滑らかで、正確で、そして静かだ。やがて格子の向こうに、その姿が現れた。

 ——ゴードン・ゴドリゲス。

 彼もまた鎧を着ていなかった。軽装に身を包み、かつてのような華美さもなかった。ただ、それでも――あの王城のバルコニーで、民衆に手を振っていたときの顔と、まったく同じだった。

 俺は床であぐらをかいたまま、こいつを見上げた。

「ようやく来たか」

 誰でもいいわけじゃなかった。衛兵でも、バルディオでもない。俺が会いたかったのは――ゴドリゲス、お前だけだ。

「……よう」

 ゴドリゲスが、ひとことだけそう言った。昔よりも低く、何かを飲み込んだ声。

「やっと来たな。首を長くして待ってたんだが」

 俺が言うと、ゴドリゲスはわずかに目を細めた。

「俺たちを捕まえて、気持ちがいいか。偽りの勇者さん」

「ああ、まあ、そこそこだな」

 白々しい笑みを浮かべて、俺の挑発にも屈さなかった。

「俺たちは、なぜ捕まってる」

「正義が……捻じ曲げられたからだよ」

 はっきりとした言葉だった。ゴドリゲスは、もう迷っていなかった。

「オレは父とコウト王の前で、“次代の勇者”に任命された」

「……そうかよ」

 最終試験がうやむやになっていたから、当然、今年の勇者はそうなるだろうとは思っていた。

「父、クレイモアに、全部聞かされた。お前の話した通り……本当の勇者は、やはりビカクで間違いなかった。だが、この国は“真実”よりも“物語”を選んだ」

 そうか、と俺は言った。

「お前は、それを受け入れたのか?」

 短い沈黙があった。その間に、何度も呼吸があった。言葉にならない選択が、重なっていた。

「受け入れたよ」

「つまりお前は、ゴードン家がやってきた悪事をもすべて肯定して、それでもお前は勇者を演じるということか」

「そうだ。それがこの国の民のためだ。オレの覚悟だ」

「ここにくるまでにグランビアルのRA強化薬に依存した少年を保護してきた。お前だってノアールの妹のリリィを見ただろう。それでもまだ、ゴードン家のやり方を踏襲するつもりか」

「ああ、そうだ! そう言っている!」

 ゴドリゲスのいらだちが見え隠れする。俺が話していることはただの美談でしかないと一蹴するかのように。ゴドリゲスこそ、美談の塊であったというのに、その立場すら今は逆転してしまった。

 俺はゆっくりと立ち上がった。鎖がわずかに鳴った。

「俺は……何も信じちゃいない。勇者なんて称号も、正義って言葉も」

 俺の言葉に、ゴドリゲスは吐き捨てるように言った。

「だったらオレとともに魔王を討とう。セッカ」

 とんだ偽善者のようだ。兄バルディオに同情するわけではないが、ゴドリゲスには辟易する。

「何を言っているんだ。俺はゴードン家のやり方を否定している」

「同じさ」

「なにがだ」

「世界を平穏にするってことさ」

「違う。俺には別の目的がある。俺は、選ぶ存在らしい」

「……どういうことだ」

 ゴドリゲスにアビスレインと話した黄泉の話をしようか迷ったが、今のゴドリゲスは信用ならない。

「やめだ。王族気取りのお前とは、話にならない」

「そうか。残念だ」

 そういってゴドリゲスはつばを吐き捨てるように去った。

 俺も残念だ。ゴドリゲス。お前はその選択を取らないと信じたかった。だが、もうお前は選んだ。“選択”してしまったんだな。その道を。

 あいつらのお家事情、お国のご統治ごっこに付き合う気はない。

 俺はさらに一日考えて、脱獄することにした。いや、本当はゴドリゲスを信じたかったから、一日、待っていたのかもしれない。やっぱり間違っていたと再訪すること。だが、そんなことはなかった。やめだ。もういいだろう。脱獄しよう。脱獄は難しい話ではない。透明化をもってしたら、こんな牢獄から簡単に逃れられる。

 番兵のすぐそばを通っても、誰も気づかない。やはり脱出は、難しいことではなかった。むしろ、俺を閉じ込められる手段など、この国には最初からなかったのだ。

 ゴドリゲスは、知っていたはずだ。俺が逃げられることも、その手段も。つまりこれは、温情だ。あるいは、ただの切り捨てか。わからない。けれど、どちらでもいい。今、探すべきはノアールと、ミズナだ。

 彼女たちは、どこにいる。牢か、それとも処分場か。あるいは、王の前か。俺は、姿を消したまま駆けた。必ず、見つけ出す。

 ミズナを見つけたのは、地下の奥の奥、空気が湿ってカビ臭い通路の突き当たりだった。鉄格子の向こうに、彼女は座っていた。透明化を解除し目が合った瞬間、

「遅い!」

 そして、察したように告げる。

「……ドカンとやっちゃう?」

 その言葉に俺が返事をするより早く、ミズナの手元に赤い炎が灯る。次の瞬間、爆風が牢の扉を吹き飛ばした。警報がけたたましく鳴り始める。ミズナは跳ねるように立ち上がり、俺の手を取った。

「逃げよっ!」

 地響きとともに、城内の通路が揺れる。兵たちが駆けつけてくるが、ミズナはRAを惜しみなく使って吹き飛ばしていく。風圧と光の奔流が壁を削り、床を焦がし、進路をこじ開ける。その隣で、俺は刀を抜き、斬るべき相手だけを斬りながら進んだ。しかし、兵の数が少なすぎる。収監されていたとき、ここを徘徊していた兵はもっといたように思ったのだが。

 そうこうしているうちに、またどこかで「ドカン」と爆音が響いた。空気の振動が背後から押し寄せる。

「……ノアールか」

 ミズナが目を見開く。

「行こっ!」

 迷路のような通路を抜け、二つ先の階段を駆け上がると、血の匂いと煙のただよう空間にノアールがいた。髪が乱れ、息を荒げ、だが目は鋭く、剣のように研ぎ澄まされている。彼女は俺たちを見ると、短く言った。

「遅い!」

 お前もそれを言うか。

 三人が顔を揃えると、視線を交わすだけで意思は通じた。俺たちはそのまま、地上への最後の階段を駆け上がった。風が吹き抜ける。王城の天井の下、空が俺たちを迎えていた。

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