第79話 王様のための子守唄

 翔太くんが紡いだ、世界で一番優しい物語。

 それは、みくちゃんの心に不思議な勇気と、確かな目的を与えてくれた。

 彼女はもう、ただ悲しみに暮れる、か弱い女の子ではなかった。来たるべき「長い眠り」につく、たった一人の親友であり、偉大なる「王様ゴブリン」のために、自分ができる全てをしようと決めた、強くて優しい付き人なのだ。


​ その日から、みくちゃんの民宿通いは、これまで以上に熱心なものになった。

 彼女は、ゴブ吉が安心して「冬眠」できるよう、それはもう健気に、かいがいしく彼の世話を焼き始めた。


​「ゴブちゃん、寒くないようにね」


 そう言って、ダンジョンからふわふわで温かそうな苔を両手いっぱい集めてきては、ゴブ吉の寝床に優しく敷き詰めてあげる。


「ゴブちゃん、素敵な夢が見られるようにね」


 学校の帰り道で見つけたタンポポやスミレを一本一本丁寧に摘み、彼の「王冠」だと言って、小さな可愛らしい花冠を作っては、その頭に、そっと乗せてあげた。


 ​ゴブ吉は、日増しに弱っていった。

 もう自分の力で立ち上がることさえままならない。


 だが、彼はみくちゃんの想いを確かに感じ取っているようだった。

 ​みくちゃんが彼のそばに座り、お気に入りの絵本をゆっくりと読んで聞かせる。


「……それで王子様とお姫様は、いつまでも、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」


 ゴブ吉は、もう目を開けているのも辛いのか、うっすらと瞼を閉じたまま、その物語に耳を澄ませていた。

 そして、みくちゃんの声が途切れると、


「キー……」


 ありがとう、とでも言うように、か細く、鳴いた。


 ​俺やリサも、そんな二人の切なくて、あまりにも愛おしい時間を静かに見守っていた。


 俺は、ゴブ吉が唯一、口にできる栄養満点のキノコのポタージュを作り、みくちゃんは、それを小さなスプーンで少しずつ、少しずつ、彼の口元へと運んでやった。


「ゴブちゃん、ちゃんと食べないと眠ってる間に、お腹すいちゃうよ」


 その姿は、まるで小さな母親のようだった。


 ​噂は、町の人々にも伝わっていた。

 魚屋の大将は「王様の枕元にでも飾ってやれ」と言って、浜で拾ったという虹色に輝く美しい貝殻を届けてくれた。


 八百屋のおばちゃんは、「きっと、いい匂いがする夢が見られるよ」と手作りのラベンダーの匂い袋をそっと置いていってくれた。


 この町の誰もが、この小さなゴブリンの王様と健気な少女の物語を温かくも優しい目で見守っていた。


◆◇◆


 ​数日が過ぎた。

 春の陽気とは裏腹に、ゴブ吉の命の灯火は、日に日に小さくなっていく。


 明日は、みくちゃんの九歳の誕生日だった。



 ​その日の夕方。

 みくちゃんは、いつものように眠っているゴブ吉の隣に座ると、その小さな耳に優しく語りかけた。


「ねえ、ゴブちゃん。明日はね、私の誕生日なんだ。だから、お願い。明日まで、まだ眠らないでね? 誕生日パーティーが終わるまで、待っててくれる? ……約束、だよ」


 ​ゴブ吉は答えない。

 ただ、彼の目から一筋だけ、きらり、と光るものが流れ落ちたように見えた。



 ​その夜。

 みくちゃんが名残惜しそうに家に帰り、民宿にいつもの静寂が戻った後。


 俺はランプを片手にゴブ吉の様子を見にダンジョンの入り口にある、彼の寝床へと向かった。

 ふかふかの苔のベッド、頭上には少しだけしおれた花冠、そして枕元には、宝物のように、たくさんの贈り物が置かれている。


 ​だが、そこにゴブ吉の姿はなかった。

 あれほど動くのも辛そうだった、彼の姿がどこにも見当たらなかったのだ。

 

​ 俺の心臓が、どくん、と大きく跳ねた。


 まさか。いや、しかし。


 ​俺は最悪の事態を振り払うように、ランプを高く掲げた。

 地面には、か細い、おぼつかない足跡がダンジョンのさらに奥深くへと続いている。


 彼は、最後の、最後の力を振り絞って、どこへ向かったというのか。

 俺は呆然と、その足跡が消えていく、暗闇を見つめることしかできなかった。

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