第54話 男たちの台所
「……しょうがないですねぇ」
その場にいる全員の、期待に満ちた視線を一身に浴びて、俺は観念したように立ち上がった。
こうなったら、腹を括るしかない。
今日は、この民宿の、ただの管理人としてじゃない。この町のささやかな宴を取り仕切る、料理人・田中雄介として腕を振るうのだ。
「よーし、やりますか! 今夜は、留咲萌町の秋の味覚を全部ぶち込んだ、世界一美味い、特製の石狩鍋だ!」
俺がそう宣言すると、「おおーっ!」と、縁側から地鳴りのような歓声が上がった。
男たちが活気づく。
「雄介! 鍋を作るなら、出汁が肝心だ! わし秘伝の昆布と鰹節の黄金比率を、特別に教えてやる!」
鈴木さんが、腰の痛みを忘れたかのように、しゃんと背筋を伸ばした。
「おい、雄介! 鮭を捌くのは、俺にやらせろ! 素人がやると、せっかくの身が台無しになっちまうからな!」
魚屋の大将は、どこから取り出したのか、愛用の出刃包丁を、シャキン! と抜き身にして見せた。
俺は、そんな頼もしい助っ人たちを、台所へと招き入れた。
一方、女性陣は、こたつを囲んで、お茶を飲みながら井戸端会議の続きを始めるらしい。
「まあ、男の料理ってやつだねぇ。私たちは、ゆっくりさせてもらおうかね」
おばちゃんの言葉に、リサも「はーい!」と嬉しそうに頷いている。
こうして平均年齢60歳オーバーの、不器用な男たちによる、ドタバタ料理教室が始まった。
台所は、あっという間に、男たちの熱気とそれぞれのこだわりがぶつかり合う戦場と化した。
「おい、雄介! 味噌を入れるタイミングが、ちったあ早いぞ! 鍋の基本は、最後に風味を足すことだ!」
「いや、大将! この味噌は、少し煮込んだ方が、野菜に味が染みて、コクが出るんじゃ!」
「大根の切り方がなってねえ! もっと厚く切れ! 煮崩れちまうだろうが!」
「いやいや、薄切りの方が、早く火が通って、出汁がよく染みるんですって!」
あっちで鈴木さんが叫び、こっちで大将が吠える。俺は、その間で板挟みになりながら、なんとか調理を進めていく。
その様子を、プルは冷蔵庫の上から、呆れたようにじっと見下ろしていた。
そんなカオスな状況の中、ゴブ吉だけが、唯一、有能な働きを見せていた。
彼は、男たちが無造作に散らかしていく野菜の皮や魚の骨を小さな箒とちりとりで、せっせと片付けてくれているのだ。その健気な姿に、俺は心の中で、何度も「ありがとう」と呟いた。
一時間ほどの格闘の末。
男たちの、汗と涙――玉ねぎのせいだが、譲れないこだわりが詰まった、大きな土鍋がついに完成した。
蓋を開けると味噌とバターの、食欲をそそる香りが湯気と共に部屋いっぱいに立ち上る。
大将が捌いた、美しい紅色の鮭の切り身。
おばちゃんが育てた、甘みたっぷりの野菜たち。
鈴木さん秘伝の出汁。
それら全てが、黄金色のスープの中で完璧なハーモニーを奏でていた。
「「「おお……!」」」
男たちは、自分たちの仕事の成果に満足げな声を上げる。
俺は、その特大の石狩鍋を囲炉裏の間に運び込んだ。
「さあ、皆さん! 準備ができましたよ!」
その声に女性陣はもちろん、噂を聞きつけた町の人々が、次から次へと、この小さな民宿に集まってきた。
いつの間にか、縁側まで人でごった返している。
まるで年に一度の村祭りのような賑わいだった。
俺は皆に鍋を取り分けながら、この光景を夢のような気持ちで眺めていた。
東京で孤独に心をすり減らしていた俺が、今、こんなにも多くの温かい笑顔に囲まれている。
このダンジョン民宿は、もう俺だけのものじゃない。
この町に住む、みんなの憩いの場であり、笑い声が集まる、温かい「我が家」なんだ。
俺は、込み上げてくる熱いものを感じながら、一番大きな器に、たっぷりの鍋をよそった。
これは、いつも頑張ってくれている、この民宿の小さな功労者たちのための特別の一杯だ。
台所の隅で、お行儀よく出番を待っていた、プルとゴブ吉、そして、いつの間にか遊びに来ていたキノコうさぎの親子の前に、その器をそっと置いてやった。
彼らは、嬉しそうに、小さな顔を寄せ合い、その温かい湯気を幸せそうに吸い込んでいる。
この民宿の特別で、ありふれた一日は、まだ始まったばかりだ。
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