宇宙4
母を失った静けさは、思いのほか長く続かなかった。
車の中は無人のように静まり返っているのに、外界のざわめきが窓越しに流れ込んでくる。雲のざわめき。星々の擦れ合う音。聞こえるはずのない響きが、美帆の鼓膜を内側から打ちつけていた。
「行きたい!」
それはもはや、願いではなく衝動だった。
車体は確かに前方へ傾き、中心へと向かっていた。操縦者などいないはずなのに、まるで車自体が意思を持ったかのようだった。窓に映る光景は、だんだんと渦を巻きはじめる。銀河の腕がほどけ、星々の列が一本の帯となり、黒く尖った影に吸い込まれていく。
ふいに風が吹いた。
宇宙に風などないはずだと頭では分かっているのに、確かに頬に冷たいものが触れた。次の瞬間には髪が大きく舞い上がり、全身が後ろから押されるように揺れた。
「わっ…!?」
車の内部にもほかの人々がいた。いつからそこにいたのか分からない。老いた男も、若い母親も、見知らぬ子供も、皆、窓辺にしがみついて叫んでいた。
「止まれ!」
「嫌だ、降りたい!」
しかし扉はもう現れない。降り口は閉ざされ、進む道はただ一つ――中心へ。
風は次第に強くなった。
立っていられない。足が床から浮きかける。重力という当たり前のものが、今や乱れ、ねじれ、崩れ落ちていく。
美帆は思わず手すりにしがみついた。
目の前の窓の向こうでは、雲と銀河とが混ざり合い、白と黒と光と影が複雑に絡み合う奔流となっている。そこに突き刺さる触手。尖った先が振り下ろされるたび、空間そのものが裂けていくように見えた。
「いやだ!」
叫んだのは隣の女の人だった。幼い子供を抱きしめ、必死に抑え込もうとするが、子供の体はすでにふわりと浮き上がっていた。
「ママ!」
甲高い声はすぐに渦にかき消され、子供は母の腕から滑り落ちるように宙へ舞い上がった。そのまま窓をすり抜けるように外へ―吸い込まれていった。
「いやあ!」
母親も後を追うように宙に浮き、腕を伸ばしたが届かない。彼女の体もまた、細い糸のように光の奔流に絡め取られ、闇の中心へと消えた。
次々と人々が浮き上がる。
老いた男が、少年が、誰もが抗えず、目を見開いたまま中心へ吸い寄せられる。
車そのものが悲鳴を上げているようだった。鋼の軋む音が車内を満たし、振動は骨の奥にまで響いた。
美帆は必死にしがみつきながらも、心の奥では違う声を聞いていた。
「来い」
「お前はもう選ばれている」
その囁きは恐怖ではなく、甘美な安堵を運んでくる。
手を離せばいい。
ただ、それだけで。
美帆はそっと、指先をほどいた。
体はふわりと宙に浮き、目の前に渦巻く光の奔流が全てを満たす。
風はもはや叫びのようであり、子守唄のようでもあった。
彼女の体は、他のすべてと同じように、暗い中心、宇宙の中心に吸い込まれていった。
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