青春百合グラウンド~実況解説は止まらない!【年間グランドスラム編】
モールス
第1章 【運命の再会ゴング】
- 第1節:新学期、クラス替えの期待と不安 -
春。生命の息吹が満ち溢れ、淡い桜色の風が新たな出会いを祝福する季節。
別れと出会いの交差点であるこの時期は、高校生にとって一年で最も胸が高鳴り、そして同時に、少しの不安が心をよぎる特別な瞬間だ。特に、高校2年生という、子供と大人の狭間で揺れ動く多感な時期においては。
校門をくぐり、昇降口に設置されたクラス分けの掲示板の前には、既に多くの生徒たちが群がっていた。歓声、悲鳴、安堵のため息。様々な感情が渦巻き、一種のお祭りのような喧騒を生み出している。
その人垣から少し離れた場所で、一人の少女が固唾をのんで掲示板を見つめていた。
橘葵。肩にかかるかどうかの、少年のようなショートカットがよく似合う、快活な少女だ。バスケットボール部に所属し、そのポジションは点取り屋のストライカー。普段の言動はサバサバとしており、一人称は「俺」。同性からの人気も高い、いわゆる「イケメン女子」である。
(頼む…!去年と同じクラスのやつ、誰かいてくれよ…!いや、それよりもっと大事なのは…)
葵の視線は、自分の名前を探すよりも先に、ある特定の人物の名前を必死に追っていた。
白石雫(しらいし しずく)
その名前を見つけた瞬間、葵の心臓がトクン、と大きく跳ねた。
あった。2年3組。自分の名前と同じクラスに、その名前は確かに刻まれていた。安堵と、それ以上の喜びが、じわじわと胸の内に広がっていく。
(よっし…!)
心の中でガッツポーズを作り、思わず緩みそうになる口元を必死に引き締める。バスケの試合でシュートを決めた時のような高揚感。しかし、その感情を誰にも悟られるわけにはいかない。葵はポーカーフェイスを装い、何気ない顔でその場を離れようとした。
その時だった。
ふと視線を感じ、群衆の方へ目を向けると、人垣の向こう側で、同じように掲示板を見ていた少女と目が合った。
腰まで届くほどの、艶やかな黒髪。雪のように白い肌。静かで、どこか儚げな雰囲気を纏う少女。
白石雫。
文芸部に所属し、いつも物静かに本を読んでいる彼女は、葵とはまさに対極の存在だ。感情をあまり表に出さず、何を考えているのか分からない。だが、その澄んだ瞳の奥には、確かな意志の光が宿っていることを、葵は知っていた。
目が合ったのは、ほんの一瞬。雫はすぐにふいっと視線を逸らし、静かにその場を立ち去ってしまった。その表情からは、何も読み取れない。
(……同じクラスだって、気づいたのかな)
葵の胸に、期待と不安の入り混じった、小さなさざ波が立った。
1年生の時、初めて彼女の存在を認識してからというもの、葵は遠くから雫の姿を目で追うようになっていた。別に、何かきっかけがあったわけじゃない。ただ、気づけば目で追っていた。それが全てだった。
廊下ですれ違うだけ。体育の授業で遠くに見えるだけ。接点なんて、ほとんどないに等しい。それでも、葵にとって白石雫は、他の誰とも違う、「気になる人」だったのだ。
一方、その白小石雫もまた、新たな教室へと向かう廊下を歩きながら、先程の出来事を反芻していた。
(橘さん…同じクラス…)
心の中で、その名前をそっと呟く。
自分とは正反対の、太陽のような人。いつもクラスの中心で、たくさんの友達に囲まれて笑っている。コートを駆け回り、汗を輝かせる姿は、眩しくて、まっすぐに見つめることなんてできない。
(隣のクラスだったのに、どうしてこんなに知っているんだろう)
自問自答するが、答えは分かりきっていた。目で追っていたのは、自分も同じだったから。友達と楽しそうに話す声、部活に打ち込む真剣な横顔、時折見せる、ふとした瞬間の優しい笑顔。その全てが、雫の心に深く、鮮明に焼き付いていた。
目が合った瞬間、心臓が跳ね上がって、どうしようもなくなり、逃げるように視線を逸らしてしまった。本当は、少しだけ笑いかけてみたかったのに。
(隣の席に、なれたらいいな…)
そんな、あり得ない奇跡を願いながら、雫は2年3組の教室の扉に、そっと手をかけた。
◆
【実況解説・謎空間】
実況・星宮らら:「さあさあ、始まりました!『青春百合グラウンド~年間グランドスラム編~』!新学期のゴングが今、高らかに鳴り響いたーっ!実況はあたくし、プロレスと恋バナをこよなく愛する星宮ららがお送りしまーす!解説は、ご存知!歩く百合事典、藤原梓ティーチャーです!先生、よろしくお願いします!」
解説・藤原梓:「よろしくお願いします。…ふふ、ついに始まりましたね、星宮さん。この日をどれだけ待ちわびたことか。2年生という、心と身体が最も劇的な変化を遂げるこの一年。友情という名のタッグマッチが、いかにして愛情という名のタイトルマッチへと昇華されていくのか。考えるだけで、私の語彙力が臨界点を突破しそうです」
らら:「おっと!梓ティーチャー、開始早々エンジン全開だぜ!見てくださいよ、あのお二人!同じクラスになったことを確認したものの、まだ互いに距離がある!このもどかしい距離感!まるで、互いの出方を窺う、序盤のグラウンドの攻防のようだァ!」
梓:「ええ。橘選手は、一見するとパワーファイタータイプに見えますが、その実、非常に繊細なインサイドワークを得意とする技巧派。対する白石選手は、静かな佇まいの中に、相手の動きを全て読み切るかのようなクレバーさを秘めた、まさに静かなる策士。タイプの全く異なる二人が、同じリング…いえ、同じ教室でどう化学反応を起こすのか。期待しかありません」
らら:「まずは第一関門、クラス分けは見事クリア!だが、本当の戦いはここからだ!果たして、二人の距離は縮まるのか!?運命の女神は、どちらに微笑むのかァーッ!?」
◆
- 第2節:運命の采配と、ぎこちない挨拶 -
がらり、と音を立てて教室の扉を開けると、そこには既に半数ほどの生徒が集まっていた。それぞれのグループで固まり、冬休みの思い出や新しいクラスへの期待を語り合っている。葵は、知った顔を数人見つけて軽く挨拶を交わしながらも、どこか落ち着かない気分で自分の席を探した。
出席番号は15番。教室の中央、窓際から三列目。ごく普通の席だ。
しかし、葵はその席に着くことができなかった。いや、その席の隣にある光景に、完全に足が止まってしまったのだ。
出席番号16番。葵の右隣の席。
そこに置かれた真新しい学生カバン。その横には、一冊の文庫本がそっと置かれている。雫がいつも読んでいるのと同じ出版社の、特徴的なカバー。
(うそだろ…)
心臓が、今度こそ口から飛び出しそうなくらい、激しく脈打った。
まさか、隣の席。そんな奇跡みたいなことが、本当に起こるなんて。どうしよう。何を話せばいい?いや、そもそも話しかけていいのか?ぐるぐると、思考が空回りする。
すると、教室の後ろのドアが静かに開き、当の本人、白石雫が入ってきた。
葵の存在に気づいた雫は、ぴたり、と動きを止める。その大きな瞳が、驚いたようにわずかに見開かれた。葵もまた、雫から視線を逸らすことができない。
時が、止まったようだった。
教室の喧騒が、遠い世界の音のように聞こえる。視線の先には、ただ一人、白石雫だけがいる。
その沈黙を破ったのは、担任教師の入室という、ありふれた号令だった。
「はい、席に着けー。HR始めるぞー」
我に返った二人は、慌てて互いに視線を逸らし、それぞれの席へと向かう。先に席に着いたのは葵だった。心臓のバクバク音を抑えながら、教科書の準備をするふりをする。しかし、隣の席の気配が気になって、全く集中できない。
やがて、隣で椅子を引く、小さな音がした。
ふわり、とシャンプーの優しい香りが、葵の鼻先を掠める。それだけで、全身の体温が上がるのを感じた。
(ど、どうする…俺…)
挨拶、すべきだよな。普通。隣の席なんだから。
分かっている。頭では分かっているのに、声が出ない。一年間、遠くから見つめるだけだった相手が、今、わずか数十センチの距離にいる。この異常事態に、葵の思考回路は完全にショート寸前だった。
それは、雫も同じだった。
(橘さんの、隣…)
まさか、と願った奇跡が現実に起きてしまった。嬉しい。嬉しいけれど、どうしたらいいのか分からない。頬が熱い。きっと、耳まで赤くなっているに違いない。俯いて、机の木目を見つめることしかできない。
ぎこちない沈黙が、二人の間に流れる。
HRが始まり、教師が自己紹介やら新学期の予定やらを話しているが、その内容はほとんど二人の耳には入っていなかった。
どれくらいの時間が経っただろうか。教師の話が一区切りついた、その瞬間。
葵は、意を決した。ここで何もしなければ、きっと後悔する。バスケで培った、一瞬の判断力と行動力。今こそ、それを発揮する時だ。
「あ、の…」
かろうじて絞り出した声は、自分でも驚くほど小さく、少し掠れていた。
隣の雫の肩が、ぴくりと揺れる。ゆっくりと、雫が顔を上げた。不安と期待が入り混じったような瞳が、まっすぐに葵を見つめている。
「橘、葵です。一年間、よろしくな」
なんとか、言い切った。精一杯の、普通の挨拶。
心臓はうるさいし、顔は熱いし、きっと声も上ずっていた。それでも、言えた。
葵の言葉に、雫は一瞬、目をぱちくりとさせた。そして、次の瞬間。
ふわり、と。
まるで、桜の花びらが綻ぶように、その唇が、かすかに微笑んだ。
「…白石雫、です。こちらこそ、よろしくお願いします」
鈴が鳴るような、か細くも、透き通った声。
その声と、ほんのわずかな微笑み。それだけで、葵の世界は、一瞬にして春色の光に満たされた。ぎこちなかった空気は、まだ少し残っている。それでも、確かに、二人の間の厚い氷は、ほんの少しだけ、溶け始めたのだった。
◆
【実況解説・謎空間】
らら:「ゴーーーーング!!カンカンカン!遂に鳴った!運命のゴングが鳴り響いたぞーっ!隣の席という、これ以上ない最高のポジション取り!神の采配か!?それとも、二人の想いが引き寄せた奇跡かーっ!?」
梓:「見てください星宮さん!橘選手の、あの緊張に満ちた表情!普段の彼女からは想像もできない、初々しさ!あれこそが恋!恋に他なりません!そして、その緊張を真正面から受け止める白石選手の、あの静かなる覚悟!まさに、運命のタイトルマッチのフェイスオフ!」
らら:「しかし、静寂が長い!長すぎるぞーっ!互いに視線を合わせられない!先に仕掛けるのはどちらだ!?橘か!?白石か!?固唾をのんで見守る、まさに一触即発の睨み合いだァーッ!」
梓:「焦りは禁物です、星宮さん。この沈黙の時間こそが、二人の関係性を熟成させるのです。言葉を交わす前の、この最も甘美で、最ももどかしい時間…。ああ、この沈黙だけで、私はご飯が三杯はいただけます…!」
らら:「おっと!梓ティーチャーが早くも昇天寸前だ!…と、ここで動いたのは橘だァーッ!勇気を振り絞った、渾身のジャブ!『よろしくな』という、シンプルかつ王道の挨拶が、白石のガードの隙間をこじ開けたァーッ!」
梓:「決まりました…!そして、白石選手のカウンターの微笑み…!あれは…あれは反則級の破壊力です…!橘選手の心に、クリーンヒットしたことでしょう。ええ、間違いありません。この一撃で、橘選手の中の『白石雫』という存在は、単なる『気になる人』から、唯一無二の『特別な人』へと、その階級を上げたのです。素晴らしい…実に、素晴らしい幕開けです…!」
◆
- 第3節:記憶の糸口と、小さな勇気 -
最初の挨拶から数日が過ぎた。
隣の席という最高の環境を手に入れたにもかかわらず、葵と雫の間の空気は、依然として少しだけぎこちないままだった。
朝の「おはよう」と、授業中の事務的なやり取り(「ごめん、教科書見せて」「消しゴム落としたよ」)くらいで、まともな雑談には至っていない。
葵は、何度も話しかけるタイミングを窺っていた。
(今日の天気の話とか?いや、ベタすぎるか…昨日のテレビの話?でも、雫ってテレビとか見るのかな…文芸部だし、やっぱり本の話とか…?)
考えれば考えるほど、ドツボにハマっていく。自分から話しかけるのは得意なはずなのに、相手が白石雫だというだけで、途端にハードルが跳ね上がるのだ。
そんなある日の昼休み。
葵がクラスの友達と弁当を食べていると、ふと、隣の席の雫に目が留まった。雫は一人、静かに文庫本を読みながら、お弁当を口に運んでいる。その姿は、まるで一枚の絵画のように完成されていて、葵は声をかける勇気が出なかった。
(…ダメだ。このままじゃ、何も変わらない)
焦りが募る。このまま、ただの「隣の席の人」で終わりたくない。何か、何かきっかけはないのか。
葵は、必死に記憶の引き出しを漁った。1年生の頃の、雫との数少ない接点。何か、話の糸口になるようなことはなかったか。
そして、一つの光景が、不意に脳裏に蘇った。
あれは、1年生の秋。体育祭の準備期間中のことだった。クラス対抗リレーの選手だった葵は、放課後、一人でグラウンドを走って練習をしていた。その日の練習終わり、へとへとになって校舎に戻ろうとした時。昇降口で、大量のプリントを抱えた雫とすれ違った。彼女は、文化祭の実行委員か何かだったのだろう。
その時、葵が持っていた水筒が手から滑り落ち、派手な音を立てて床に転がった。中身のお茶が少しだけこぼれてしまった。
「うわっ、と…」
慌てて拾おうとした葵より先に、すっと手が伸びてきた。雫の手だった。彼女は、抱えていたプリントを一度床に置き、屈んで葵の水筒を拾い上げてくれたのだ。
「…大丈夫?」
そう言って、ハンカチで水筒についたお茶を拭き、手渡してくれた。
「あ、ああ…サンキュ」
それだけの、本当に些細なやり取り。
当時の葵は、ただ「優しいやつだな」と思っただけだった。しかし、今思えば、あれが初めて交わした、まともな会話だったのかもしれない。
(あれだ…!)
葵の中で、何かがカチリと音を立てた。
これなら、話しかけるきっかけになるかもしれない。覚えていないかもしれないけど、言ってみる価値はある。
葵は、弁当をかき込む友達に「わり、先行くわ!」とだけ告げると、席を立った。
向かう先は、もちろん隣の席。
心臓が、またうるさく鳴り始める。一歩、また一歩と近づくにつれて、足が鉛のように重くなる。
「し、白石さん」
本の世界に没頭していた雫の肩が、びくりと揺れた。ゆっくりと顔を上げた雫の瞳に、驚きと疑問の色が浮かぶ。
「橘、さん…?」
「あのさ、急にごめん。一つ、聞いてもいいか?」
ゴクリ、と葵は唾を飲み込んだ。もう、後には引けない。
雫は、こくりと小さく頷いた。その仕草一つで、葵は少しだけ勇気をもらった気がした。
「去年の秋…体育祭の練習の時なんだけど。俺が昇降口で水筒落としたの、覚えてるか?」
言った。言ってしまった。
さあ、どうだ。覚えてるか?それとも、何それ、みたいな顔をされるか?
葵は、祈るような気持ちで雫の返事を待った。
雫は、きょとんとした顔で、数回まばたきをした。そして、その記憶を辿るように、視線をわずかに宙に彷徨わせる。
その数秒間が、葵には永遠のように長く感じられた。
◆
【実況解説・謎空間】
らら:「おーっと!試合が膠着状態に陥ったと見るや、橘が一気に動いたァーッ!昼休みのゴングを合図に、リング中央へと躍り出たーっ!これは一対一の差しでの勝負を挑む気かーっ!?」
梓:「素晴らしい判断です、橘選手。集団戦(クラスの輪)の中にいては、相手の懐に飛び込むことは難しい。彼女は、あえて一対一の状況を作り出すことで、勝機を見出そうとしているのです。そして、繰り出した技が、『過去の些細な接点を持ち出す』という、非常にテクニカルな記憶への問いかけ…!」
らら:「なんだそりゃ!長いわ!要するに『覚えてる?』ってことだろ!しかしこれ、結構な賭けじゃないか!?もし白石が覚えてなかったら、橘のメンタルはコーナーポストに叩きつけられたも同然だぜ!」
梓:「ええ、まさにハイリスク・ハイリターンな技です。しかし、この技が成功した時のリターンは計り知れない。もし、もしも白石選手がこの問いかけを覚えていたとしたら…!それは、単なる偶然の出来事が、二人だけが共有する『特別な記憶』へと昇華される瞬間を意味します。それはもはや、ただのジャブではない。相手の心の最も柔らかな部分を的確に撃ち抜く、必殺の一撃と成り得るのです…!」
らら:「ゴクリ…!固唾をのんで見守る展開!白石は覚えているのか!?それとも、綺麗さっぱり忘れているのか!?運命の答えが、今、明かされるーっ!」
◆
- 第4節:繋がった記憶と、特別な繋がり -
葵の問いかけに、雫はしばらくの間、静かに思考を巡らせていた。
その沈黙が、葵の心をじわじわと締め付ける。
(やっぱ、ダメだったか…?だよな、あんな些細なこと、覚えてるわけ…)
諦めかけた葵が、「いや、ごめん、忘れて…」と言いかけた、その時だった。
「…覚えて、います」
ぽつり、と。
鈴の音のような声が、確かにそう言った。
「え…?」
思わず、葵は素っ頓狂な声を上げた。
信じられない、という気持ちが顔に出てしまっていたのだろう。雫は、少しだけ困ったように眉を寄せながら、言葉を続けた。
「水筒、落としてました。中身が少しこぼれて…。バスケ部の練習帰り、でしたよね?」
そこまで、鮮明に。
葵の心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。喜びと驚きで、言葉が出てこない。
そんな葵の様子を見て、雫は、少しだけ躊躇いがちに、しかしはっきりとした口調で、さらに続けた。
「あの時、すごく必死に練習しているのを見ていたので…。だから、覚えてました」
「え…?」
「毎日、日が暮れるまで、一人で…。すごいなって、思ってました。だから、あの時も…少しでも、力になれたらなって…」
そこまで言うと、雫は急に恥ずかしくなったのか、「…すみません、変なこと言いました」と、俯いてしまった。長い髪が、その表情を隠してしまう。
葵は、呆然としていた。
ただの偶然、ただの親切だと思っていた。
しかし、違った。彼女は、見ていてくれたのだ。俺のことを、ちゃんと見て、認識してくれていた。
そして、あの時の行動には、「力になりたい」という、確かな意志が込められていた。
じわり、と胸の奥が熱くなる。
それは、試合に勝った時の高揚感とも、友達と笑い合った時の楽しさとも違う、もっと温かくて、もっと柔らかな感情だった。
「…そっか」
やっとのことで、葵はそれだけを口にした。
そして、気づけば、自然に笑みがこぼれていた。何のてらいもない、心からの笑顔。
「そっか…そうだったんだ。…ありがとうな、白石さん」
その言葉に、俯いていた雫が、ゆっくりと顔を上げた。
葵の満面の笑みを見て、雫の瞳が、少しだけ大きく見開かれる。そして、つられてしまったかのように、その唇に、これまでで一番大きな、柔らかな微笑みが浮かんだ。
「…どういたしまして、橘さん」
その瞬間、二人の間にあった、見えない壁が、音を立てて崩れ落ちた気がした。
ぎこちない空気は、もうどこにもない。
ただ、共有された一つの記憶が、二人を固く結びつけていた。
それは、単なるクラスメイトでも、ただの隣の席の相手でもない。
もっと特別で、もっと大切な、新しい関係性の始まりを告げる、確かな繋がりだった。
春の柔らかな日差しが差し込む教室で、二人は、ただ静かに、そして確かに、互いの存在を認め合い、微笑み合っていた。
まだ、恋という名前がつくには、少しだけ早いかもしれない。
けれど、運命の歯車は、確かにこの瞬間、大きな音を立てて回り始めたのだ。
◆
【実況解説・謎空間】
らら:「決まったァーーーーーーッ!!!!!大逆転のKO勝利だァーーーッ!!橘が放った起死回生の記憶の問いかけに、白石が!白石が完璧な形で応えたァッ!『覚えてます』!そして、『見てました』という、追撃のラリアットまで叩き込んだーっ!!」
梓:「ああ……ああ……ッ!見ましたか、星宮さん!今の!『すごいなって、思ってました』…!これです!これこそが、百合の醍醐味!ただの偶然ではなかった!全ては必然!互いの魂が、意識するずっと以前から惹かれ合っていたという、何よりの証拠ではありませんか…ッ!私の語彙力が、もう、もう…っ!」
らら:「おっと!梓ティーチャーが興奮のあまり解説になってない!だが、その気持ち、痛いほどわかるぜ!これはもう、ただの1勝じゃない!この勝利は、年間グランドスラムへの、あまりにも大きな、あまりにも尊い、第一歩だァーッ!」
梓:「ええ…!ええ、その通りです!見てください、あの二人の微笑みを!あれは、単なる勝利の笑みではない!互いの魂が共鳴し合った時にのみ生まれる、至高の芸術です!ああ、尊い…!この光景を、永遠にこの目に焼き付けていたい…!」
らら:「さあ、第1章【運命の再会ゴング】は、両者、いや、勝者二人の最高の笑顔でフィニッシュホールドだ!だが、戦いはまだ始まったばかり!これから二人のリングは、どんな熱い戦いを我々に見せてくれるのか!?期待に胸を膨らませつつ、今日のところはこの辺で!ごきげんよう!」
梓:「…素晴らしい、試合でした…(感涙)」
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