17.昼の営業(1)

「うん、いい味。下準備はこんなもんかな」


 出来立てのカレールーをひと口すくって味見をする。スパイスの香りがふわりと鼻を抜け、じんわりとした辛さが舌に広がった。よし、いい仕上がりだ。具材もすべて切り分けてあるし、あとは注文が入ったら仕上げて、出来立てを出すだけ。


 壁掛けの時計に目をやると、時刻は十一時九分。そろそろお客さんが入って来る時間だ。朝は大忙しだったけれど、昼は一体どれくらいのお客さんが来てくれるのだろう?


「ねぇ、ハイド。お昼って、どれくらいお客さんが来るものなの?」

「その前にだ。まずはカレーを寄こせ」

「はいはい……」


 質問に答えるよりも、ハイドの視線は鍋に注がれていた。子供のように目をきらきら輝かせているのが可笑しい。小皿に少しだけ盛って渡すと、ふぅふぅと息を吹きかけてから、ペロリと舐めとった。


「……うむ。変わらず美味い。このルーだけで、何杯でもいけそうだな」

「ダメだよ、味見は一口だけ」

「なんだ、ケチだな」


 不満げに耳を伏せつつも、しっぽはご機嫌に揺れている。


「そうそう、さっきの質問だったな。昼の客入りは、大体七割くらいだ」

「でも、朝も七割って言ってたのに、それ以上来てたよ?」

「ふむ、それはだな……。チコが年寄りだったろう? 客たちも気を遣って、通う回数をわざと減らしてたんだ」

「えっ……そうだったの?」

「お陰でチコは無理せず営業を続けられた。だが、今はマスターが変わった。もうセーブする必要はないってことだろうな」


 なるほど……胸の奥がじんわりと温かくなる。お客さんたちは、星見亭を、そして前の店主のチコさんを本当に大事に思ってくれていたんだ。そして、今の自分にも期待して来てくれている。


「まぁ、俺としては七割くらいの客入りがちょうどいいんだがな。カウンターでのんびり出来るし」

「もう、ハイドったら……。でもね、せっかく来てくれるんだったら、最高のおもてなしをしたいの」

「そんなに気張らなくてもいい。アカネらしさを大事にして、客を大切にすれば、それで十分だ」


 ――私らしく、大切に。


 その言葉が、胸の奥でじんわりと広がっていく。きっと、それがこの店を続けていくための一番大切なことなんだ。


 ハイドの言葉を噛みしめていた、その時。カラン、と軽やかな音を立てて、扉の鈴が鳴った。はっとして顔を上げる。


「いらっしゃいませ。星見亭へようこそ!」


 声をかけながら視線を向けると、三人組の女性たちが立っていた。


「あっ、本当に新しいマスターだ! 若い!」

「ほんとだ! なんか親しみやすい感じ!」

「いつもお世話になってました。これからも、よろしくお願いしますね」


 入るなり、明るく元気な声が店内いっぱいに響き渡る。思わず、こちらまで笑顔になる。


「こちらこそ、よろしくお願いします。どうぞ、お好きな席へどうぞ」


 そう告げると、三人は楽しげに顔を見合わせながら席へ向かっていった。私はすぐにコップに水を入れて、席まで運んでいった。


 それから軽く雑談を交わして注文を受けると、私はすぐにカウンターで調理に取りかかった。けれど、また扉が開いて新しいお客さんが入ってくる。


 その一人を皮切りに、数分おきに次々とお客さんが現れ、店内はあっという間に賑やかになった。私は水を出しては注文を聞きに走り回るので精一杯で、なかなか調理に手をつけられない。


 その時、カウンターの席からハイドがすっと立ち上がった。


「どれ、俺の出番だな」

「ハイド?」

「代わりに水出しと注文を受けてくる。アカネは料理に集中しろ」

「えっ……そんなこと出来るの?」

「これでもチコの手伝いくらいはしてきたんだ。安心しろ」


 思わぬ申し出に少し戸惑ったけれど、経験があるのなら頼ってもよさそうだ。私は水出しと注文取りをハイドに任せることにした。


 すると、ハイドは器用に魔法を操り始める。宙に浮かんだコップに水道から水を注ぎ、氷を生み出してきらりと沈める。それを軽やかにお客さんの前へと運んでいく。


 さらに注文票とペンまでもふわりと浮かせ、自分の体までひょいと宙に浮かせてお客さんのテーブルへ。


「待たせたな、水だ」

「ありがとう、ハイド」

「おいおい、ハイドが働くなんて珍しいな」

「これだけ客が押し寄せれば仕方ない。それで注文は決まったか?」


 お客さんたちは、まるで芸を見せられたように目を丸くして笑い声をあげていた。猫が水を運んで注文を取る光景なんて――確かに、かなり愉快で可笑しい絵面だ。……ああ、そうか。ハイドはケットシーだった。


 ハイドが仕事を引き受けてくれたおかげで、私の調理はぐんと捗った。料理が仕上がると――。


「料理も俺が運んでやる。アカネは手を止めるな」

「ありがとう、ハイド。お願いね」

「任せておけ」


 お礼を言うと、ハイドは胸を張り、誇らしげにしっぽをピンと揺らした。そのまま皿とチェック済みの伝票をふわりと宙に浮かせると、自分もすいっと浮かび上がり、お客さんの元へ向かっていく。


「お待ちどうさま。ナポリタンとカレー二つだ」

「わぁ、ハイドが配膳してくれるなんて、今日はツイてるかも」

「ふふん、そうだろう。ありがたく拝んでもいいんだぞ」

「わー、ご利益がありますように」

「どうか、私に素敵な人が現れますように!」

「なんだ、俺じゃ不満か? 俺もなかなかいいオトコだぞ?」

「やだー、ハイドったら!」


 ドッと笑いが起こり、店内の空気が一気に明るくなる。……すごい。ハイドって、接客の才能あるんじゃ……? いや、盛り上げ上手と言うべきか。とにかく場に溶け込むのが早すぎる。


 さすが、おばあちゃんをずっと支えてきただけのことはある。もしかして喫茶の仕事なら、一通りこなせるんじゃないだろうか。


 そんなことを感心していた時だった。扉がギィと音を立てて開いた。


「いらっしゃいま――」


 顔を上げて声をかけかけた瞬間、言葉が喉で止まる。そこには、大柄でいかつい顔つきの男たちが三人、ずらりと並んで立っていたのだ。


 圧に押されるように彼らが店に入り、しかめっ面のままカウンターに腰を下ろす。肩と肩がぶつかりそうなほど体が大きく、並ぶ姿はまるで壁のようだった。


 呆然と見ていると、そのうちの一人が低い声で口を開く。


「君が新しいマスターか。……挨拶より先に注文をしてもいいか?」

「は、はいっ!」

「俺はナポリタンを五人前」

「……カレーライスを五人前」

「オムライスを五人前だ」


 ご、ご、ご、五人前ーー!?

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