第24話

「甘いッ!」

 蔵人は身を捻りつつ、片手で放った突きを戻して斬り返してくる。

 息を詰まらせるほどの鈍痛に花織は意識を失いそうになったが、そこは鍛え抜かれた肉体と本能で持ち直した。花織は蔵人に体当たりをすると、その反動を利用して危険地帯から離脱した。少なからず体勢を崩された蔵人は、驚愕の色が浮かんだもののすぐに能面のような無表情に戻る。

 一方、花織は脇腹を押さえながら苦痛に顔を歪めている。

 花織が放った正拳突きは、寸分の狂いもなく蔵人の顔面に向かって放たれた。それは蔵人の片手突きに対してカウンター気味に放たれた一撃であり、近距離の間合いだったことも講じて避けるのは不可能だと思われた。

 しかし、それは蔵人にとって予想の範疇であった。

 蔵人の右手には白樫の木刀、そして何故か左手にはもう一本木刀が握られていた。右手に握られている木刀よりも幾分か短い、赤樫の小太刀である。

(そう……マントを着ていたのはこのためだったのね)

 口内に溜まった唾を地面に吐き捨てた花織は、何故、蔵人がマントを羽織っていたのか理解できた。おそらく、蔵人は後ろ腰に小太刀を隠し持っていた。

 だとすれば納得がいく。戦っている最中は常に背後を取られずに戦えば相手に悟られずに済むが、移動中などではそうはいかない。何時、どこで相手に隠し剣を見られるかわからない。それを見られないようにするためにマントを羽織っていたのだ。

 そして今まさにその隠し剣の一撃を見舞われた。それも完璧な形で。

 剣士の弱点の一つに、接近戦に不慣れであるということが挙げられる。

 日本の古武術には柔術などがあるが、これは元々剣術の補助的役割から編み出された武術である。故に剣術と柔術はセットのように思われがちだが、実戦の最中に剣術から柔術にいきなり変えて戦う人間などいない。

 花織はそう高を括っていた。接近戦になれば絶対的に自分が有利になると。

 額に油汗を浮かべながら、花織は自分が負ったダメージを確認した。

 じくじくとした鈍痛が残っているが、肋骨は折れてはいない。柄に限りなく近い部分で打たれたことが幸いだった。あと一歩分踏み込むのが遅かったら、速度が乗った小太刀の腹の部分で殴打され肋骨が折れていたかもしれない。

 蔵人は左手に握っていた小太刀を腰帯に差すと、何事もなかったかのように両手に持ち直して右甲段の構えを取った。そして花織に言い放った。

「もう止めろ。お前はよく戦った。これ以上やれば洒落では済まなくなるぞ」

 そんなことはダメージを受けた花織自身がよくわかっていた。だからと言って「はい、わかりました」と負けを認めるほど花織は人間ができていない。

 借金返済の件も頭を過ぎったが、それ以上に負けるということが嫌いだった。負けを選ぶくらいなら死を選ぶほどではなかったが、一矢も報わずに勝負を投げるなんて選択肢は浮かばなかった。

 花織はふっと鼻で笑うと、脇腹から感じる痛みを意思の力で抑えながら構えを取った。

 父親に徹底的に仕込まれたナイファンチの型。それを横にしたこのナイファンチ立ちの構えこそ実戦的な立ち方だと教わった。

「その言葉、そっくりアンタに返すわ。これ以上やると洒落じゃ済まなくなるわよ」

 花織がそう言うと、初めて蔵人の表情が崩れた。頬が薄く釣り上がり、唇の隙間から鋭い犬歯が剥き出しになる。

「……馬鹿な女だ」

 蔵人の全身を包んでいた剣気が一気に膨張した。

 感受性の強い人間が今の蔵人を見れば確実に視えただろう。空間が風に煽られた蝋燭の炎のように揺らめき、それが剣気による圧力だと痛いほど肌で感じる。

(機会は一度……二度目はない)

 花織は暴風の如く吹き荒れてくる剣波を真っ向から受け止めた。

 覚悟は決まった。すると不思議なことに精神が研ぎ澄まされ、脇腹の痛みも徐々に薄れてくる。精神と肉体が完全に戦闘モードに入った証拠であった。

 ふっ、と花織は短い呼気を吐いた。

(頼むから狙い通りの場所にきてよ)

 自分が一本の矢になったイメージを持ちつつ、花織は地面を蹴って暴風の中心地点へと疾駆した。やや前のめりに身体を倒し、速く、深く、鋭く踏み込んでいく。

「イエエエエエイッ!」

 蔵人の気合一閃。両手に握られた木刀が虚空を走り、花織に襲い掛かる。

 ガッ!

 次の瞬間、不可解な音が鳴り響いた。

「なッ!」

 声を上げたのは蔵人だった。大きく目を見開き、驚愕の色を浮かべている。

 蔵人が放った渾身の斬撃を、花織は両手を×字のように交差させて受け止めていた。

 十字受けである。両正拳を手首から肘までの部分で×字になるように合わせ、成功すれば強力な攻撃でさえ受け止められる十字受けを使って、花織は頭上に振り下ろされた斬撃をこれでもかと言わんばかりの完璧さで受け止めたのである。

 時間にして一秒未満、蔵人の動きが止まった瞬間を花織は見逃さなかった。

 十字受けの状態から花織は左手を操作して蔵人の木刀を摑んだ。そのまま体当たりをする要領で踏み込むと、無防備だった蔵人の懐に侵入した。

 背中に言い知れぬ寒気を感じた蔵人は、腰に差していた小太刀の柄を摑んだ。対接近戦用の小太刀はこのようなときにこそ最大限に威力を発揮する……はずであった。

「はあああああああ――――ッ!」

 腹の底から花織は吼えた。同時に、超至近距離に侵入した花織の右拳が蔵人の身体にピタリと添えられる。

 刹那、蔵人の身体が強力な電流を流されたように激しく振動した。右手に握っていた木刀がカランと地面に落ちる。

 互いの吐息が届く間合いにおいて、花織は顔面を蒼白に染めている蔵人に囁いた。

「真剣だったら間違いなくアンタの勝ちだったわ」

 蔵人の身体――鳩尾の部分に添えられていた右拳をそっと離すと、蔵人の身体が花織に抱きつくように倒れてきた。

 花織は受け止めなかった。蔵人は重力に導かれるように膝から崩れ落ち、うつ伏せの状態で地面に倒れる。卓越した剣技の使い手は完全に意識を喪失した。

「ふううう……」

 心身を落ち着かせるために花織は長い息を吐くと、ちらりと蔵人を見下ろした。

 恐ろしい使い手だった。木刀だったとはいえ、真剣と錯覚させられる場面も一度や二度ではなかった。その度に全身が粟立ち、踵を返して逃げ出したくなる衝動に駆られた。

 花織は痛みがぶり返してきた脇腹を押さえた。

 今更ながらよく勝てたと花織は自分を褒めたくなった。相手が木刀だったことを利用しての十字受け。これが決まらなかったら勝敗はわからなかっただろう。

「こんなこともあろうかと用意してきて正解だったわね」

 ぐいっと袖を捲くった花織の腕には、プロテクターが巻かれていた。

 コットン・ポリエステルなどの材質の上から本革を重ね合わせた特注品で、父親と組手をする際に防護していたプロテクターである。

 花織はこの大会に参加すると決めたとき、完全装備で戦いに望もうと決意していた。銃器、刃物以外の武器は使用可能とのことだったので、空手家が武器とするトンファーやヌンチャクなどを持参しようかとも考えたがやはり止めた。生前、父親が口を酸っぱくするほど言っていたことを思い出したからだ。

 昔は空手を唐手と呼び、沖縄県に古くから存在して武術「手」と中国武術が合わさって唐手になったと言われている。

 その本質は今のスポーツ化された空手とは違い、棒などの武器術の身体操作も取り入れてきた。これは常に戦う相手が一人とは限らず、また、相手が武器を持っている可能性を十分に考えていた結果だという。

 だが時代が変わり、沖縄の唐手が本土に入り空手となると、いかに素手で身体を練るかに主題が変わった。大っぴらに武器が携帯できなくなったからだ。

 父親は稽古をする前に必ず言っていた。

 ――いいか花織、武器を使う奴を素手で制する。それが空手の本質であり醍醐味だ。

 花織は腕に巻かれたプロテクターを擦った。

 父親が他界して二年が経つが、未だにその教えが風化することはなかった。両目を閉じれば、すぐ耳元で父親の指導する声が聞こえるような気がする。

「これを装着すると組手で味わった嫌な経験しか思い出さないけど、それでもこうして守ってくれたんだもん。感謝はしないとね」

 蔵人の斬撃から身を守ってくれたプロテクターに感謝すると、花織は蔵人に近づき身体を改めた。懐に隠されていた腕章を発見した花織は腕章を奪い取る。

 続いて花織は蔵人が倒した二人の人間の元へ歩いていくと、蔵人と同様に身体を改めて腕章を見つけて奪い取った。

「これで十一枚……」

 三枚の腕章の裏に印刷されていたQRコードを撮影した直後、花織はその場にペタンと座り込んだ。そのまま仰向けに倒れ、両手を羽のように伸ばして天を仰ぐ。

「疲れた……ちょっと休憩」

 駐車場のど真ん中で寝転がった花織は、そのまま静かに両目を閉じた。

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