第十四夜 梟

 平積みにされた本の数々。小説から漫画、イラスト集に歴史書まで、ありとあらゆる種類の書物が一様に肩を並べている。本棚は下から上までびっしり埋まり、縦に並んだ本の上にさらに本が積まれていた。


 この部屋に足を踏み入れるたび、兄の行く末が心配になる。大学生になっても規則正しい時間に寝起きし、異性の影はなく、実家暮らしだが家庭のことは気にも留めない。兄が重い腰を上げるのは、家に虫が出て家族が大騒ぎしたときだけだ。彼は諸悪の根源である虫をそっとティッシュペーパーで包み、窓から外に放してやる。


 羽虫は二度目の羽化を迎えたかのように兄の手から空に飛び立つ。虫のことは心底嫌いだけれども、その瞬間だけは「死ななくて良かった」と思ってしまう私である。矛盾した感情は、心を少し逆撫さかなでる。この部屋を見て兄に呆れると同時に、どこか安らぎを覚えるのも同じだ。イライラするのだ。


 兄にも早くサナギを食い破ってほしい。そう思って、尋ねてみたことがある。


「将来の夢?」


兄は本から顔を上げ、視線を宙に漂わせた。そして暫く間を置いた後、言葉がぽとりと口から落ちる。


「森のふくろうになりたい」

「梟?」


思いもよらない回答に、私の声が裏返った。


「うん。仕事もせずに、本を読んでばかりいるんだ。だけど、困っている人のもとにふらっと現れて、こっそり知恵を授けたりもする。森の梟は知恵が豊富だからね」

「それになりたいの?」

「うん。でも、実際にはなれない」

「当たり前じゃん」

「まあね。……でも、なりたいんだ」


 数年後、兄は自ら命を絶った。


 馬鹿げていると思った。絵本の中の出来事みたいに現実感が湧かない。兄は森の梟になりたかった。でもなれなかった。人間は仕事をしないといけないし、本を読んでばかりじゃいられないから。だから死んでしまったのか。


 不完全でも良いのだと、知恵を授けてくれる梟はいなかったのか。


 兄のもとには、現れなかったのか。


 生活リズムの変化に弱くて、他人と関わるのが不得手で、家事の一つもこなせないイモムシのままで良かったのに。死ぬ必要なんてなかったのに。 


 手付かずのまま放置されている蔵書の森に、が迷い込んできた。


 私はそれを捻り潰し、ごみ箱に捨てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る