第四夜 朧の森
小学生のころ、怖い夢を見たことがある。
私は両親に挟まれた布団の中で震えていたらしく、母親に力強く揺り起こされ、そのために今も鮮明に憶えている。
当時、学校の近くには森があった。常緑樹が生い茂っているため、空気は陰鬱で、残暑のころになるとひやりとした風が首筋を撫でた。怪しい噂は絶えず、蛇が出るとか熊が出るとかいった話がまことしやかに生徒の間を流れていた。
不可解なことに、森の中央には蛇口があった。どこから水が引かれているのか、何のために立っているのか。流しが一緒になっているでもなく、蛇口だけがポツンと佇む。その光景が子供ながらに恐ろしく、把手をひねって水を出そうなどとはついぞ思い至らなかったのである。
しかしその夜、夢の中で私は一大決心をしたようだった。森の中をなぜか忍び足で渡り、独りひっそりと取り残された蛇口の錆に手をかけた。
するとどうなったか。先からサラサラと這い出でてきたのは、人間の髪の毛であった。尻もちをついた私はそれを止めることもできず、スルスルスルスルスルスルと溢れてくる黒髪を呆然と見ていることしかできなかった。
やがてその中からもっと大きなもの、人間の女性のような形をした巨大な化け物が現れ、私を追いかけた。私は必死で逃げたが、走っても走っても奴との距離が縮まらず、たちまち髪に足を取られた。
私が目覚めたのは、絡みつく頭髪から逃れようともがき、這い出ようとしている時だった。
夢の中で死ぬことは、心新たに再出発することの暗示だと言う。あのとき化け物に食われていたら、私の人生は違っていただろうか。
いや、変わらなかっただろう。そう確信したのは、実家にいた折、久しぶりに母校の近くを歩いてみたときのこと。例の森は伐採され、昔の名残は粗末な切り株と蛇口だけになっていた。切り開かれた跡地を見てみれば、大人が歩いて三十秒もあれば一周できる程度の広さしかない。
この小さな小さな森を、子供の私は大きく大きく見積もって、いわば自作お手製の恐怖を、自ら演じていたのである。
今はもう昔。この歳になっては到底思い返すことのできない、遠い
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます