第38話 チケット

 食事は個室でとれるからいいとして、一緒に行くとやはり姉貴は目立つに決まっている。

 特に俺が悪目立ちするから余計にだ。

 それをどうするか悩んでいると、佐伯さんが真っ赤なスポーツカーで迎えに来た。

 ちょっと甘えすぎかもしれない……佐伯さんに頭が上がらなくなりそうだ。

 佐伯さんの話では、向かっているのは『花兆楼かちょうろう』という、芸能関係者や政治家まで重宝している料亭らしい。


「着いたわよ」


 見るからに広い敷地の料亭に隣接した駐車場に停車した佐伯さんが、疲れを感じさせない調子で言う。

 絶対疲れているだろうに、本当に頭が下がる。


「ありがとうございました。ホント姉貴が無理を言ってすみません」


「全然気にしなくていいわよ。LinnがLinnとして活動できるのも、夜歌クンがいてこそだもの」


「あははは……」


 俺は姉貴にとってどういうポジションなんだろ?

 佐伯さんも姉貴にいいように言いくるめられてるんじゃなかろうか。


「佐伯っちありがとね。帰りはタクシーを利用するから」


「了解。ここの料理は本当に凄いからゆっくり味わってきてね」


 佐伯さんはそれだけ言うとスポーツカーを颯爽と飛ばし、あっという間に視界から消えてしまった。

 駐車場には佐伯さんのスポーツカー並みの高級車が何台か止まっている。

 本当にここで食事するのか……ジャケットくらいは着てきたほうがよかったかもしれない。


「どうしたの? ほら早く行くわよ」


「姉貴は物怖じしないよな」


「こんなことで物怖じしてたらモデルなんてやってられないわよ。SNSやるだけでストレスで死んじゃうから」


 言われてみればそりゃそうだ。

 あちこちであることないこと噂されて、街に出れば知らない人から声をかけられるなんて俺は耐えられない。

 そういうところは尊敬すべきところだな。


「それじゃあ早速入るわよ。『花兆楼かちょうろう』へ!」


 姉貴の後ろについて歩き、きっちり手入れされた日本庭園に足を踏み入れると、足元の玉砂利が歩くたびに微かな音を立てる。

 喧騒とは隔絶された空間が広がっているとでも言えばいいのか、そりゃ一食五万はするのも納得だ。

 この空間の維持費だけでも相当かかってるはずだ。

 おっと、金のことを考えるのは野暮というものか。


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。Linn様でございますね」


 清潔感のある白い麻の暖簾をくぐった店先には、着物を着た落ち着いた雰囲気の中年女性が頭を下げていた。

 着物のランクから判断するに、きっと女将さんだろう。

 イントネーションが違って少し引っかかったが、それよりもLinnで予約していたことに頭を抱えてしまった。

 よりにもよって、どうして一番やめてほしい名前で予約を入れるんだ……。

 芸能人枠で貰ったものだからか?


「どうぞこちらへ」


 薄暗い廊下には等間隔に置かれた行灯が淡い光を放ち、足元を幻想的に照らしてくれる。

 場違い感が半端ないが、華野鳥の屋敷に比べれば大したことはない。

 あれを経験していてよかったと思える日が、こんなに早くやって来るとは……。


「こちらが鏡花の間でございます。どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ」


 障子越しに差す光が、大きな一枚板の座卓の杢を浮き立たせて何ともキレイな光景だ。

 壁には藤の花とメジロの墨彩画が一枚飾られていて、静謐な空間でいいアクセントになっている。

 俺が空気になってしまうほど、この空間に馴染む姉貴はやっぱりものが違う。

 姉貴も立派な芸能人というわけか。

 

「本日は特別なお席でございますので、何かございましたらすぐにお申し付けくださいませ」


「ありがとうございます」


 愛想よく返事をする姉貴を上座に座らせ、俺は入口に背を向ける形で下座に座らせてもらう。


「本日は、若女将がご挨拶に伺います。まだ若うございますが、しっかり者でございますので、どうぞよろしくお願いいたします」


 若女将がいるなら料亭も安泰か。

 この女将さんの娘なら、かなり若いのは確実だろう。


「お料理は、若女将がご説明させていただきます。少々緊張しているかもしれませんが、温かく見守っていただければ幸いでございます」


 女将さんは畳の上で上品にお辞儀をすると、流れるような所作で障子を閉めて出ていった。


「綺麗な女将さんよね。やっぱり若女将も美人なのかな」


「モデルに引き込もうとするなよ」


「ヨータがどんなタイプが好きなのか、反応を見たいだけ」


「何だよそれ、小姑かよ」


 俺の辞書には一目惚れなんて言葉はないと思っている。

 どんな美人を前にしても、感情が昂ぶったことなんてないからだ。

 しばらくして、廊下から食事を運んでくる音が近づいてきた。

 部屋の前で布擦れの音がピタリと止まり、さっきとは違う、柔らかく張りのある声が響いた。


「失礼いたします。若女将、陽菜でございます。お料理をお持ちいたしました」


 ん? 聞いたことがある声と独特のイントネーションだ。

 障子が静かに開いて現れたのは、教室では見たことがない、凛とした花楓の姿だった。

 女将よりも明るめの向日葵をあしらった着物が眩しい。


「花楓ッ!!!!」


「あれ? どうして真千田くんがいてるん?」


「この料亭が花楓の実家だったのか」


 俺としたことが失念していた……料亭と聞いた時に少しはこの可能性を考えるべきだった。

 父親が板長ということで、もう少しこじんまりした料亭を想像してしまっていた。

 こんな高級料亭の板長をやりながら経営までしてるのか。

 いや、経営は女将さんがしてる可能性もあるか。


「ふーん、ヨータと若女将は知り合い、というか、もしかしてクラスメイトなのかな?」


 姉貴が興味深そうに花楓を見つめる。

 花楓がクラスメイトだとバレたのはマズイな。

 姉貴のいつもの癖が発動しそうで不安が……。

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