猫後輩

*


 目を覚ました時には日が傾き掛けていた。冷えきった身体を抱き締めながら屋上を出てしっかりと施錠する。

 弱味を握っているとはいえ「通常生徒は立入禁止」──このルールを破るようなことをすると、この鍵は没収されてしまうのだった。それくらい 弱い、脅しならぬ提案くらいにしか使えない弱味なのだった。

 

 帰るにしても荷物は教室に置いてきたままだった。高価なものなど何一つ無いが、外にほっぽり出せるほど要らないものではない。

 そもそも鞄も教科書も学校に指定されたもので、僕としてはともかく高校生としては大切なものだ。


 教室に戻る道中、誰ともすれ違わなかった。時刻は四時を回ろうとするところ。大半の生徒はこの時間になると帰路についていて、グラウンド含めて校内に残っているのは部活動に精を出している生徒くらい。


 カラカラと教室の扉をあけて、誰もいないのを確認するでもなく理解して、それから「またか」と溜息をつく。


「考えようによっては自業自得か」


 イジメ……だろうなあ、やっぱり。

 その確信を持っていながらこれなのだから、不用心というか間抜けというか。

 

 もう一度溜め息を吐きながら、机の上のそれを見る。


 僕の筆箱が、ズタズタに切り裂かれていたのだった。


 解体なんて生易しい物では無い。 

 悪意に形を持たせたらこうなるのだと雄弁に語るその奇怪なオブジェ。


 皮を結合していた縫い糸と、黒い色とが相まって、僕はそれに、人の頭を幻視した。


 凶器であろうカッターは、まだ気が済んでいないと言わんばかりに、深々と突き立ったままだった。試しに引き抜こうとしてみたが、何かに引っかかっているのか、中々抜けない。危ないので諦めた。


 中身は全て無くなっている。どうやら捨てるか隠すかしたようだった。前回はシャープペンシルだけだったのだが、二回目にして随分とグレードが上がったものだ。

 なんにしろ犯人は随分と暇な奴なのだろうが、僕みたいなのを相手にして楽しいかは甚だ疑問である。


「二年生にもなったばかりの筈なんだけどな」


 そんなひと月やそこらで、ここまでの仕打ちを受けるほど嫌われるような、エキセントリックな性格はしていないと思うのだけど。


 ふむ、じゃあ犯人は僕を昔から知っている、以前からクラスメートだった誰かということになるのか。


「まあ、良いんだけどね」


 どうでも。別にこれを苦にして学校に来ることを嫌がるような可愛い人間では無いし。

 思考をやめる。そもそも、以前のクラスメートなんて、名前はおろか、顔すらろくに覚えていない。考えるだけ無駄なことだ。心見の身に降りかかる、墓荒しとは違う、不毛事ふもうごと


 家に予備のシャーペンや消しゴムは有っただろうか……なんて考えながらこころなし軽くなった学校指定の鞄を肩にかけて教室を出た。


 あんまり学校に来ないからか、機械的には外に出られなかった。「ええっと、校門はあの角をこうしてああして階段を降りて」と考えている内に馬鹿馬鹿しくなってきた。いっそのこと何かの超常存在が僕を閉じ込めてくれれば少しは面白いのかもしれないけれど、なったらなったで面倒なんだろう。


「面倒、か。そういえば帰るの面倒くさいな」


 馬鹿馬鹿しいついでに、面倒ついでに、上履きの行方を反転させて部室に向かうことにした。

 そう、部室──我ながら驚くことに僕は帰宅部では無かった。帰宅部というのは毎日学校に来る偉い人間の称号だと思う。偉大な彼らのお披露目の場、全国大会の開催が待たれる。


 再び三階に上がって、屋上へと続く階段を通り抜け、学校の端の端、通常の生徒は屋上並に縁がない空き教室の扉を開ける。


「──あ、ぼっち先輩」

「やあ、ひよこパンツ後輩。それは少し前に見たやつだな、生活感があってかえってよろしい」


 ぶん殴られた。


 扉の向こう、部室には案の定、僕の唯一の後輩がパンツ丸出しで横になっていたのだった。


 ここはオカルト研究部。

 聞こえは良いが、残念なことにまともに活動したことは一度もない。


 部長は僕。なぜかと言えば単純で、部員が僕とこの後輩しかいないからだ。

 僕の入学以前に「オカルト研究部」というのは実際に存在したらしいのだが、科学の発展に伴ってオカルト人気が低迷し、緩やかに部員が減って消滅したのだという。屋上以外に僕のプライベートルームを作るべく、これ幸いと引き継いだのが去年の夏頃。ものの噂によれば僅かに生き残ったオカルトマニアは文芸部に流れているのだとか。多分、部の存在自体、知られていない。

 本来ならそんな有様で正式な部として認められるわけもないのだが、そこはまあ、屋上の件と同様である。


 無論のこと勧誘など行っておらず、部員は暫く僕だけだった。

 そんなこんなで好き勝手改造した結果、この部室は電気ポットやこたつ、畳が設置され、立地こそ校舎の端で少々悪い物の、最早僕のアパートより住み良いくらいになっていた。見回りに来る用務員さんさえいなければ引っ越している。


 二年生になり、そんな部室に惚れ込んで入部してきたのが、この寝転又尾ねころび またたびである。


 まだひと月程度の付き合いではある物の、その人とナリの大凡の所は掴めてきている。


 自由気ままで、表情が希薄で、小柄で細く、口が悪い。


 言ってしまえば猫っぽいのだ。僕には一向に懐かない癖に部室に入り浸るところとかが特に。


 猫は人ではなく、場所に懐くものらしいから。


「後輩のパンツを堂々とガン見しないでください。このご時世に振りかざしていいのは正義だけで蛮勇ではありませんよ。だからあなたはデイダラヒトリボッチなんですよ」

「僕を国作りの神とも同一視される巨人に絡めて罵倒するのはやめろ寝転。そんな神がかったスケールで友達がいないわけでは断じてない」


 それにパンツの件はお前も悪いぞ。見られたくなかったら扉側に下半身を向けるのをやめろ。これが初めてじゃないんだから……時々わざと見せているんじゃないかと思うくらいだ。


「よいしょ、と……この時期だと少し暑いな」


 こたつに入ると、寝転は体を起こして電気ポットでお茶を煎れた。変なところで気の利く奴だ。

 ふと、脇に置かれた彼女の本が目に入った。分厚いハードカバーだ。


 タイトル『本は鈍器となるか?』


「…………」

「先輩、コーヒーで良いですか」

「僕の背後に立つな!」

「にゃっ!? き、急に怒鳴らないで下さい。なんなんですか」


 なんとなく。なんとなく僕は部室に散らばった本を片付けることにした。

 大半が寝転のもので、漫画からビジネス書まで、種類は実に多岐にわたる。

 僕が落ち着く場所を求めてここに行き着いたように、彼女もまた、好きに読書ができる場所を求めてここに来ている。寝転は読書家で、乱読家だ。余計なことばかり知っている。


「ああっ、やめてください! それはそれで実用的な配置なんです!」

「ええい、うるさい。それは片付けられない奴の典型的な言い訳だ」


 こんな満遍なく散らかして……マーキングのつもりか?


「うぅ……それで、こんな時間に私に会いに来るなんてなんの用ですか?」

「自惚れるなよ」


 単に家が遠いから帰るのが億劫なだけだよ。

 煎れてくれたコーヒーに口をつける。猫転はココアだろう。彼女にコーヒーは苦すぎるようで、砂糖とミルクを山盛りに入れても口に合わないらしい。僕は逆に砂糖もミルクも入れると口に合わない派閥。


「どうせ先輩、独りが寂しくて家から来たんでしょう?」

「なんで一回家に帰ってるんだよ」


 或いは授業に出ずに放課後に来ているんだよ。

 君の中で、どんだけ君のことが好きな奴になっているんだ僕は。


「だから、独りの家は寂しくて、ですよ。良いんですよ甘えても。『聖母』の異名をとる寝転ちゃんが、存分に可愛がってあげましょう」

「何が『聖母』だ野良寝転のらねころび

「何故『野良』をつけやがりますか」


 野良は野良でもボス級のやつ。空き地で夜な夜な集会とか開いてにゃーにゃー言ってそうだ。

 見た目は良いから血統書付きかな。どこぞのセレブに捨てられたロシアンブルー辺りだろうか。

 

「野良ね後輩、そういえばお願いがあるんだけれど」

「何ちょっと気に入ってるんですか、デイダラヒトリボッチ先輩。ほーら、きちんと私に会いに来くる用があるんじゃないですか」

「消しゴムとシャープペンシル余ってないかな。無くしてしまったんだよね」

「ドジですね。このアホ。しかし半分ほど優しさで構成されていると専らの噂の寝転ちゃんが差し上げましょう」


 と、寝転はドジでアホなぼくに、ピンクに着色された消しゴムと、シャープペンシルを恵んでくれた。


「良いの? こんな洒落たの」


 ピンクの消しゴムを女物と断ずるような非ポリコレ的発言をするつもりはないが、シャープペンシルの方は、前人未到のオシャレさんの僕か寝転くらいにしか似合わなさそうなデザインだ。造りも良いし、ノック部分が眠る猫になっていて、どう考えても百円均一のお店には売っていない。


「はい。それ先が曲がってて芯が出ませんので」

「ゴミじゃねえか!」

「でもお洒落です」

「でもゴミだろうが!」

「先輩にぴったり」

「誰がゴミ箱だ!」


 心無し楽しそうな寝転だった。僕は楽しくない。なんだコイツ。


「まあまあ。持ってて下さいよ。何か御利益ごりやくが有るかもしれませんよ?」

「ご利益というか厄が有りそうだけどね……」


 壊れてしまったものを持ち歩くというのは、あまり良くない事のような気がする。


 寝転は何事か考え込んだあと、顔の横で拳を作って、

 

「招き猫だにゃん」

「くっ、可愛い!?」


 無表情が逆に良い。

 なんだか知らないが、負けた気分になった。


「先輩の友達を招くにゃん」

「余計なお世話だ」


 やっぱり可愛くなかった。


「来ないにゃん」

「うるせえ!」

「来ないにゃん……」


 突然に顔を俯けて震える猫転。遠慮なしに怒鳴りすぎたのだろうか。

 生意気な奴だが、年下の女の子だ。その辺の配慮が足りなかったか。


「……違う! コイツ笑ってやがる!」

「先輩って二つ名とか付けたら絶対『孤高の』ってつきますよね。『孤高の無頼漢』とか」


 もう脈絡も何も無しにただの悪口だった。

 なんだ「孤高の無頼漢」って。独り過ぎるだろ。

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