人間はゴリラの仲間

「自分の事を棚に上げてよくもまあ……っと、君はお墓参りか。まあ察するに、傷心というわけでは無さそうだが」

「何を言うんだ。毎夜枕を濡らして、ご飯も喉を通らないくらいだよ」

「息を吐くように嘘をつくなあ君は! 傷心の人間がそんなベラベラと下らない事を喋るか!」

「さあね。僕は生まれてこの方友人というものが出来たことがないんだ。観察が不十分だから人間の事なんか分からないよ。奴らUMAなんじゃないか?」

「棚上げ!」


 ナマハゲとかサンタクロースとか、そういう類のものだと思うんだよね。ゴリラだってきちんと調べが進んで普通の動物に成っているっていうのに、人間を通常の動物とするには時期尚早だ。


「まあ気にしなくても大丈夫だよ。私も友達とかいたことないからね。都市伝説なんじゃないかな」

「お姉ちゃんとお兄ちゃんのせいでウラミは高校生になりたくなくなってきたよ」

「なあに。友達が出来ない人間は歳も場所も関係なく出来ないよ。逆もまた然りだ」

「じゃあウラミは安心だね、良かった」

「ウラミは友達が多いからなあ」


 心見も普通に話せば友達くらいすぐに出来るだろうにね。コロコロ代わる表情も、凛と響く声も中々に好ましいパーソナリティだよ。一般的に。


「お姉ちゃんにそれが出来ればウラミも心配しなくて済むんだよ、お兄ちゃん」

「う、うるさいな。ほっとけ。そら、早く着替えてこいウラミ」

「はあい」


 ウラミちゃんはパタパタと庫裡くりに向かって駆けていった。


 梵鐘ぼんしょうの音が低く重く響く。

 鐘楼の方でまだ年若い僧侶が懸命に撞木しゅもくを振りかぶっていた。ゆったりとしたリズムで鳴らされるそれは、奧間の街全体を包み込むように薄く広がっていく。


 「もう正午か」心見が呟いた。


「午後からは授業に出す予定でさ」

「ふうん」

「この鐘の音、好きなんだ。少し寂しげで」

「寂しいのが好きだなんて、友達が欲しい人間が言う事じゃないよ」

「え?」

「見れば分かるさ」


 溜息混じりで言う僕に、心見は「確かに」と少し笑った。


「僕はあんまりだね。こんな物で煩悩を払おうだなんて傲慢でさ」

「捻くれてるなあ君!」


 そもそも欲望とやらの定義がよく分からないんだよね。貨幣の概念が出来てからそうくくられているだけで、それ以前は本能と呼ぶべきなんじゃないかな。それを消すっていうのも、はた迷惑な話だし。


「百八って数もどうかと思うね。言い訳ができるように物事は曖昧にしておくべきだ。日本には『たくさん』を意味する便利な言葉があるんだからさ。ほら、の神々とか」


 嘘とかね。


「あっはっは! そんな文句言う人間君くらいだよ!」

「人間の観察が不十分なだけじゃないかな」

「いやあ十二分だよ。生まれてこの方そればかりしているんだから」


 心見は深く息を吐いた。梵鐘の余韻が消えるのに合わせるように、僕に向き直る。


「それで、私達がここに来ている理由だったね」


 視線でウラミちゃんの消えた方を示して、


「見て分かる通り、ウラミは巫女だ。コスプレじゃない本物。私達の家は神社でね、ほら、ここからも見えるあの森の」

「奧間の氏神神社じゃないか」


 玉響たまゆら神社──街の中央付近を占領する鎮守の森にある、この辺りでは最大の神社。遠く離れたここからでも森どころか金の装飾に彩られた本殿まで臨めるくらいで、正月には他県からも人が訪れると聞く。

 詳しいところは知らないが、彼女達も長らくこの土地に根差した、由緒正しい生まれなのだろう。


「多分、他の土地でもそうだと思うんだが、神社というのは相談事を良く持ちかけられる場でね。今でも信心深い方々が訪れては、神様に祈るついでのように父や母に悩みを打ち明けている」


 想像しやすい話だった。神社だけではないだろう。この寺もきっとそうだろうし、神道や仏教以外の宗教、その教会だってその側面はあるはずだ。或いはそれが本質とも言える。


「身体の不調や将来への漠然とした不安……単に吐き出したいだけなんだろうがね。雑談をしに来ていると言った方が正しいかも。どこか楽しげだし」

「スーパーやコンビニのレジ係にクレームを言いに行くより余程健全だ。まあ、心中お察しするよ」


 そんな事しに行く人間は大抵は年嵩としかさだろうしね。奧間の街の人口比率も下より上のほうが膨らんでいるだろうし。


 年齢かかわらずだけど、会話が娯楽になっている人って、話長いんだよね。


「しかし、中には例外も存在する」

「ふん?」


 ふと、彼女は表情に影を落とした。


「顔面を蒼白にし、頭蓋を取り出さんばかりに髪を掻きむしり、断末魔のように言葉を放つ。明日には殺されるんだ、そう信じ込んでいる必死の形相で、不可思議なものを語るんだ」

「不可思議なもの?」

「姿の無いものに付きまとわれる。夜な夜な亡き妻が枕元に立つ。自分と同じモノを見た……そういった類の話だよ」

「なんだ、随分オカルトだな」

「オカルトだよ」


 僕の軽い言葉とは裏腹に、その言葉は重く響いた。


「幽霊、妖怪、あやかし、怪異……私達の家は代々、それらを祓い、退けてきた」


 冗談を言う顔ではなかった。僕の顔はどうだっただろう。

 心見は寂しそうに笑いながら、再び庫裡くりの方を見た。ウラミちゃんのいる方向を。


「ウラミはとても強く力を受け継いだ、その正当な後継者だ。しかしウラミは未だに中学生。保護者として私が着いてきているというわけだよ」


 「信じなくても構わないが」……そう締めくくって彼女は俯いた。


「つまりここに来た理由も、オカルト絡みか」


 なんだ、寺社なのに自分でお祓いも出来ないだなんて、随分情けない話だね。母さんをここで眠らせておくのが不安になってくるよ。

 寺社にスーパーパワーを期待した事なんて無いと思っていたんだけれど、自分で思うより僕は夢見がちだったらしい。


「しかしウラミちゃん、ローカルアイドルじゃなくてローカルヒーローだったんだ。フレッシュ巫女ちゃんならぬ、マジカル巫女ちゃんだなんて……これは大人気間違いなしだね。アニメ化が待たれるな」


 ハリウッド俳優ばりのオーバーアクションで首を振るってみせる。

 妹のメデイアミックス計画が気に入らなかったのか、心見は勢い良く顔を上げるとそのままじっと僕の顔を見た。


 この姉妹、よく人の顔を凝視するな。癖か? 現代日本人にしては珍しい。


「……驚いた。嘘じゃないんだ」

「ああ。僕はテレビ局や出版社にも顔が利くからね。本気を出せば番組枠の一つや二ついくらでも……」

「君、本当に私の話を信じるんだ」


 ああ、そっち。


「まあ、この歳まで生きていれば不思議なものの一つや二つくらい見るからさ。人間とか友達とかね」


 呆気にとられて魂をどこかに飛ばした心見は、不意に上がった口角を隠すように両手で口元を覆った。


「そんなに面白かった? ジョークの才能があるみたいだな、僕。コメディアンになろうかな」

「あっはは! むりむり、やめときなよ! 私以外笑ってやれるもんか!」

「おいおい。自分が世界にただ一人だと? 自虐するのも大概にしなよ」


 ツボにハマってしまったらしい心見は暫くケタケタと笑っていた。

 目尻に溜まった涙を拭って深く息を吐く。


「本当、面白い人だね。久遠くん」


 肩を竦める。


「それで? この情けないお寺を襲っているというオカルトはどんなものなんだい?」

「ああ。それは──」

だよ、お兄ちゃん」

「おや、ウラミちゃん。制服姿も可愛いね」


 いつの間にやら戻っていたらしいウラミちゃんが声を挙げる。僕達の制服とは違う、紺色のサロペットスカート。巫女装束とは真逆の洋風な雰囲気なれど、元がいい彼女には良く似合っている。


「お姉ちゃん泣かせて遊んでたの? ウラミも混ぜて」

「最低だな!」

「それで、墓荒しって?」


 そりゃあ言葉の意味は知っているけれど、聞き馴染みのある言葉ではない。現代日本で、ましてオカルト絡みとなると尚更だ。


「とりあえず、歩きながらでもいいかな」


 ああ、ウラミちゃんを送っていかなきゃいけないんだっけ。


「もちろん良いとも。ひとり暮らしだから、門限とか無いんだ」


 先導するように石段を降りていく。振り返ると、心見姉妹の向こう側で、数人の僧侶達がこちらに手を振っていた。

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