すごく働いた日の居酒屋
──師匠仙人、新しい仙法教えて!
──あのな、チビ。一本踏鞴もまともに出来てないのに、そうほいほい新しい仙法教えるかっての
──ケチ仙人!
──やかましい。ほれ、さっさと魔力を練る練習でもしろ。仙法の基礎はどう魔力を練り合わせるかだ
──うぎぎ……
──ほれ、また風の魔力の練りが甘い
──お手本見せてよ!
──ほれ
──うわ……、そんなあっさり引くわー
──お前、本当に弟子の自覚ある?
「さて、どうしよっか? ミヤちゃん」
「どうするもなにも、残滓でしょう。これ」
「だよね。でも、それにしては動きが無さすぎない?」
ジテツと宮木の目の前で、結界に囲われて立つ人影は人の形はしているが顔が無く、言ってしまえば粘土を捏ねて作った人形というのが正しく、結界越しに伝わる力は確かに邪神の残滓のそれだ。
しかし、結界内で呆然とした様子で立つ姿は、二人が知る残滓にしてはあまりに動きが無い。
通常、邪神の残滓というのは、その知性の有無に関わらず、この世界へ損害をもたらす様に暴れ散らす。
だが、これにはその様子が無い。
ただ、この会場に突然顕現し、そこにマネキン宜しく突っ立っているだけだ。
「ジテツ殿、付近の市民の避難の九割が完了しました」
「ああ、うん。ご苦労様。警戒を続けて」
「はっ」
邪神の残滓は、そこにあるだけで何らかの悪影響を及ぼす。
故に討伐しない理由は無いのだが、ジテツにはある事が気になっていた。
「班長、いつでも撃てますよ」
「うん、でもミヤちゃん。儂、ちょっと気になる事があるんだよね」
「気になる事ですか?」
「邪神の残滓はこの五百年間、何故かこの会場付近には現れなかった。なのに、今日いきなり現れた。何故かな?」
「偶然では?」
「偶然も続くと必然だよ。それに、こいつは少なく見積もってもハイクラス相当。なーんか、気になるんだよね」
ハイクラスともなればピンキリあるが、その力と知性も相応のものとなる。
だが、こいつは力は感じるが知性は全く感じない。
というより、置物の様に意思すら感じない。
「……ミヤちゃん、撃って」
「はいはい」
宮木が残滓に向けて、己の崩壊の魔力を形にした弾丸を撃ち込む。
が、崩壊の効果は見られない。
「班長、効果無いんですけど」
「本当だ。え、ミヤちゃんの魔法って問答無用で対象を崩壊させるよね?」
「触れたら班長だろうが、連盟長だろうが問答無用ですよー」
「うわ、怖い事言う娘だね。……でも、効果無しとなると」
非常に嫌な予感が、ジテツの背中に冷たいものを伝わせる。
五百年前の戦いでも、邪神に対するこちらの攻撃は意味を為さなかった。
ミネルヴァとイルマがからくりを解き、ジテツが解いたからくりを結界で固定して、ようやく邪神に攻撃が通った。
あの時は、魔力を吸収する核があり、それを破壊した。
もしこれが、あれと同じならば、非常に厄介な事になる。
「……確認されている残滓は?」
「これ一体ですね」
「ミヤちゃん、どう見る?」
「……私の崩壊が通じない以上、ミネルヴァ連盟長か班長クラスの火力で周囲ごと殲滅。それが私の出せる最適解かと」
「だよね。でも、嫌な予感するんだよ」
邪神の残滓は存在するだけで、辺りの環境を変える。
今はジテツの結界が遮っているが、ハイクラスの汚染を撒き散られたら、五百年前の二の舞だ。
──チビ……
ここからは見えない聖剣が祀られる献花台、そこに眠る勇者にして、嘗ての弟子の顔を思い浮かべる。
この世界は勇者の犠牲の上に成り立っている。
その事を恨みはしない。覚悟していた事だ。
だが、まだ納得はしていない。
だから、今の世界に終わってもらっては困る。
「ミヤちゃん、騎士団と協力して付近の警戒と、ミネルヴァとイルマが居る筈だから呼んできて」
「了解しました。班長は?」
「儂はこいつを見張る」
「はいはい、任されました」
宮木が飛び去り、ジテツは残った警備の者達と共に残滓に対峙する。
「……総員に告げる。これより指揮は儂、ジテツ・コジが取る。融合世界の防人たる自覚と覚悟がある者は、己が得物を取れ」
その言葉に、声は無かった。
代わりに剣や槍、杖を掲げる音だけが返事を返した。
判っている。理解している。
この融合世界は、嘗ての幼い勇者の犠牲により成り立っている。
そう、自分達とは違う短い命を更に短く燃やし尽くした子供の犠牲だ。
あの戦いを知る者で、その事を悔いていない者は居ない。
命短く、老い衰え、枯れ木の様になり死んでいく。
定命で短命な人間は弱い。だが、永きを生きる魔女や仙人にはそれが堪らなく美しく、そして己が全てを賭けるに相応しく愛しい。
それを護る為に戦列に並んだ筈なのに、結果はこうだ。
あの幼い命を護れなかった。
「ジテツ・コジ殿」
「やれるな?」
「無論」
それ以上は要らない。
無念を知る者同士、言葉は不要だ。
「総員、攻撃準備。ミネルヴァとイルマが着き次第、一気に殲滅する」
言って、己が得物を構える音を背景に、ジテツは柏手を打つ。
使うは上位の仙法、ジテツが扱える結界術でも最高位の一つ。
「仙法・四方門」
ジテツの声に残滓の四方に鳥居に似た門が降ってくる。
それぞれに、青、朱、白、黒の色の門は残滓を囲う様に位置取り、粘土の様な体が圧に歪む。
「ジテツ!」
「ミネルヴァ、イルマも来たか!」
「ジテツ、状況は?」
「見ての通り、四方門で囲った。後は潰すだけだ」
「つか、班長。こんなん出来るなら、私が使い走りしなくてもよかったんじゃないですか?」
宮木が目立つ赤毛を風に揺らして抗議するが、その声にその意思は感じられない。
宮木も魔女の勘で理解している。
これからは何か嫌な予感がする。
「ミネルヴァ、イルマ。こいつは魔力吸収の核を持っている可能性がある。何か手はあるか?」
「魔力吸収? 残滓にしては、やけに高位ですわね。まあ、邪神クラスの容量でなければ押し潰せますわ」
「うん、吸収能力を上回れば潰せる」
「え? 何言ってんのこの人達」
「なら、儂が先陣を切るから、二人で一気にやってくれ」
言うなり、ジテツはまた柏手を打つ。
宮木を含めた辺りの魔女、仙人、騎士達が目を見張る魔力がジテツの体を渦巻き、残滓を取り囲む四門が開いていく。
「四方門開門」
開かれた門の中は何も無かった。
ただひたすらに深く、光の一切が存在しない闇が広がっていた。
「仙法・四凶門。潰れろ……!」
変化は一瞬、門の中に広がっていた闇が一気に溢れ出し、残滓の体を押し潰していく。
しかし、異様に手応えというものを感じない。
残滓の体は確かに潰れ、辛うじて人型を保っている状態なのに、全くと言っていい程残滓に動きは無い。
「ジテツ……!」
「やれ! ミネルヴァ、イルマ……!」
反応は刹那、ミネルヴァとイルマが魔法と輝術を発動し、もう頭以外が闇に沈んだ残滓に向けて放たれる。
そして、轟音と辺りを揺らす衝撃を伴い、ジテツの結界内で弾けた。
「……四方門閉門。ミネルヴァ、反応は?」
「消えましたわ。討伐成功みたいですけど……」
「……だけど、何か変。ジテツ、四方門を解かないで」
「分かってる。何か妙だ。ミヤちゃん、少し離れて」
「あいあいさー」
宮木が軽い調子で離れると、他も同じく距離を取る。
経験上、邪神の残滓のハイクラスともなれば、その耐久性はず抜けている。
なのに、これ程に手応え無く倒せた。
何かおかしい。
三人の英雄は言い知れない気味の悪さを誤魔化すかの様に、警戒を続けた。
そして、誰かがその違和感に気付いた時、四方門に罅が走った。
「こいつは……!!」
「班長……?!」
宮木の叫びと、広場が吹き飛ぶのは同時だった。
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