第29話 それぞれの場所で

白いシーツに囲まれた病室。

窓の外には秋晴れの空が広がっていたが、美香の心はどんよりと曇っていた。


看護師が血圧を測りながら優しく言う。

「大丈夫ですよ。お腹の赤ちゃんも元気に動いています」

その言葉に少し安心しつつも、美香は胸の奥に重たい不安を抱えたままだった。


──結衣はちゃんとやれているかしら。

──健一は仕事を調整できているの?


手を伸ばしても、そこには誰もいない。

これまで忙しさに追われても、帰れば家族の気配があった。

だが今は、たった一人でベッドに横たわっている。

孤独がじわりと広がっていった。





一方その頃、家では健一がエプロン姿で夕食の支度をしていた。

フライパンから立ちのぼる音を聞きながら、結衣はテーブルに教科書を広げている。


「パパ、火強すぎじゃない?」

「え、そうか?」

「あーあ、また焦げてる……」


呆れたように言いながらも、結衣は立ち上がり、野菜を切り始めた。

包丁を持つ手はまだおぼつかないが、真剣そのものだ。


「ごめんな、結衣。受験勉強だって忙しいのに」

「……いいよ。だって、私しかいないじゃん」


その言葉に健一は胸が詰まった。

妻が病院で闘っている間、自分と娘でこの家を守るしかない。

そして、ただ支えられるだけだった娘が、少しずつ「一緒に支える側」になろうとしているのを、確かに感じた。





夜、病室で眠れずにいた美香のスマホが震えた。

画面には結衣からのメッセージ。


> 「パパの料理、焦げてた。でも私が助けてあげたよ」

「ママは心配しないで。私たち頑張ってるから」




文面を読み終えた瞬間、美香の目から涙がこぼれた。

枕に顔を埋め、嗚咽を押し殺しながら呟く。

「ありがとう……」


孤独に沈みかけていた心に、小さな灯がともった。

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