017 第16話:破滅への設計図

 数日後、デヴォラントは龍牙に対する最終段階の準備を開始していた。


 翔真への交渉による解決は成功し、美桜への心理的支配も確立した。残るは龍牙――いじめグループの中核にして、最も手強い相手だった。


 しかし、龍牙への攻撃は他の二人とは根本的に異なるアプローチが必要だった。


 翔真の場合は母親との交渉による穏便な解決、美桜の場合は心理操作による依存関係の構築。どちらも個人レベルでの工作だった。だが龍牙は違う。彼の権力基盤は父親の経営する蛇島建設という企業にある。半グレ集団BLACK WOLVESとの繋がりも、地域政治への影響力も、すべて会社を通じたものだ。


 つまり、龍牙個人を攻撃するのではなく、その基盤である企業そのものを破滅させる必要がある。


 デヴォラントは、美桜から得た詳細な情報を基に、蛇島建設という標的を分析していた。


 蛇島建設は地域では「老舗建設会社」として通っているが、その実態は典型的なブラック企業だった。美桜の証言によれば、従業員への違法な長時間労働の強要は当たり前で、残業代の未払いも日常茶飯事。現場での安全基準は完全に無視され、作業員が怪我をしても「自己責任」として切り捨てられる。労働災害が発生しても隠蔽工作を行い、労働基準監督署への虚偽報告を繰り返している。


 さらに深刻なのは、半グレ集団との癒着だった。地上げのための暴力的な立ち退き要求、競合他社の現場での「事故」誘発、入札での不正工作、行政担当者への威圧的な働きかけ。BLACK WOLVESという半グレ集団を使った違法行為の数々が、蛇島建設の「営業手法」として完全に定着していた。


 税務面での問題も深刻だった。売上の大幅な隠蔽、架空経費の計上、従業員への現金支給による所得隠し、下請け業者への不当な価格設定による利益操作。国税庁が本気で調査すれば、即座に刑事告発レベルの脱税が発覚するだろう。


 これらの実態を系統的に暴露し、社会的な制裁を加えることで龍牙の基盤を根本から破壊する。それがデヴォラントの戦略だった。


 ただし、これは単純な復讐ではない。龍牙を無力化するための最適な手段として、この企業が選択されただけだった。企業の違法行為を「攻撃材料」として利用し、最も効率的な方法で目標を達成する。それ以上でも、それ以下でもない。


◇◇◇


 10月15日深夜2時、作戦が開始された。


 デヴォラントは自室で複数のモニターを前に座り、蛇島建設への情報収集を開始した。部屋の照明を落とし、モニターの青白い光だけが彼の顔を照らしている。指先がキーボードの上を正確に踊り、次々とハッキングプログラムが実行されていく。


 李から継承した技術知識は、この数週間で大幅に発展していた。異星生命体の凄まじい情報処理能力により、デヴォラントは24時間体制で最新の技術情報を吸収し続けていた。インターネット上の技術文書、学術論文、ハッカーフォーラムの議論、企業の技術資料。すべてを分析し、自らの技術レベルを飛躍的に向上させていた。


 李の技術を基盤として、最新のサイバーセキュリティ理論、クラウドコンピューティング技術、AIアルゴリズム、量子暗号理論。人類の最先端技術を独学で習得し、今や彼の技術レベルは人類でもトップクラスに達している。


 まず、オンライン上で入手可能な基本情報を収集した。蛇島建設の公式ホームページ、企業データベースでの登録情報、業界新聞での記事、地方自治体の入札記録。表向きの経営状況と事業内容を把握していく。


 次に、より深い階層へのアクセスを試みた。会社の内部ネットワーク、従業員の端末、経理システムのバックアップサーバー。しかし、予想通り最も重要な情報はオンライン上に存在しなかった。


 デヴォラントは舌打ちした。龍牙の父親――蛇島剛一のような古いタイプの経営者は、決定的な証拠を電子データとして残すほど愚かではない。裏帳簿、違法契約書、賄賂の記録。こうした機密資料は、必ず紙の文書として金庫や机の引き出しに隠されているはずだ。


 物理的な侵入が不可欠だった。


 デヴォラントは異星生命体の能力を使用する決断を下した。粘体化による侵入――これまで封印していた非人間的な能力の本格使用。


 午前3時、デヴォラントは神崎家を静かに抜け出した。家族は全員熟睡している。足音を立てることなく玄関から出ると、蛇島建設の社屋に向かった。


 蛇島建設の社屋は、地元では比較的大きな建物として知られていた。5階建ての鉄筋コンクリート造で、1階がエントランスホールと受付、2階が営業部と経理部、3階が設計部、4階が役員室、5階が社長室という構成。築20年程度の建物で、外装は定期的にメンテナンスされているものの、全体的にやや古めかしい印象を与える。


 周辺は住宅街と商業地域の境界で、夜間は人通りが少ない。警備体制は最小限で、機械警備システムと月2回の警備会社による巡回のみ。


 デヴォラントは建物の外観を詳細に観察した。


 警備システムの配置、防犯カメラの死角、侵入可能なルート。李の技術知識により、電子警備システムの種類と仕様も推測できる。一般的な中小企業向けのシステムで、軍事レベルのハッキング技術があれば容易に無力化可能だった。


 まず、建物外部の警備システムを無力化する。防犯カメラの映像をループ再生に切り替え、センサーの感度を最低まで下げ、警備会社への通報機能を遮断。すべてがリモートで実行される。


 続いて、デヴォラントは異星生命体の能力を発動した。


 身体が徐々に粘性を帯び、ゼリー状の物質に変化していく。骨格、筋肉、内臓。すべてが可塑性を持つ柔軟な物質に変質する。この状態なら、わずかな隙間からでも侵入できる。


 建物の換気口から侵入を開始した。直径10センチ程度の排気ダクトだが、粘体化したデヴォラントなら問題ない。ゆっくりと身体を伸ばし、ダクトの内部を這うように移動していく。


 ダクトの内部は予想以上に複雑だった。各階への分岐、フィルター装置、送風機の位置。建物全体の換気システムが立体的に把握できる。5階の社長室に通じるダクトを特定し、そこに向かって移動を続けた。


 午前3時45分、社長室への侵入完了。


 デヴォラントは人間の姿に戻ると、室内の状況を詳しく観察した。


 社長室は、蛇島剛一の成り上がり思考を象徴する成金趣味の空間だった。高級だが品のない革張りのソファ、威圧感を演出するための巨大な机、壁一面に飾られた地元政治家や業界関係者との記念写真。そして、部屋の隅に設置された2台の大型金庫。


 机の上には、明日の会議資料が無造作に置かれている。工期短縮のための「特別な手法」、競合他社への「対策」、行政との「調整」に関する資料。表向きは問題のない内容だが、行間を読めば違法行為への言及が随所に見られる。


 壁の記念写真も興味深かった。市議会議員、県議会議員、建設業界の大物との写真が数十枚。蛇島建設の政治的な人脈の広さを物語っている。これらの関係を利用して、入札での便宜を図ったり、法的な問題を隠蔽したりしていることが容易に推測できる。


 しかし最も重要なのは、2台の金庫だった。


 1台目の金庫は比較的小型で、日常的に使用される書類の保管用と思われる。もう1台は大型で、より機密性の高い資料が保管されているはずだ。


 デヴォラントは李の技術知識を活用し、電子ロックの解析を開始した。指紋認証、暗証番号、ICカードリーダー。複数の認証システムを組み合わせた高度なセキュリティだが、システムの脆弱性を見つけることはそれほど困難ではなかった。


 約10分後、両方の金庫が開いた。


 小型金庫からは、日常的な契約書類と現金が発見された。取引先との契約書、銀行との融資契約、従業員の雇用契約書。しかし、これらは表向きの正規書類ばかりで、決定的な証拠にはならない。


 大型金庫の内容は、まったく異なっていた。


 改ざんされた帳簿の原本。表向きの決算書類とは大きく異なる、真の収支記録が克明に記録されている。実際の売上の約30%が隠蔽され、従業員への給与も労働基準法を大幅に下回る違法な水準で記載されている。過去3年分の詳細な脱税証拠が、几帳面に整理されて保管されていた。


 机の引き出しからは、より深刻な資料が出てきた。建設現場での安全基準違反を指示する内部メモ、労働災害の隠蔽を指示する文書、従業員への威圧的な指示を記録した音声データのCD。すべてが蛇島剛一の直筆、または彼の声で記録されている。


 『安全装備なんざ金の無駄だ。事故ったら口止め料で済ませろ』『労基署の奴が来たら偽造書類を見せろ。本物は絶対に見つからないところにしまっとけ』『文句言う奴は即クビだ。代わりはいくらでもいる』


 音声記録には、蛇島の冷酷で違法な指示が克明に残されていた。従業員を人間として扱わない、使い捨ての道具としてしか考えていない経営者の本性が露わになっている。


 そして別の金庫区画からは、最も決定的な証拠が発見された。


 『ウルフ・イベント企画』との業務委託契約書。イベント運営や警備業務を手がける会社という体裁だが、実際の代表者は半グレ集団BLACK WOLVESのリーダー狼崎が経営するフロント企業だった。登記上の代表者は別人だが、実質的な経営者は狼崎その人である。


 表向きは「地域整備事業協力業務委託契約」という正規の業務委託契約だが、実際の内容は暴力による地上げ行為と競合他社への妨害工作の委託契約だった。月額500万円という高額な「協力費」に加え、個別案件ごとに数百万円から数千万円の「成功報酬」が支払われている。過去2年間の支払い総額は5億円を超えていた。


 さらに恐ろしいのは、契約書に添付された詳細な業務指示書だった。


 『住民が立ち退きを拒否した場合、深夜の騒音発生、器物の軽微な損傷、威圧的な訪問により心理的圧力を加える。ただし、明確な暴力行為は避け、表面的には偶発的な事象として処理する』『競合他社の建設現場で軽微な『事故』を発生させ、工期遅延を誘発する。事故の原因は設備の不備や作業員のミスとして処理し、当社の関与は完全に隠蔽する』『行政担当者の家族構成、生活パターン、弱点を詳細に調査し、必要に応じて間接的な接触を図る。直接的な脅迫は避け、心理的な圧力のみを加える』


 これらは明らかに組織的な犯罪行為の指示書だった。威力業務妨害、器物損壊、恐喝、公務員への威圧。すべて刑法に明確に違反する内容である。しかも、手法が極めて巧妙で、法的な追及を逃れるための配慮まで含まれている。


 デヴォラントは、これらの資料を複製し、完璧にデジタル化した。文字の鮮明さ、紙の質感、筆跡の特徴に至るまで、原本と見分けがつかない品質で複製する。将来的な法廷証拠としても十分に使用できるレベルの精度だった。


 証拠隠滅を防ぐため、原本はすべて元の場所に正確に戻しておく。蛇島が証拠を処分したいと気づく頃には、すでに手遅れになっているだろう。


 午前5時15分、侵入作業完了。攻撃に必要な決定的証拠は全て揃った。


 デヴォラントは神崎家に戻ると、収集した情報の整理と分析を開始した。蛇島建設の違法行為は予想以上に系統的で悪質だった。これだけの証拠があれば、複数の行政機関による同時調査、メディアでの大規模報道、業界からの排除、取引先の離反、従業員の大量離職を引き起こすことが可能だ。


 しかし、単純に証拠を暴露するだけでは十分ではない。現代の情報社会において、単発の告発では一時的な話題にしかならない可能性がある。持続的で破壊的な効果を得るためには、より精巧な情報戦略が必要だった。


◇◇◇


 翌日から、デヴォラントは情報拡散のためのインフラ整備を開始した。


 美桜の場合は、既存の人間関係と感情を利用して短時間で効果を上げることができた。彼女自身が蓄積していた悪意と秘密を、SNSで爆発的に拡散させただけで十分だった。既に燃えやすい油が大量にあったので、そこに火種を投げ入れるだけで炎上が完成した。


 しかし蛇島建設の場合は根本的に異なる。一般市民にとって、地方の建設会社の内部事情は馴染みが薄く、関心も低い。税務問題や労働問題は社会的に重要だが、SNSで話題になりにくい。企業の不正行為よりも、芸能人のゴシップや政治スキャンダルの方が遥かに注目を集めやすい。


 つまり、単純に情報を拡散しても、十分な社会的関心を集めることは困難だ。そこで、完全にゼロから大規模な炎上を作り出す戦略を採用した。「油をまいて火を付けて風を起こす」作戦だった。


 デヴォラントは、人間離れした処理能力を活用して大量の偽造アカウントを作成することにした。10個や20個では、現代の情報戦においては不十分だ。世論を誘導し、社会的な制裁を加えるためには、数百規模の「世論」を人工的に作り出す必要がある。


 目標は200個のアカウント。これだけあれば、初期の情報拡散、世論形成、メディアの注目獲得、継続的な圧力維持まで、一貫した流れを作ることができる。さらに、異なる専門性を持つアカウントが多角的に批判することで、単なる個人攻撃ではなく社会全体の怒りとして演出できる。


 デヴォラントの現在の技術力なら、SNSプラットフォーム自体への侵入も可能だった。


 デヴォラントは主要SNSサービスの運営会社のサーバーに侵入を開始した。企業レベルの多層防御システム、最新の暗号化技術、AIによる異常検知システム。通常なら国家レベルの技術力を要する防御を、デヴォラントは単独で突破していく。


 侵入手法は極めて巧妙だった。正面突破ではなく、関連会社やサードパーティサービスの脆弱性を利用した迂回ルート。段階的な権限昇格によるシステム管理者権限の奪取。ログの改ざんによる完璧な痕跡隠滅。すべてが人類最高レベルの技術で実行される。


 SNS運営会社のデータベースに到達すると、デヴォラントは200個のアカウント作成を開始した。


 まず、アカウントの種類を体系的に分類した。各グループが異なる専門性と信頼性を持つことで、多角的な攻撃を可能にする戦略だった。


 第一グループ、専門家アカウント、50個。

 税理士、公認会計士、弁護士、社会保険労務士、建築士、都市計画コンサルタント、労働問題専門のジャーナリスト、企業コンプライアンスの専門家、元国税庁職員、元労働基準監督署職員。それぞれが高度な専門知識を持ち、発言に重みと信頼性があるアカウント群。


 第二グループ、被害者・関係者アカウント、70個。

 元蛇島建設社員、現場で働いていた作業員、近隣住民、同業他社の関係者、地上げ被害を受けた地主、労働災害の被害者家族、下請け業者の関係者。実体験に基づく生々しい告発を行うアカウント群。


 第三グループ、市民アカウント、60個。

 一般的な会社員、主婦、大学生、フリーター、退職者、パートタイマー、自営業者、公務員。様々な立場と年齢層から、社会正義の観点で批判を行うアカウント群。


 第四グループ、拡散アカウント、20個。

 情報感度が高く、積極的にリツイートや情報シェアを行う。炎上の初期段階で情報の拡散速度を劇的に加速させるためのアカウント群。


 各グループのアカウントには、極めて詳細なペルソナを設定した。年齢、性別、居住地、職業、学歴、家族構成、趣味、政治的立場、価値観、過去の職歴、人生経験。デヴォラントの高度な情報処理能力により、実在の人物統計データから現実的で一貫性のあるプロフィールを自動生成する。


 さらに重要なのは、過去の投稿履歴だった。


 デヴォラントは、各アカウントに過去2年分の詳細な投稿履歴を直接データベースに書き込んだ。日常的なつぶやき、時事問題への反応、専門分野での見解表明、他のユーザーとの自然な交流、家族や友人への言及、趣味に関する投稿、仕事の愚痴、社会問題への関心表明。すべてが設定された人格に基づいて完璧な一貫性を保っている。


 投稿内容の生成には、ウォルシュ博士の言語学知識と趙医師の心理学的洞察、さらに田中雅人の学術的文章作成技術を組み合わせて活用した。年齢や職業による言葉遣いの違い、出身地域による方言の特徴、個人の性格や教育レベルによる表現の癖、SNS特有のコミュニケーションスタイル。細部まで計算し尽くされた、極めて自然で説得力のある文体を作り出した。


 投稿時刻、位置情報、使用端末、IPアドレス履歴。すべてが統計的に適切で、実在のユーザー行動パターンと完全に一致している。さらに重要なのは、各アカウントの投稿頻度やタイミングが、設定された職業や生活パターンと完全に整合していることだった。


 例えば、会社員アカウントなら平日の朝夕に通勤時間帯の投稿、昼休み時間の短い投稿、週末に長文の投稿。主婦アカウントなら平日の午前中に家事の合間の投稿、夕方に買い物や料理に関する投稿。学生アカウントなら深夜の投稿が多く、試験期間中は投稿頻度が下がる。


 アカウント間の関係性も慎重に構築した。専門家アカウント同士の学術的な議論、地域住民アカウント間の地元情報の交換、同業者アカウント間の業界談義、家族アカウント間の日常的な交流。リアルな人間関係のパターンを詳細に分析し、統計的に適切で自然な関係性を作り出した。


 この膨大な作業は、通常の人間なら数ヶ月から数年を要する規模だった。しかし、デヴォラントは異星生命体の情報処理能力と、人類トップクラスまで到達した技術力を総動員することで、わずか3日間で完成させた。


 1日目の夜――SNS運営会社への侵入、システム解析、基本的なアカウント作成とプロフィール設定。


 2日目の深夜――200個のアカウントの詳細設定と、過去2年分の投稿履歴生成。一日平均1投稿×700日×200アカウント=14万投稿がデータベースに書き込まれていく。デヴォラントは複数のモニターを前に座り、指先がキーボードの上を踊るように動いていた。画面には無数の文字とデータが流れ続け、一つ一つのアカウントに人格が吹き込まれていく。


 税理士の蓮見は昨年の確定申告時期に多忙を嘆き、今年は効率化を図ろうと決意している。建設作業員の黒沼は3歳の娘の運動会を楽しみにしており、安全な職場環境を切実に願っている。主婦の稲村は近所のスーパーの特売情報を几帳面にシェアし、家計のやりくりに悩んでいる。大学生の椿原は就職活動に不安を感じており、将来への漠然とした不安を投稿で吐露している。


 それぞれが独立した一人の人間として、2年間の人生を積み重ねてきた痕跡を持っていた。


 3日目の夜明け前――アカウント間の相互フォロー関係の構築、過去の投稿への相互いいねやコメントの追加、コミュニティ形成の演出、そして最も重要な痕跡隠滅作業。


 デヴォラントはSNS運営会社のサーバーから完全に撤退し、侵入の痕跡を一切残さなかった。システム管理者が詳細な調査を行っても、200個のアカウントは2年前から正規に登録され、自然に活動を続けてきたユーザーとしか認識されない。


 デヴォラントはモニターを見つめながら、深い満足感を覚えていた。


 画面に映し出されるのは、完璧に偽装された200の人生だった。どのアカウントも、2年間にわたって一人の人間として生き続けてきた完璧な証拠を持っている。投稿時間の微妙なパターン、言葉遣いの個人的な癖、他のユーザーとの関係性の変化、人生経験の積み重ね。すべてが統計的に完璧で、人工的な痕跡は一切残されていない。


◇◇◇


 10月18日午前6時、すべての準備が完了した。


 200個の偽造アカウントは完璧に仕上がっている。どのアカウントも、長期間活動している実在の人物として十分に機能する品質に達していた。SNS運営会社のシステム管理者が確認しても、正規ユーザーにしか見えないだろう。


 材料も揃った。脱税の決定的証拠、労働法違反の詳細記録、半グレ集団との犯罪契約書、労働災害隠蔽の指示書、従業員への違法な指示を記録した音声データ。すべてが法的に有効で、刑事告発に十分な証拠として機能する。


 拡散ルートも確保していた。労働問題の活動家、税制問題を専門とするジャーナリスト、法律の専門家、地元政治家、業界関係者。それぞれの関心事と専門分野に応じて、最適な角度で情報提供する準備が整っている。匿名リークの形で情報を送付し、彼らの「独自取材」として報道させる手筈も完璧に整えた。


 龍牙のいじめ動画も最適化済みだった。最も効果的で衝撃的な場面を切り取り、拡散しやすい形式に加工してある。企業の経営問題と経営者の息子の品格問題を結びつけることで、批判の相乗効果を狙う戦略だった。「親子揃って最低」という世論を形成し、蛇島家全体への社会的制裁を加える。


 行政機関への告発準備も完了していた。税務署、労働基準監督署、警察、建設業許可を管轄する都道府県庁。それぞれに最適化された告発状と証拠資料セットを準備し、同時告発による完全包囲網を形成する。一つの機関が動きを見せれば、他の機関も連鎖的に調査を開始するよう計算されていた。


 デヴォラントは、翌朝から始まる戦いに向けて、最終的な確認を行った。


 蛇島建設の現在の経営状況、主要取引先一覧とその経営者の性格分析、銀行との融資関係詳細、従業員の個人情報と家族構成、業界内での地位と人脈関係。すべてのデータが頭の中で立体的に整理され、攻撃ポイントとして体系化されている。


 デヴォラントは深く息を吐いた。


 朝日が窓から差し込み始めている。もうすぐ新しい一日が始まる。そして、蛇島建設にとっては破滅への第一歩となる日が。


 しかし、冷静に振り返ると、これは驚くほど非効率的な計画だった。


 地元の有力企業とはいえ、所詮は地方の中小企業に過ぎない蛇島建設。龍牙という一人の中学生を無力化するために、ここまでの手間をかける必要は本来なかった。翔真のときのように、多少強引な交渉を行えば、龍牙を転校させるくらいは容易にできただろう。父親の弱みを一つ握り、直接脅迫すれば、一日で解決する問題だった。


 だがデヴォラントはそうしなかった。なぜか?


 実のところ、翔真のときに奇妙な物足りなさを感じていたのだ。あのときは「スマートで効率的な解決方法」だと自賛していたが、内心では満足していなかった。もっと残酷で、もっとおぞましい、もっと完璧な破滅を見てみたいという欲求が、心の奥底で静かに燃えていた。


 デヴォラントが憑依している異星粘体は、情報――知識の獲得に飢えている。だがそれだけだ。単純に情報を収集し、蓄積し、分析することが存在目的の生体端末に過ぎない。効率性と合理性のみを追求する、感情のない存在。


 しかし、デヴォラントは違った。


 デヴォラントの中核にいる38歳の男の精神は、得た知識を実際に活用すること、その活用によって生み出される結果を目の当たりにすることに、深い愉悦を覚えていた。権力を持つ者を無力化し、社会システムを意のままに操作し、人間の運命を思うままに弄ぶ快感。それは単なる情報収集では決して得られない、より深層の欲求だった。


 38年間、この男は社会の底辺で虫けらのように扱われてきた。知識もなく、技術もなく、人脈もなく、金もなく。ただ搾取され、利用され、最後は冤罪で人生を破滅させられた。その屈辱と絶望が、今や圧倒的な能力と融合し、歪んだ復讐心として結実している。


 知識を得ることの喜び、それを武器として振るうことの快感、相手が破滅していく様を見ることの満足感。これまで社会の底辺で味わってきた屈辱の裏返しとして、支配する側の立場を徹底的に堪能したいという欲求。


 これまで社会の底辺で虫けらのように扱われてきた男の怨念が、情報に飢えた異星粘体の圧倒的な能力と融合した結果、予想外の化学反応を起こしていたのだ。


 単なる生体型情報端末では決してありえなかった変化。知識の貪食と、その知識を武器とした支配の行使を両立する怪物が、ここに誕生していた。効率性よりも破壊の規模を、合理性よりも相手の苦痛を重視する、新たな種類の捕食者として。


 200個のアカウントが一斉に動き出すとき、蛇島建設には想像を絶する破滅の嵐が吹き荒れることになる。


 蛇島建設の運命は、既に決まっていた。


 そしてそれは、より大きな破壊への序章に過ぎなかった。社会の頂点に君臨する者たちへの本格的な挑戦が始まる前の、技術と手法の実証実験として。

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