第3話

高校二年の六月。


 教室の窓からは湿った風が入り込み、カーテンをふわりと膨らませていた。

 昼休み、俺は机に突っ伏してうとうとしていた。


 ──そのとき、後ろの席の二人の会話が耳に飛び込んできた。


「なあ、昨日さ……あれ、美咲じゃね?」

「え? 健太の彼女の?」

「そうそう。なんか他校のやつと駅前でデートしてたっぽいんだよ」


 心臓が一拍遅れて、強く打った。

 まぶたが自然と開く。

 何気ないふりをしながら、耳はその方向を向いていた。


「気のせいじゃね?」

「いや、手まで繋いでたし、笑い方もあれ完全に……」


 笑い声が混じる。

 だけど俺には、その笑いがやけに遠くて、くぐもって聞こえた。



 放課後。

 健太と美咲はいつも通り並んで下校していた。

 俺もその横を歩き、いつもの三人の空気を作る。

 ……少なくとも表面上は。


 美咲は相変わらず明るく清楚で、控えめに笑いながら健太の話を聞いている。

 肩までの黒髪が夕陽に照らされ、金色の縁を帯びていた。

 男子が振り返るたび、健太は少し誇らしげに笑う。


 ──美咲が、他の男と?


 考えた瞬間、胸の奥に小さなざわめきが生まれた。

 否定しようとすればするほど、そのざわめきは大きくなる。



 駅の改札前で三人は別れた。

 優太は自宅方面の路線に、紗耶は別方向へ、そして俺も──そうするはずだった。


 ……でも、その日は足が止まった。


 彼女の背中が人混みに消える前に、気づけば俺は後を追っていた。

 理由なんてない。ただ、「確かめたい」という衝動だけがあった。


 距離は十メートルほど。

 人波に紛れ、靴音を殺しながら歩く。

 美咲はスマホを見ながら軽やかに進んでいく。

 時折、画面を見て小さく微笑む。その笑みは、俺の知っているものと同じ形だった。


 ──でも、向けられている先は俺じゃない。



 駅前を抜け、商店街へ。

 そこに──待っていた。

 他校の制服を着た、長身の男。

 美咲が自然に歩み寄り、何のためらいもなくその腕に触れた。


 俺は咄嗟に背の高い看板の陰に身を隠す。

 心臓の鼓動が速まり、耳の奥まで熱くなる。

 次の瞬間、二人の笑い声が商店街に溶けていった。


 ──この先を、見なければならない。


 そう思った。

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