2-19_目覚め
目を開けた瞬間、村田はぼんやりとした光を感じた。
見慣れない白い天井、清潔な空気、そしてかすかに鼻を刺す消毒液の匂い。
(……ここは……病院か……?)
視線を下ろすと、自分の腕には点滴と包帯が巻かれていた。
思わず身を起こそうとした瞬間、肩口に鈍い痛みが走る。
だが――信じられないほど身体は軽かった。
「あれ……?ほとんど治ってる、どうして……」
自分の体を見下ろし、呟く声が震える。
あの斬撃。あの出血量。生きていること自体が奇跡のようだった。
その時、扉が静かに開き、看護師が顔を覗かせた。
彼女は柔らかな笑みを浮かべ、安堵したように息を吐く。
「あっ、村田さん!?もう大丈夫なんですか!?」
驚きと安堵の混ざった声に、村田は少し戸惑いながら頷いた。
「あ、えぇ、何となくですが……」
自分でも信じがたいその言葉が、口から漏れた。
だが、動く。
確かに今、自分の体は動いている。
「ちょっと待っていてくださいね!」
看護師はその場でくるりと踵を返し、急ぎ足で部屋を出ていった。
おそらく、医師を呼びに行ったのだろう。
村田は背を預けるようにベッドの端へ腰を掛け、窓の外を見やる。
午後の陽光が白く街を照らし、人々の声が遠くから微かに聞こえた。
その穏やかな光景が、あまりにも現実離れして見える。
(……俺は、生き延びたんだ……)
そう実感した瞬間、胸の奥に別の痛みが広がる。
――ライト。
最後に見たのは、泣き叫ぶ顔と、伸ばせなかった手。
無意識に拳を握り締めたその時、扉が再び開いた。
昨日の担当医が現れ、驚きの表情を浮かべる。
「これは……まさかあの状態から回復するとは……村田さん、お体の具合はいかがですか?」
村田はベッドの端に座ったまま、腕や足をゆっくり動かしてみせた。
「えっと……動きます。たぶん、もう大丈夫です」
「それより、ライトは……あの、俺と一緒にいた子なんですけど!!」
思わず前のめりに声を上げた。
医師はすぐに頷きながら答えた。
「はい、その子がいなくなったことも聞いています。先ほど自警団に捜索を依頼したところですが、一体何が……」
村田は言葉を選ぶ余裕もなく、昨晩のことをすべて話した。
女の登場、襲撃、そしてライトが連れ去られるまで。
その途中で何度も声が掠れ、喉が痛んだ。
話を聞き終えた医師の顔に、深い陰が落ちた。
「まさか……うちの『ケイラ』が……」
呆然と呟きながら、唇を噛む。
その時、病室のドアが静かに開いた。
図太い体をかがめるようにして、窮屈そうに入ってくる人影。
そのシルエットに、村田は見覚えがあった。
「……目を覚ましたかい」
低く、重みのある声。
アップルパイを出してくれたカフェの店主――クラフだった。
「あれ……あなたは……」
村田は驚きと安堵が入り混じった声を漏らす。
「久しいね、村田君」
クラフは淡々と答える。
医師が立ち上がり、やや困惑した様子で尋ねる。
「クラフさん……ここには一体……」
「彼から襲撃者の情報を聞きに来た」
淡々と告げるクラフの声は静かだったが、空気が一瞬張り詰める。
「そうでしたか……実は、村田さんを襲ったのは当院の看護婦である『ケイラ・サングリア』です」
医師の言葉に、クラフの表情がわずかに険しくなる。
「なるほど……で、奴の自宅はどこだい?」
「あぁええと……ここから西にまっすぐ行った閑静な通りの一角に……」
「わかった、準備が終わったら早速向かうとするよ」
クラフが身を翻し、そのまま部屋を出ようとした瞬間――
「あ、あの!俺も、連れて行ってくれませんか……!」
村田が声を張り上げた。
クラフは振り返らずに立ち止まる。
「役には立たないことくらい……わかっています。でも、あいつは……大切な家族なんです。だから……」
震える拳を握り締め、俯いたまま訴える村田。
その肩がわずかに震えているのを見て、クラフはゆっくりと歩み寄った。
「……いいだろう」
クラフは歩み寄り、村田の肩を優しく掴む。
「だが、危ないことはさせない。そこは自警団として責任をもって私が引き受ける、いいね?」
村田は強く頷いた。
「ありがとうございます……!」
「ですが、まだ体の方が……」
医師が困惑を隠さずに口を挟む。
「彼は私に協力するために、自分の意思で立ち上がったんだ。なら問題ないだろう?」
クラフの声には一切の迷いがなかった。
村田の胸の奥では、痛みと罪悪感が渦巻いていたが、その中心にはただ一つ――
ライトを救うという意思だけが燃えていた。
病院を後にした村田とクラフは、やがて彼女のカフェに到着した。
店先の木製の看板は、すでに「準備中」の札に掛け替えられている。
昼間の穏やかな雰囲気とは一変し、外観からも張り詰めた空気が漂っていた。
村田は奥の席に腰を下ろし、クラフの準備が終わるのをじっと待っていた。
クラフはカウンター奥の扉を開け、そのまま中へと姿を消してしまった。
去り際に「絶対に扉を開けないこと」とだけ、低く念を押されて。
それから――すでに二時間以上が経っていた。
(クラフさん……一体、中で何をしているんだ?)
ライトの安否を案じる焦りと、待つしかないという無力感が胸を締めつける。
ときおり床板を震わせるような振動が伝わってきて、そのたびに村田の心臓も跳ねた。
そして――
「……待たせたね」
低く、しかし確かな響きを持つ声が背後から届いた。
振り返った村田の目に映ったのは、熱気を纏ったクラフの姿だった。
その体は、以前よりもさらに膨張したかのように筋肉が盛り上がり、まるで彫刻のような精緻なラインを描いている。
額からは汗がひと筋流れ落ち、深く息を吐くたびに胸板がわずかに上下した。
彼女の瞳は鋭く、決意を宿していた。
その存在感だけで、室内の空気が一段と重くなる。
「さぁ、行こうか。あの子を取り戻しに」
村田は息を呑み、立ち上がった。
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